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2013/11/18

遊び、メディア、自治 ―YCAMコロガルパビリオンにて


YCAM10周年記念祭で設置された「コロガルパビリオン」。これは、ナナメに伸びる床やミニマルな山やジャングルジムでできた抜群のアスレチック感に加え、マイク、カメラ、LEDなどさまざまなデジタル機能が埋め込まれた公園型パビリオン。

遊び方を「習う」のではなく、子どもが身体をフルに使って遊ぶことで「生み出していく」というのがコンセプト。「子どもあそびばミーティング」というワークショップを通して、子どもによる新しい装置や使い方の提案、YCAMのテクニカルチームによる実装がなされ、子どもの意見によってアップデートされていく。

この映像をごらんいただければ、コロガルパビリオンがどんな場所か、一目瞭然。


Korogaru Pavilion from YCAM on Vimeo.
「コロガルパビリオン」
山口情報芸術センターに隣接する中央公園に設置された仮設の半屋外型メディア公園。斜面や飛び降り台といった身体的な要素と、照明や音響といったメディア的な要素が分け隔てなく存在し、相互に影響しあって子供たちが新しい遊びを創出するための基礎となります。遊具の使い方を習うのではなく、自ら考え創造しながら遊ぶという公園です。
http://10th.ycam.jp
http://www.facebook.com/YCAM10th


空間としては、去年の「コロガル公園」の検証と建築ユニットassistantが設計に加わったことで格段にパワーアップしていた。建築の特徴としては、二つの円形の空間があり、走り回る「速い遊び」とよじのぼる「ゆっくりな遊び」といった遊びの速さ、光の入り方、ウチとソトなどが対比された構造になっている。



面白かったのは「子どもあそびばミーティング」を通して、2つに分かれた空間をつなぐアイデアがいろいろ生み出されていたこと。片方でスイッチを押すともう片方から突風が噴き出る仕掛けや、それをモニタリングできる仕掛けなど、見えない2つをつなぐデジタルなメディアとフィジカルな遊びがリンクする。

そもそもデジタル=メディアではなく、人と人、人とモノ・コトを媒介するモノ自体が「メディア」と捉えることができる。その意味で言えばお金とか法律とかもある種のメディアになる。(商店街で展開されていた「LIFE by MEDIA」のプロジェクトは服や特技といった貨幣以外のモノを交換することで場が成り立つものだった)

コロガルパビリオンでは、その「法律」すなわち「ルール」にまつわる部分がとても興味深い。この公園の大きな特徴として、プレーパークと同様の「自分の責任で遊ぶ」「それ以外は自由」というルールを採用し、それを承認した上で入場させている。この責任の所在が全面的にYCAM側になってしまうと、危機管理が厳しくなり、子どもの遊びの自由さ/創造性を制約することになる。うらをかえせば、個人の責任で行われる遊びは創造性と自由度が高い。

もちろん喧嘩は起こるし事故や怪我もある。そういう諸問題に対応しつつ、子どもの遊びの可能性を拡張していくために「プレーリーダー」の存在がある。彼らが媒介になって子どもの遊びづくりをサポートし、またそれが他の子にもシェアされ、ゆるやかに連帯していく。もちろん、遊びだけでなく、喧嘩が起きた時の仲裁や、トラブルが発生したときの対応など、子どもたちが自分で考えられるように促していく。プレーリーダーはそこで生み出された遊びやルールのデータベースとして機能しているようにも感じた。(毎週1回、鍋を囲みながら会議をしている彼らの影の努力があってのこの機能だけれど)

プレーリーダーがサポート役となって、さまざまな遊び・ルールが生み出されていく。そこに「子どもあそびばミーティング」を通した公園機能のアップデートがある。これによって、自分たちの遊び場を(大人の協力を得ながら)自分たちでつくる、という「自治」が展開されているらしい。自分たちがよりよく遊ぶために、装置や企画をつくり、法をつくり、仲裁の仕方/されかたを学んでいくこの場には、行政・立法・司法のプリミティブな芽生えがあるのかもしれない。




更に面白いことは、会期の終盤になって、本物の行政を動かすための「運動」が生まれ始めているということだ。コロガルパビリオンはYCAM10周年記念祭における仮設建築として施工しているため、12月1日の会期終了とともに無くなってしまう。それを「署名運動」によってコロガルパビリオンを存続してもらおうと運動を起こした女の子がいる。




小学3年生の彼女は、署名用紙をお父さんに作ってもらい、YCAMのコピー機で印刷し、公園に設置している。周りの友達や来場者に呼びかけ、署名を集めている。これまでコロガルパビリオンの内側/遊びの中で経験されてきた「自治」がその枠を飛び出し、ついには本物の行政を動かすかもしれない。

こんな風に、子どもたちが自分たちの遊び場を(大人の協力を得て)自分たちでつくりだす、というコンセプトは「冒険遊び場」から生まれ、歴史は長い。しかし、メディアセンターが教育普及の一環でこの取組を始めた、というところに新規性がある。公園の新しい価値を問いなおすと同時に、メディアセンターや美術館自体の公共性のあり方を問い直す実践になっていた。

ぼくらが取り組んでいる《放課後アートプラン》においても、この事例が参考になる部分は少なくない。ルールや使い方を子どもたちとともに決めること。子どもたちにとって、そのほうが楽しい遊びができる!という実感があること。子どもたちのこんなことやってみたい!という「意志」と、自分で考えてつくる!という「責任」が喚起され、それを大人のサポートによって実現させていくこと。"環境づくり"がポイントになっているぼくらのプロジェクトにおいて、このコロガルパビリオンはひとつの重要なモデルケースになる。


2013/10/31

児童館で企画をつくる 《放課後アートプラン》

今週は《放課後アートプラン》のミーティングウィークであった。石神井児童館、中村児童館、光が丘なかよし児童館を日々訪問し、子どもたちから集まったアイデアシートと、各児童館の意向を掛け合わせたプランの方向性を協議する。

香川に行って「芸術士」の活動を観て一番強く感じたことが、子どもが自分(たち)で何かを作りたくなって、それができる環境の必要性だ。何か刺激を受けて、自分の気持ちが動いて、何かをやりたい!と思わせる/誘発させる要素があること。あと、実際それに挑戦できる環境になっていること。

あるテーマに則して、子どもたちがつくりたいものを作れる環境に、少しずつ変えていく。参照できる資料や自由に使える素材などリソースがあって、子どもたちが自分で何かをつくって共有する、という活動が日常になる。その活動の文脈に合わせ、同じようなリソースで、次元の違う作品をつくるアーティストを招聘し、作品をつくる様を見せたり、共同制作をしたりする。そうなったら理想だなぁと。

このベースとなる環境の設計がポイントだ。例えば、子どもたちが自由にマンガやイラストを描いて本したりデータにしたりできて、さらにはネットでの発表や展示もできる。

児童館には「子どもが自分たちでモノや企画をつくる」という要素が足りない。工作教室からクッキングまで、大人が用意したものを言われたとおりに組み立てる、というパターンが多い。児童館の工作室が、何らかのかたちで自由な活動を解放する空間になることで、創造性は伸びていくはずだ。

工作室を整備して、日常の創作活動を温めること。これはアージのコーディネートの第一歩になる。これから各館のテーマに即して工作室の整備をすすめるのと、作家を選ぶのが始まっていく。楽しい時間が動く。




2013/10/27

香川へ その1

10月25日(金)から3泊4日で香川県へ。「芸術士派遣事業」のリサーチを中心に、瀬戸内国際芸術祭、そして丸亀市猪熊弦一郎現代美術館と回っている。

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まず初日は「芸術士とこどもたち」展。保育所・幼稚園・こども園にアーティストを派遣し、子どもたちの創作活動を創出する事業の報告展を見て、事務局の太田さん、市役所の担当の山下さんへのヒアリング。


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2日目は瀬戸内国際芸術祭の小豆島・坂手港エリアへ。graf、dot architects、UMA design farmといったクリエイターたちが拠点を構え住民たちとゆるやかに協働しながら、豊かな小豆島の生活や食文化が考現学的アプローチから来島者へ紹介していく。劇団「ままごと」のお散歩演劇『赤い灯台』では、港町を巡りながら一つの物語を経験する。

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3日目の今日は丸亀市へ移動。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の「大竹伸朗 ニューニュー」展へ。来年夏からの「拡張するファッション」展の巡回先であるこの場所を、担当キュレーターの古野華奈子さんに案内していただく。

とってもとっても刺激的で、本当に幸せなリサーチ期間だった。

ぼくは去年の10月にNPOを立ち上げて1年、これからどう経営を成り立たせていくか、本気で動かなければならない時期に来ている。そして、NPOの限られた収入方法の中で、どうやって経営していくか、暗中模索しているところ。というか、児童館という公共施設に介入するという事業のあり方は、極めて難しいということがよくよくわかってきたところ。そして、そのための実力やセンスが自分にはほとんど無いのだということも。

将来への不安が募るなかで、何をどこから手をつけていいやら…と思い悩みながらのこのリサーチ。明確な解決策が見つかったわけではない。わかったことは、希望をもって、この困難を楽しみながら、しぶとく、ひたむきに続けていくことでしかない、ということ。

この「楽しむ」ということが、本当にむずかしい。そして「楽しむ」ためには、その方法を学ばなければならない。真面目な話でつまんないかもしれないけど、人間は何かの楽しみ方を、少しずつ学習しているのだと思う。

「芸術士」の活動は、子どもたちが「表現すること・つくることの楽しみ方」を学ぶための環境・世界観を創出する仕事だと思った。そして事務局の太田さんは、この活動を広げるために、策と希望と何よりも楽しさをもって挑んでいる。

そして、「ニューニュー展」を通して見る大竹伸朗さんの姿は、執念をもって、驚くべきものをつくるために何十年も実践しているものだった。何より、つくることを楽しむことと、見るものを楽しませることが一体になった制作の姿勢を感じた。

まずはこの感動を記す。







2013/09/09

「社会参加」という言葉について

ずっと前から、この言葉には魅力を感じつつも違和感を禁じ得ない。「居場所づくり」という言葉もそう。子どもをはじめ、社会的弱者を孤独にせず、社会における”自己有用性”みたいなものを感じさせてあげようじゃないか、という大人の妙な恣意を感じるからだ。パターナリズム(温情主義)に基づいちゃったら、自発的な参加はありえないだろう。だからといって、これに代わる概念を思いつくわけでもないから、ぼくなりにこの言葉と向き合ってみる。


「社会参加」のフェーズ

「社会参加」…とりわけ「子どもの社会参加」「中高生の社会参加」について、仕事を通してぼくは考えている。児童館は彼らの放課後、つまりプライベートの時間のための場所なわけだが、公共施設であるからにはパブリックな場所でもある。この公私混同した状況が児童館の魅力であり難しさである。

「安心して遊べる場所を提供する」。これは児童館の一義的な役割である。このことが目的なのであれば、大人の見守りのもと、怪我や事故や事件を防ぎ、子どもは私的な欲求(ドッジボールしたい、ただだらだらゲームをしたい)を満たす場を提供することで児童館や放課後の遊び場の役目は終わる。

もう一段階高い次元に、「遊びを通した社会参加の経験を提供する」という目的がある。例えば、子どもがお店やさんを運営する「えんにち」やお化け役や小道具係になって客を驚かす「おばけやしき」などがこれにあたる。これは大人のファシリテーションのもと、子どもたちがある活動を通して普段そんなに仲良くない友達や知らない子と関わる機会、あるいは地域の大人という知らなかった他者と関わる機会を提供する。このとき、子どもは私的な欲求を越えて、多様な人々が交じり合う”社会”を構成する一員となる。

音楽の「バンド」を例にとって考えると、バンドメンバーと練習をしたりおしゃべりをしたりして過ごす時間はフェーズ1。ライブイベントへの出演を通して他のバンドと共演する場がフェーズ2だ。フェーズ2までいけば、音楽という共通項を通して、普段関わらない別の学校の子、あるいは年齢の異なる大人と場を共有することができる。仲間内でだらだらやることを越えて、他者に向けた表現を展開すること。これがある種の”社会参加”だとする。


「趣味の環」の限界

で、これこそが”社会参加”だ!とすると何が悲しくなっちゃうかというと、「音楽」という文化はハマればハマるほど、その文化の円環に埋没しちゃうと考えるからだ。いわゆる「音楽っぽいもの」の域を越えない。趣味の環に閉じる。すでにつくられてしまった円環のなかでの”社会参加”は、かりそめのものでしかないんじゃないか、というのがぼくの違和感だ。

本当は音楽って演劇とか美術とか文学とかにもつながる通路を持ってるし(というか芸術はなんだってそうだし)、それを通して人間の生きることを考え、あるいは新しくつくりかえることもできなくはない。もちろんそういうガチな表現活動へと展開することもアリだ。

「唐突につながってしまう」という社会参加のあり方

ぼくが考えてみたいのは、唐突で(最初は)無責任な社会参加のあり方だ。それはたとえばこんなかんじだ。

“ある日偶然、ミュージシャンを名乗る男に出会う。ボイスレコーダーを渡され、いくつかの声を録音する。楽しくなって遊んでいると「今日撮った声を、ぼくの曲に使ってもいい?」と聞いてくる。「いいよ」と言ってしばらく経ったある日、ラジオから自分の声が音楽にのって流れてきた…。”

これはあくまでたとえ話だが、ただ遊んでいただけ(日常)だけど、その行為は別の文脈に乗った瞬間に別の価値(芸術)に転換し、見知らぬ他者のもと(社会)に届けられていく。このミュージシャンの男が使う「芸術」というワープホールが、子どもの日常とその外側だと思っていた社会を裏側からぐるんと接続する。(アーティスト・イン・児童館はこんなようなことを考えたいと思って始めたプロジェクトで、その今子どもたちと職員の力でアーティストを召喚し、ワープホールを開けるための方法を考えているところだ。)

こうして、はじめは唐突な出会いからはじまった、ごくごく周辺的な社会参加の経験だが、次第にレコーディングから編集、楽器をつかった演奏、演奏会へとだんだんと踏み込んでいくことになればいい。(必ずしもそうしなければいけないわけではない)そして、演奏会の観客には子どもの親や友達もいれば、ミュージシャンのファンや巷で興味をもった見知らぬ他者も訪れる。

つまり、「社会参加」というからには、「予期せぬ他者」(ミュージシャンだったり、それまで関わったことのない観客だったり)との何らかの出会いが必要だろう、と思っているんだと思う。もちろん、セキュリティの問題があることは充分承知のうえで、それでもなお社会参加には必要だ。見知らぬ他者の存在が。さもなくばこのグローバリゼーションのなかで、子どもたちは大人が用意した”かりそめの社会”に埋没しちゃうんじゃないか、という危機感を覚える。


(おまけ)オリンピックと子ども

話は変わるけど、2020年に東京でのオリンピックの開催が決まった。もちろん、世界最大の祭典が生きているうちに自分が住んでいる街で観られることは、とても嬉しい。ぜひ新しくなった国立競技場に足を運んで、400メートルハードルを生観戦したい。


ただぼくが不安なのは、世界に向けて東京がいい顔するための、大人が考える”元気”の象徴として、子どもが使われるんじゃないか、ということ。(現に招致のためのプロモーションビデオには、悲しくなるほど”笑わされた”子どもたちがたくさん映っていた。)いやいや、元気とか文化とかってそういうんじゃないから。かりそめの元気の中に子どもを閉じ込めないでよ。私的な欲求がつもりつもったところに、一人ひとりの子どもの元気とか狂気とかがあって、そういうものが噴出されるのが表現だし、それはときに芸術だったり変なことだったりするわけで、そういうぞっとするものを回避して、何が元気だ、何が夢だ。オリンピックとパラリンピックが、多様な、見知らぬ他者への想像力を培うための祭典であるように。ぼくも微力ながらその当事者として関わっていきたいと思っている。関わることができれば、だけど。

2013/08/26

「東京で子どもと暮らそう」アサヒ・アートスクエア(2013.8.24)

8月24日(土)に行われたアサヒ・アートスクエアでのロングパーティー「フラムドールのある家」にて、パフォーミングアーツの制作をされているNPO法人alfalfaさんの山口さん、辻さんと一緒に「東京で子どもと暮らそう」というテーマでトークをしてきました。みなさん、貴重な機会をありがとうございました。

山口さんが先日出産をされ、辻さんが現在妊娠中ということで、「これから子育てがはじまっていくけど、アートマネジメントは子育て環境をつくるために何ができるんだろう」という問題意識から立ち上がったこのトーク。「ベルリンやライプチヒの事例の話をぜひ」ということでいただいた機会だったのですが、いろいろ話していくうちに「東京で、アートNPOがどう子育て環境をつくっていくか、そのためにドイツの事例をどう参照するか」という、ぼくにとっても本質的なお題へと深まっていきました。

で、結構印象にのこったので、メモ的に話したことや思ったことを書き起こしてみます。

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「東京で子どもと暮らそう」臼井隆志/NPO法人アーティスト・イン・児童館 from Takashi Usui


まず、東京の状況を考えてみる。

最近さらっと読んでみた『データでわかる2030年の日本』という本から、人口減少時代にあって、東京の人口はほとんど減らない(2010年1300万人→2030年1270万人)。しかし、子どもはまぁそれなりに減る(18歳以下221万人→177万人)。

一方で、非正規雇用者の割合は年々増えている。現在では25歳から34歳の男性の20%、女性の40%が非正規雇用ということで、経済成長!みたいな時代の気運でもないので、この数値は上がることこそあれ、減ることはないだろうと。

そう考えると、「非正規雇用で共働きの夫婦が子どもを育てる」というのが夫婦のモデルとしてデフォルトというぐらいの考え方でいかないと、幸せな子育て環境なんてつくれない。共働き夫婦にとって学校が終わったあとの放課後の保育施設/遊び場の存在は安心という意味でとても大きく、需要はますます高まっていく。少子化にもかかわらず。

というのが前提としてある。

で、保育/福祉厚生施設をみてみると、児童館、公民館、学童保育、子ども家庭支援センター、児童相談所…いろんな施設がありますが、ぱっと見どれも似たような雰囲気というか、かわりばえがしないし、あんまりオープンな雰囲気でもないから初めて行くのはちょっと億劫、、というところがある。

この辺りは、上野千鶴子さんの言う「コミュニティ/アソシエーション」の区別を援用して考えると、「この地域のヒトはこの施設に行ってください」というのが現状で、これは地域のコミュニティベースの考え方。でも、現代では「コミュニティ」よりも「アソシエーション」(地域ではなく、趣味や関心を共有する人の集まり)によって社会が構成されていると言える。アートとかパフォーマンスが好きな人が、アサヒ・アートスクエアに集まる、みたいな。

そう考えると、施設ごとにテーマ性や活動の特色を出して、アソシエーションによる人の集まりを促進したほうがよいのではないかと考えてしまう。人間は多少遠くても、自分が行きたい場所には足を運ぶ。小学生まではコミュニティベースだけど、実際、中学生は別の地域の児童館に自分で電車や自転車に乗って移動するような、アソシエーションベースの放課後活動がもう始まっている。

と、そんなふうに考えてみると、ベルリンのユースセンターや、ライプチヒの「子どもレストラン」「子ども絵本工房」などは、放課後の保育施設的な機能と同時に、子どもたちに創造的な社会参加活動をさせる機能を持ち合わせている。それぞれ「音楽」「料理」「絵本」といった具合に。まさに子どもや若者たちは自分の関心に合わせて施設を選び、活動を選ぶことができる地域環境ができている。

しかも、ドイツでは、こうした施設は指定管理ではなく、市民団体がつくりたい施設の計画を考え、行政や企業や財団にアプライして運営資金を助成・寄付してもらうことで運営を成り立たせている。ボトムアップで多様な施設が生まれている。

日本では、多様な業者が運営を担う指定管理者制度の導入がつぎつぎと広がっている。行政がつくる均質な施設から、多様化していく気運がある。そんなとき、アートNPOがつくる児童館、学童保育、公民館などがあっていいはずだ。そしてそこにはいろんな創造的なアクティビティが生まれるだろう。

実際、指定管理者の入札にはたくさんのハードルがあって、そう簡単にはいかない。また、テーマと特色といったところで、美術館や劇場では、遠方から来る人は多いけど、地元の人は全然集まらない、という例もあるし、地元の人と、ちょっと遠くからくる人のバランスを整えるのはとても難しい。移動時間をどう考えるか。いろいろ課題もある。

でも、「もっと施設が面白くなればいいのに」というのは、今児童館や公民館を運営している人たちも、そして子育てをする人たちや子どもたちも、多くが思っていることだと思う。この非正規雇用/フリーの時代に、市民活動的に立ち上がる芸術団体が児童館の運営を受託する、という可能性も、全然無いわけじゃないのだ。




























2013/08/11

文化と福祉が隔てられてるのなんでなの

ドイツにいって驚いたのは、福祉的な役割をもつ「ユースセンター」は正確には「ユースカルチャーセンター」で、文化の施設だったということ。文化とは福祉である。多様な人が表現しあい、自己と社会を形成することを支援していく。これが文化事業であり、福祉事業である…という大きな前提がある。

翻って思うのは、日本ではなぜ文化と福祉にはこんな大きな隔たりがあるんだろう、ということ。「文化」とひとことでいっても伝統芸能から大衆音楽、オタクカルチャーから現代美術までいろんな領域があるけど、タコツボ化してる印象だし、その中でゴニョゴニョとやりあってる感じ。一方で「福祉」はというと、子どもや高齢者をケアするというのは必要なことなんだけど、取り囲んで甘やかすみたいになっちゃってない?と疑問を感じる。

いろんな人が多様に表現して自己と社会を形成していくのは「文化」でも「福祉」でも全然変わらなくて、相互に溶け合っているべきと思う。

もちろん、面白くてカッコイイ福祉/文化の実践はたくさんある。大泉学園にある「つくりっ子の家」はまちぐるみで精神障害者と生活し働く環境をつくっているし、浜松の「アルスノヴァ」は重度の知的・精神障害者の生活から生み出される表現を、アートとして鑑賞し楽しめるものに転換している。

こうしたカッコイイ事例に共通するのは、本来ならケアすべき対象になってしまう人の創造力を信じ抜いていることだ。彼らはケアされなければ何もできない存在である…という諦めは皆無。障害というレッテルを貼らずに、彼らが社会に提示する新しい問い、新しい価値がある、ということを信じ抜き、そして実践していると思う。

残念なのは文化の方で、そういうのを障がい者系アートプロジェクトね、はいはい、みたいに眼指している感があるし、かくいうぼく自身にもそういうきらいがあることだ。残念すぎる。

福祉と文化が交じり合っていることが「普通だよねー」みたいにしていくには、福祉に従事する人が感じる創造力を諦めた感/違和感を集め、文化に従事している人が感じてるタコツボ化に対する違和感を集め、織り合わせていくことから。

事業としてやろうと思ったら超大変なので、自分の周りだけでも今のこの福祉と文化の断絶が滑らかに交じり合うようになったらいいな〜と思う。

違和感を集め、織り合わせる作業はリサーチ。




2013/07/22

子どもの文化環境、風穴、空気の入れ替え

自分が考えていることを、ばーーーーっと吐露したくなることがあって、このブログはそういうときのためにあります。考えがまとまらないとき、仕事のやり方に迷っているとき、どばーーーーっと言葉にすると、ふっと突き抜けるときがあったり、なかったり。

まず、いまやってるNPOの仕事で「子どもの放課後の文化環境をつくる」と言っているのだけど、具体的には何をどうやって!?という話。児童館にアーティストを呼んで、そこから作品が生まれるようにする、というのはこれまでやってきた活動だけど、この活動をインストールするだけの、合理的な仕組みがまだない。ぶっちゃけていうと文プロのプロジェクトとその予算と児童館職員のみなさんの良心におんぶにだっこで企画をやらせてもらってただけなのだ。これまでの恩を返すためにも、よりよい児童館運営に貢献したいし、文プロの「NPOを育成する」というミッションに叶うように自立したい、と思ってる。でも、どうやって?というところであがいてあがいて、という今。迷いもあるし、失敗ばっかりで、自分でも大丈夫かなと心配になる、ということは周りにも不安を蔓延させているのかもしれない。

大局を考えると、昨日の参院選の結果を見ても、自民党の改憲案を見ても、国の教育方針が右寄りになって、教育はますます学校偏重になっていきそうな気がする。このあいだドイツに行ったけど、ドイツは学校が昼前で終わるから、放課後の教育環境の充実は必須。いわゆる生涯学習とか社会教育とか言われるような場所や施設がたくさある。もちろん児童館も劇場もその一つ。日本は授業時間がどんどん延びていて、習い事に通う割合も増えている。学校が終わっても「時間割」は続く。塀に囲われて、やることなすこと指定されていく。そうなったら、放課後ののびのびした遊びと異質なものと出会う自由の時間はどこへいくのか。児童館は、塀と塀の間にある、習い事と学校と家の、ごくごくわずかなスキマになりつつある。そのスキマからどこに導けるか。子どもを囲う塀に風穴を開けられんのか。

が、児童館以外にも放課後の行政サービスはたくさんあって、学童保育や授業後の教室や校庭を開放する「放課後子ども教室」、ほかにも区民館や図書館も、「放課後の居場所」だ。この中で、通う義務がなく、なおかつ「子どもの放課後の居場所」に目的が特化しているのは児童館だけだ。図書館は通常の図書貸出業務+子どもの居場所。放課後子ども教室は通常の授業+放課後の居場所、というように「+放課後」というのが施設の基本。そのなかで児童館が何を担えるのか~というのも気になるところ。

でも、これは小学生に限定した話で、児童館の対象年齢は0~18歳なので、「未就学児とその母親(0~5歳)」と、「中高生(13歳~18歳)」という対象もある。というか、今後はこの2極がメインになろうとしている。

普通に考えたら、この幼児と中高生対象の施設って、おかしなことになる。中高生が全力でバスケで大暴れしている横で、ヨチヨチたちが遊んでいるってこと…!?なんてカオス。幼児向け、中高生向け、と時間を区切って運営するならわかるけど、それを同じ職員が企画をつくって運営する、っていうのも大変だ。

オランダも日本と同じように、学校が夕方までガッツリ。でも、中身がぜんぜん違う。誕生月で学年が変わるからたえずクラスの人が入れ替わるし、授業も時間割にしばられないプロジェクトベースなものばかり。ぼくが会った子は今、みんなで演劇をつくるプロジェクトの最中らしい。学校が解放区的にうまく機能している印象。もちろん、オランダの教育システムにも、保護者がたくさん協力しなきゃいけない、とか、学校の先生が忙しすぎて鬱になりがち、とか、いろいろ大変だという噂も聞く。

日本でも三鷹市などが「コミュニティ・スクール」を推奨して、地域住民が学校運営に参加するシステムをつくりだしているみたいだ。NPO法人アフタースクールは、放課後子ども教室のなかで「市民先生」として住民による授業を実現した。大工さんが秘密基地つくったり、生花の先生がめちゃかっこいい花の生け方教えたり。学校が地域コミュニティをつくり、地域コミュニティが学校をつくる。この理念は素晴らしいし、ぜひもっとよい実践をつくりまくってほしい。

しかし、「学校」という枠組みとそのオルタナだけでは、子どもたちのほとばしる欲求は満足されない気がする。図書館でも、放課後子ども教室にしても、大人が子どもに何かを教える/見守るという構造は変わらない。ぼくが子どもの頃に嬉しかったのは、大人として扱ってもらえるふとした瞬間であり、子ども向けに用意されたものでない文化に触れたときだった。例えば、ゴジラ映画の制作の裏側を知ったときで、近所の大学生にエロのことを教えてもらったときで、ミシェル・ゴンドリーのPVに震えたときだった。ぼくを「子ども」として閉じ込める塀に裂け目をつくり、そこから吹き込む風に触れ、その向こうに広がる別の景色を見た時だった。

「子ども向け」のあらゆるサービスは、時に彼らを「子ども」の枠組みに閉じ込める。子どもに向かうのではなく、子どもが向かう先を目指すような、そういう時間をどうやったらつくれんのかねえ。と、このことをうまく言えずに、ここまで来てる。というか、本当に面白いものは、子どもも大人も震えるのだ。 エロとか、ミシェル・ゴンドリーとか。「対象」を定めて、そのカテゴリーの人だけが楽しめばいいのか、いや、そうではないだろう。

とにかく、放課後という草原が、どんどん目的ごとに区画整備され、自由な余白を失っていく。空間的にも、時間的にも、そして空気的にも!!!!子どもが遊ぶ声が騒音になることや、アレルギー、食中毒、まちなかをうろつくナイフを持った若者、切りつけられたとウソをつく子ども、インターネット犯罪、個人情報の漏洩。あらゆるアラーム鳴りまくりの厳重警戒区域になってる。

そんななかに、ボスッと風穴を開けて、空気を入れ替えたいと思う。表裏をひっくり返すように、厳重警戒区域を一瞬だけでも虹色レインボーにしたいと思う。

最近ぼくは貧乏人のくせに子どもがほしいと思っていて、だけどこの空気の中で育てんのはなんかやだ、と思う。ほとばしる命のかたまりが、この空気の中でブスブスしてしまうのは耐え難い。


と、こう書くと「なんかやだ」がモチベーションってことになるんだけど、実際そう。でもそれじゃぁ共感してもらえないし、建設的じゃない。「こうしたらもっとよくなる」という理論の組み立てが必要なことはもちろん、なにより自分の気分が虹色レインボーを求めてなければそうはならないのだ。

あああ、なんかもっと楽しいことしたい!!!!がぼーーーん!!!!