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2013/03/16

別の夢を見る子どもと出会う







‎3月16日(土)、17日(日) 「小金井アートフルアクション!」のシンポジウムに出演させていただきます。16日は、東京学芸大学でデザイン教育を実践されている正木賢一先生と。17日は、多彩なゲストのシンポジウムに。今年度の《Y時のはなし・イン・児童館》や《放課後メディアラボ》の活動紹介、児童館という場所の可能性について話をする予定です。

お時間があるかた、アートフルアクション!にご興味をお持ちの方、ぜひぜひご来場ください。なお、16日は13:45から山本高之さんと、Art Center Ongoingの小川希さんのトークも!こちらオススメです。

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3月16日(土)session 7 [16:00-16:45]

放課後のユートピア
―児童館というコミュニティ

 臼井隆志(NPO法人アーティスト・イン・児童館理事長)
 ×正木賢一(東京学芸大学准教授/NPO法人アートフル・アクション理事)

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3月17日(日)session 12 [18:15-20:15]

アートが学校にはいるとき
―芸術文化活動と地域社会の今後

[挨拶]稲葉孝彦(小金井市長)
 港大尋(作曲家/ピアニスト)
 臼井隆志(NPO法人アーティスト・イン・児童館理事長)
 鎌田尚子(小金井市立南小学校図工科教諭)
 鉄矢悦朗(東京学芸大学准教授)
 正木賢一(東京学芸大学准教授/NPO法人アートフル・アクション理事)
 森司(東京アートポイント計画ディレクター)
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ということで、今プレゼン内容を考えているところ。明日の1時に小金井、ということは12時には電車に乗らなきゃ。

プレゼン内容を考えるにあたって、これは話したほうがいいかな〜と思っているのは、こういうふうに子どもと何かやりたい、と考えるようになったきっかけのこと。よく聞かれるし、自分でもなんだったけってよく思うから。

以下、回想。

高校2年生の頃に腰痛で走れなくなって(陸上部だった)、そのころまでは大学でも陸上を続けたいと思っていたけれど、腰痛で限界を知って、それまで好きでいつかやりたいと思っていた映画製作の仕事を目指そうと思った。それで、美大に行こうと決意した。

子どものことを考え始めたのは高校3年生のとき。友達と将来なりたい仕事の話をしていたときに

「おれは慶応の法学部にいって弁護士になる」とか
「埼玉大にいって先生になる」とか
「立教の経済にいって銀行で働く」とか

立派な将来を語っていて、すげーオレ具体的にそんな将来像ないわ…って思ってビビったんだけど、そのとき強烈な違和感を抱いた。わかるけど、なんかそれってほんとにお前の言葉なの?って思うような、変な感じ。

なんか大人たちが想定したわかりやすい「未来」とか「社会」とかいう幻想が憑依して、彼らにそういう言葉を語らしめているような、そんな気がしてすごく不安になった。

みんな将来の夢語るときは、ゾンビになっちゃうんだ!おれはこんなふうになりたくない!いやだー!みたいに思って、当時の彼女に友達の批判を言っていた。(今思えばよく聞いてくれたよなあんなきつい話…)。

で、その頃だ。子どものことを考え始めたのは。彼らにそういう幻想が憑依していったのは、一瞬ではなくきっと長い時間をかけて、だ。これは何か幼少の頃に原因があるのかもしれない…。ん?ていうかもしかして、これが「教育」の成果なのか・・・!?と思って、がびーーーーん!!!!!と頭の中で何かが炸裂したような感覚になった。

自分の意志や欲望が、社会のそれにハッキングされて、意志を失った言葉が身体を支配していくような、そういう恐怖を感じた。これは、そうじゃない子ども、つまり、自分の意志を持ち、社会の期待を裏切って、別の夢を見る子どもに出会わなければ、出会いたい、と思ったのが高校3年生の頃だった。(自分自身が17歳とかで、不安定きわまりないにもかかわらず)

子どもたちが何か「共通の夢」を見させられようとする。これが「教育」なるものなのか。もしかしたらそうかもしれない。「別の夢を見る」そのためには何か方法が在るのかもしれない。

そう思っていたときに出会ったのが、アートだった。美大に行こうと思っていたぼくは美大受験のために予備校にかよったのだけど、そこで出会ったヘンテコな人たちはヘンテコで、出会ったことのない変な欲望を持つ人達だった。今でも一緒に仕事をさせてもらっている西尾美也さんは、このとき予備校の先生をしていた。変で面白いな〜と思ったけど、自分がアーティストになる、というのはなんかちょっと違った。で、そんな気持ちで芸大の先端を受験したら落ちた。超落ち込んだしふてくされた。(ちなみに半年後に慶応大学の環境情報学部のAO入試も面接までいって落ちた。)

浪人していた年、ビル・ビオラの個展が森美術館でやっていた。1人で初めて美術館に行った。人間が水に飛び込む姿を逆再生していたり、大量の水を浴びるのをスーパースローで再生したりして、人間の身体を幻想的に描き出す作家で、その作品にずいぶんと見入ってしまった。そこに「別の夢を見る」そのための方法のヒントがある気がした。しかし、それは答えではなかった。

アートって超面白いけど、なんだか「インスタレーション」とか「サイトスペシフィック」とかっていう美術用語がすでにあって、その文脈をズラしたり更新したりするためのもので、具体的に教育に介入してる印象はあんまりなかった。

教育系でワークショップを実践している団体や個人のもとで、ワークショップのお手伝いをいろいろとさせてもらった。目的と方法を完璧に落としこむ、戦略をそこで学んだ。いま思えば、ここで進行表の作り方や、企画の立て方、目的と方法の一致のさせ方など、かなり実践的な事を10代のうちから学ばせてもらっていた。今でもお世話になった方々にはすごくすごく感謝している。

しかし、そうした経験のなかで思ったのは、「子どもってこういうもの」っていう想定をすでにしていないか?ということや、「ワークショップ」というイベント自体が美術館や特定のスペースで開催されていて、保護者が電車や車で子どもを連れてこないと子どもは参加できない。つまり、子どもが自分の意志でワークショップを選択しているとは必ずしも言えない。大人の都合の中で展開していて、ぼくがびっくりするような「別の夢をみる子ども」には出会えないのだ。そういう子がいたとしても、変な奴として変なやつ扱いされている。アートだとか表現だとか、変なことに価値がある場所なのに・・・!

子どもが自分で選択して行ける場所で、なおかつアートというか表現活動が入り込めそうな場所…ということで自分の経験を思い出したり人に相談したりしているうちにいきあたったのが、児童館だった。

このとき、大学1年生。1年浪人してるから、20歳になる年。

あれからもう6年。

「20歳のころからやってる方法なんて、もう通用するわけないじゃん。別の方法に変えるべき時期なんだよ。そういう時期って一気にくるんだよ」

と、今日りのさんに言われた。変化しなければならない。ここで変化できなければ、終わるだろうな本当に。

で、「別の夢を見る子ども」には出会えたのだろうか?

うん、たくさんいるなぁと思う。彼らが描く絵や、書き間違えた言葉や、時折言う大人味たいなこと(を言おうとして変な言い回しになってること)を聞くと、ほっとする。ああ、こういうところにいくつもの別の夢がある。早くから社会が見る夢に憑依させられてる子どももいて、大変そうだなと思うけど、まだ取っ払える。一度取っ払ってから、あえてその夢に乗ってみよう、と思うならいい。

彼らがみている別の夢は、社会が未だ必要だと思っていない、未知なる知性。そこに形が与えられ、社会的な知性になっていく変化の過程をみること、つくりだすことが、アージをやっている喜びだ、というとなんか抽象的だけど、うまく言えないから難しくいうとこういう感じだ。

さっき「アートって…」と批判めいたことを描いたけれど、アーティストも別の夢を見て、そして社会にそれに共感し、協働する人と共に、未知なるものを新しい知性として提示する。だからぼくはアートを尊敬しているし好きだ。

子どもとアーティストの方向性は同じだよね、ってみぃちゃんが昔言っていて、すごくはっとした。はたから聞いたら耳タコな言説かもしれないけれど、質の違う響きだった。

あーなんかこの感じ、うまく伝えられないかなぁ。
明日のトーク、うまくいくかなぁ。



2013/03/11

自分たちの仕事、ムーンライズ・キングダム

今日は午前中から調べ物。確定申告、間に合わせないとやばいやばい。NPOの経理の方法を確認して、明日に備える。

プレスリリースをつくったり、製作中のマガジンにコメントしたり、《放課後メディアラボ》の仕事をこなし、あとはメールを返しまくったり、いろんなこと考えたり。

夜は、制作中のアーティスト・イン・児童館のパンフレットについてのミーティング。新しい事務所に、デザイナー、ライター、編集者がそろう。確認がメインだったけど、ひとつひとつこうやって顔を合わせて確認していく、これはすごく大切。

ちょっと不安なことが2つあって、こういう印刷物を丁寧につくっていくということなのだけど、ここにNPOの理事・会員、そして児童館のスタッフが入っていないことだ。「自分たちの印刷物」をつくるという感じに、今回は持って行けていない。事務局が使えるものを、このコストを掛けて作っている、という感じだ。プロジェクトにするなら、NPOの理事・会員、児童館スタッフが「自分たちの印刷物」になるための、合意形成の過程を踏んでいかなきゃいけないと思う。それはすごくすごく時間のかかる作業なのだ。



ところで昨日見た映画『ムーンライズ・キングダム』がとってもよくて、泣けた。とある島で、問題児の美少女と、問題児のボーイスカウトが駆け落ちをする。内容は子どもたちの自立と戸惑いの物語なのだけど、大人の世界と子どもの世界の境界の描き方が、ギミックが効いてる。

飲みかけのミルクの入ったグラスに、ビールを注いで飲む、とか
ボーイスカウトの隊長も普段は算数の先生をしている、とか
釣り針にコガネムシをつけてつくったアクセサリー、とか
シロツメクサの花束とか

ワンシーンワンシーンの精度がやばいなぁと思う。これだけの美意識を統率してやったチームに、本当にすごい。映画って本当にすごいですね。自分も、業種や形態は違うけれど「クオリティ」を問われるチームの一員だし、そのリーダーを任されているわけなので、産みの苦しみを人一倍味わわねばならぬはずなのだ。ホント最近がんばりどころ。




2013/03/10

代々木上原、千葉、上野

少しずつ、日々のことを更新する。

今週は月曜から、すごくお世話になってる人をものすっごく怒らせてしまったことがあって、あぁもうほんとに自分ダメかも、時すでに遅しかも、とか思いながら、半分ぐらい地面にめり込んでた。人の話を聞いているようで全然聞いていなくて、無責任で、他者へのリスペクトがなくて、軽薄な感じがあると指摘された。たしかに、自分にはあるかも知れない。いや、ある。それじゃ誰も助けてくれなくなってしまう。もっと周りの人に楽しんでもらいたいし、そのためには工夫しなければならないことが、自分にはたくさんあるのだ。それを軽やかにできる人もいるけれど、それは才能なわけで。

というわけで今日のこと。朝からデザイナーの飯田くんの事務所に行って、制作中のアージパンフについてのミーティング。どうしようか悩んでいた部分を吹っ切るようなアイデアが見えて、2人でよし!ってなってた。

飯田くんはとても理性的な人で、グラフィックになった時に、他者からどう見えるかを客観的に、そして彼特有の質感をもって、語る。「でもときには自分も馬鹿になってみないと見えないものもあると思ってて、それができないんだよなぁ」という彼にはすごく共感する。でも今日「よし!」ってなった部分は、それを乗り越えられそうな感じだ。

午後は、千葉市美術館へ。WiCANによる「美術がおもしろくなってきた。ー須田悦弘展鑑賞報告会」。

子どもの鑑賞教育プログラムを、小学校、美術館、そして大学の研究室が連携してつくる、という、みんなが詳細を知りたい事例になっていたし、学校の先生も、エデュケーターも、学生も、自分の責任で話している感じが、だれも「お手伝いでやってます」っていう感じがなくて、すごくポジティブで丁寧なエネルギーを感じた。


縣さんの発表は特に面白くて、「美術/美術館に対するイメージ」「日常における意識」などが変化する、というデータを数値で見せていて、すごい説得力。そんなに複雑なものではないけれど、こんなふうにシンプルな調査を設計できるのは、やはりさすが!という感じ。


あと、WiCANは去年も報告シンポジウムに足を運んだけれど、毎年学生が自分たちの失敗したことを発表していて、それがすごく好感持てる。とくに最近自分が「反省」を怠っていただけに…。

すごく真面目なシンポジウムだったけれど、「学校」「美術館」「大学」のように制度化され硬直化した現状に、「変化」を呼び込むために連携し、他の領域を受け入れ、内部を変容させ、そこに関わる個々人の「おもしろい」を引き出し、混ぜあわせようとする姿勢を感じ、とても励まされました。

そして、夜は上野でご飯。りのさんのご両親とゆっくりご飯をたべるのは初めてだったけど、家族みんな愉快でポップ。やぼったく伸びてた前髪をきってもらってさっぱりした。

明日はいろいろ書類仕事して、映画を見に行くぞ、と。


2013/03/01

ぼんやりしている余裕は、ない

2012年度最後の一ヶ月がはじまった。3月。

ちょっと振り返って考えてみる。何をいま、今月やるべきか。

3月~5月の《全児童自動館》、10月アージのNPO法人化、《ジャングルジム市場》、12月《Y時のはなし》、そして2~3月の《放課後メディアラボ》の事業実施を経て、来年度からの事業を設計しようとしているところ。

しかし、いたるところで自分のダメさがはっきされているし、今年はダメ出しをいただいた量が最も多かったように思う。(このままじゃヤバイ…誰にも信頼されないダメ野郎になってしまう…)という危機感が自分の内側にふつふつと募っている。

まず、「ちらかしっぱなし」。記録、成果としてどうまとめるか、ということまで想定できておらず、「とにかくやってみる!」というモチベーションだけで人を巻き込んでしまっている。

このことはプロジェクトの現場においてもそうだ。《ジャングルジム市場》の設営や《Y時のはなし》の設営からスタッフの仕切りまで、実際にまとめられる力量が無いにも関わらず、ドタバタでなんとか作り上げている。安定感が全くないし、安心もできない。

次に、やる、と言ったことが実行できていない。つくらなければと言っていたドキュメントブックの制作や、メディアラボ企画の充実した実施ができていない。これは事業体としてかなりの欠点で、考えがまとまらないからできない、というだけでは言い訳にしかならない。公共事業としてやる以上、ここは絶対に死守しなければならないところだ。

事業のコンセプト、内容とそれをまとめるだけの力量、全体のバランスをとって丁寧に企画をつくっていくことが、これから先できるかどうか。そのためにこの3月、丁寧に整理していかなきゃ。現在制作中のアーティスト・イン・児童館の事業パンフレット、明日撮影がある《放課後メディアラボ》、《Y時のはなし》のDVDとドキュメントブックの制作、そしてNPOの経理。これを全部まとめあげるのに、ぼんやりしている余裕は、ない。



2012/12/06

乗り物のこと

『Y時のはなし』の公演が無事に終わりました。おわってみて考えているのは、乗り物のことです。

昔から『天空の城ラピュタ』に出てくる巨大なゴリアテに憧れてて、あれに乗ってる人たちはなんだかんだみんな楽しそうだし、あんな巨大な鉄の塊が宙に浮くなんて、なんて自由なんだろうと思っていた。

子どもたちの遊びのノリ/快快のグルーヴは重なりあって、まるで建物ごと宙に浮かすかと思うほど。物語は航路。グルーヴは動力。そして劇場は乗り物。操縦室は、どこだろうね。児童館がゴリアテのように、宙に浮いていろんなところに行けたらいいのに。

かわいい子には旅をさせろというけれど、乗り物はメディアだし、メディアは乗り物なわけで、子どもたちがメディアを使いこなせる環境は、あらためて必要だなぁと思う。メディアというのは、言葉であれ、演劇であれ、映像であれ、紙であれ。

旅というのは素敵なもので、身体を多面化するし、想像力を拡張する。

重要だと思うのは想像力で、地球上のどこへでもいけてしまうし、どの地域のようすも見れてしまう今だから。例えば来年、サハラ砂漠で暮らしているかもしれないし、アラスカに行くこともあるかも知れない。ロマンチシズムじゃなくて、このことを皮膚が想像できるかどうか。

例えば、風船に手紙をつけて飛ばしたら、見知らぬ誰かから返事が来たとする。見知らぬ他者とのやりとりが身体に残る。見知らぬ他者ともつながりうるという可能性が実感を帯びて身体に落ちてくる。旅することはそういう感覚を身体に蓄積させていくことでもあって、それはつまり、多様な他者と自分の関わりを想像できるようになっていくことだったりする。

乗り物は、身体そのものを別の場所に運んでいく。手紙は、自分の身体の内側を紙に憑依させて別の場所に運んでいく。メディア/乗り物にのって旅をする体験の蓄積は、想像力を拡張させたり充実させたりする。そうすると、予想だにしない事態にもしなやかに応答していけるようになる気がする。

子どもたちを「乗り物」に乗せること。子どもたちと「乗り物」をつくって動かすこと。なんかこれは企画のヒントになりそうな気がする。




2012/11/25

Y時制作日記(3)

今日は集中稽古でした。

光が丘なかよし児童館の子たちと、中村児童館の子たちの合同練習。ドッジボール大会のときみたいにディスり合うかと思ったけど、互いのパフォーマンスを認め合っていた。そして仲良くなっていった。

子どもたちと快快が1つのカンパニーになってY時のはなしを作り上げている。

放課後の、特別なY時。子どもたちが登場すると、舞台袖にいる快快メンバーがやんややんやとはやしたてる。こーじさんとゴリラの対決の白熱っぷりに押されて高まる子どもたち。このグルーヴ。

子にんぎょたちの、一人ひとり考えたきらきらの魔法。

ロボたちの、恥ずかしがりながらの努力。

楓馬センパイのカエルの暴走。

「カエルー!この剣を見ろー!」「うるせぇ!」

大爆笑。

お祝いダンサーズの決死のステップ。

あー、本番2日間、たった2日、だけど2日。どんな奇跡が起きてもそれは単なる奇跡じゃなくて、物語はずぅっと変わり続けるんだなぁ。



2012/11/22

Y時制作日記(2)

今日は中村児童館の第一学童で稽古。ひとしきり昨日のカエルの話題で笑う笑う。
ぼくは昼過ぎまで結局「しおり」の制作。しおりを渡したことによって、世界観が広がる広がる。

そのご、文美さんの車で光が丘へ移動。6時間授業のあとでくたくたに疲れた男子たちは集中力を欠くが、なんとかやり通した。絹代さんもつかれ気味だったけど、すごいなぁあのひとタフネスの人だわ。そして、ここでも「しおり」はモチベーションになっていた。

そのあとデコの準備を淡々とやっていた梨乃さんの手伝いをしてた中1男子から恋を告げられて悶絶したりして。

そういえば昨日面白かったのは、稽古場として使わせてもらっていた学童クラブの子どもたちに篠田さんが「誰ー?」と問いただされていたときのこと。

「誰〜?」
「今度劇やる人だよ」
「え〜?おばさん?」
「そうだよ」
「きゃはは、ほんとはおじさんなんじゃないの?」
「おじさん、でもある」

えー!!と思って。「おじさんでもあり、おばさんでもあり…」アイデンティティが複数で複雑すぎる。さすが練馬の一角獣、バンコクの蜃気楼こと篠田千明。この話ときどき思い出し笑いします。