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2011/12/11

皆既月食、キュレーター

皆既月食を見ながら、色々考えてしまいました。太陽の光を浴びた地球の影が、月を覆っていく過程は、月、地球、太陽の位相を体感する一大スペクタクルでした。

今日は久しぶりの大学の同級生と会って、「坊主バー」というすごく素敵で変なバーに飲みにいったのです。その友人から「キュレーターの仕事に興味がある」と言っていて、わお!いいね!とか思っていたのだけど、どうしたらキュレーターになれるのか、改めて疑問に思いました。
※こんな本もある。「キュレーターになる!アートを世に出す表現者」

「美術館や博物館に就職する」それも1つの道だけど、いまはそれが唯一の正解ではない。美術や文芸品を取り扱うだけでなく、最近では「キュレーション」は「情報を収集し、整理する」という意味のマーケティング用語としても使われています。
アートを取り扱う場合は、もちろん美術やその他の歴史の知識・専門性は必要だけど、とにかく足を使って情報を集め、編集する、公開する場をつくっていく。その実践の積み重ねの向こうで、やがてキュレーターとして周りの人に認められていくのだと思います。

ぼくもまだまだ仮免。実践の場をいろんな人に与えてもらえていることに、感謝をしています。とにかく実践は楽しいしハラハラする。自分が今できる範囲のことを、毎回はみ出してチャレンジしているせいで擦り傷だらけだが、そのドライブ感はたまらない。ものすごくちっちゃいことでも、やりたいこととできることは誰にでもあるはずなので、やっちゃえばいいと思います。できちゃう時代だからこそ。

2011/10/08

接続回路のイメージ

「接続回路」ということばが好きで、ぼくはこれを好んで使っている。しかし、何と何を接続する回路なのか、どんな仕組みなのか、それがよく見えていないから、今日はそのことを少し考えてみる。


イメージでは、雲と雲の間にパイプを置く感じだ。雲Aの氷晶を、雲Bに移動させる、パイプ。目に見えるモノの移動を想像している。


なぜ「接続回路」ということばが重要なのか、というと、ある特定の領域で世界が閉鎖されることを恐れるからであり、絶えず行き来し、具体的な移動が行われる複数の世界をイメージしているからだ。それはすでに、ネットワークということばで解決されているのかもしれないが、ネットワークから排除されている人々もいるし、自分だってあるエリア(佐々木俊尚さんは「ビオトープ」と呼んでいたかな?)に入り込めずにいる。例えば、量子力学のエリアとか、どこかで接続しているはずなのに、入り込めていない世界がある。複数の世界を行き来することは、アイデンティティを硬直させず、ぼくたちの日常を分解し、複層化させ、編集できるようにしてくれる。


その「接続回路」を通って移動するのは、ぼくたちの想像なのか、具体的な身体なのか、念を記した物なのか。そのパターンによって回路の形態も変わってくるだろうし、移動の方法も変わるだろう。(お金さえあれば)どこにでもいけてしまう交通を手にした今、遊牧民生活は可能であり、(デバイスさえあれば)どこの状況も見れてしまう現在において、想像上の遊牧民になりうる。お金のないぼくたちがいかにして「接続回路」を手にするか、これが重要だ。




メモ:「念を記した物」誰が?誰のために?

2011/10/06

手仕事のプログラミング

「プログラムを組むのが大変なんだ。コンピューターは人間の感情のぶれまでは計算してくれないからね、まあ手仕事だよ。しかし苦労して組んだプログラムが思いどおりにはこんでくれれば、これに勝る喜びはない」(『羊をめぐる冒険(下)』村上春樹・著、講談社)

『羊をめぐる冒険』に登場する黒服の男のセリフ。黒服の男は、主人公をあるゲーム的な状況へと否応なく巻き込んでいく仕掛け人であるが、「アーティスト・イン・児童館 プログラム・ディレクター」という肩書きで活動をしているぼくとしては、今になってこの登場人物にちょっとしたあこがれを抱く。

活動は手仕事のプログラミングだ。構造をつくり、変数を設定し、「時間」を構成してゆく。その作業を、足を運び、会話をし、素材と環境を整え、作業内容を共有したり指示したりしながら、実行していく。

手仕事のプログラミングに必要なのは、ありったけの想像力と、それを働かせる体力だ。その作業を怠るとえらいことになるということを今まざまざと体験しているわけだ。「想定外」に慌てているようじゃ、あまりに未熟だ。「想定外」さえ想定しなければ。

プログラムを組むのが大変なんだ。


2011/10/05

「観察者」から「当事者」へ

山本さんのプロジェクトで現場を駆けまわっていたこの9月に、半年のロスタイムを経て大学を卒業した。単位の計算を怠り、数が足らずに卒業できず、多くの人に迷惑をかけた。お世話になった方々に、心より御礼を申し上げたい。

そんなしようもない失敗を経て終えた学生時代だが、ふりかえってみると、ぼくの中にある「観察者」のふるまいを再発見する。卒論も、自分が呼びかけてはじめた活動(アーティスト・イン・児童館Nadegata Instant Partyプロジェクト《Let's Research For Tomorrow》)のエピソードを記述・考察したものだ。「観察者」の立場は、客観的にものごとを見、新しい可能性をかたちにするための第一歩だと信じているが、この立場はときに、責任を逃れるための言い訳になりえてしまう。自分で呼びかけて活動を始めたぼくは、もとより当事者なのだということを改めて今考えている。ここにぼくは自戒として、この「観察者」という立場の危うさと卒業を機に思うところを書きたい。

「フィールドワーク」ということばが普及して以来、「観察者」は新しい価値をもたらす立場として評価された。それは今、「まちづくり」の活動では基本とされているところだ。ぼくと同世代の友人たちにもこの「観察者」に可能性を感じ、この立場(あるいは気分と言ってもいいかもしれない)に寄って立つ人が多い。ぼくもフィールドワークに魅了され、その勉強をしてきた。

危険だと思うのは、観察者という立場を安易に選ぶとき、無責任におもしろがっていていい立場になってしまう、ということだ。それは傍観になりかねない。そして、傍観はノイズであり、ときに迷惑や暴力になりかねない。

観察は批評であり、批評には責任が伴う。「観察者」はその場所に介入し、変化を加える当事者だ。「観察者」であろうとするならば、まずはじめに変化を与える主体であることを自覚するべきだ。そして、なにをよりよいと思い、その変化にどんな希望を見出しているのか、考えを持ったほうがいい。「わからない」と言っている場合ではない。わからないなりにその都度している決断があり、それを自分の決断として受け入れたほうがいい。

ぼくは「観察」を、可能性をかたちにする第一歩だと考える。そのあとには、とりあげるものを選び、どんなかたちをつくるのかを決断し、編集し、つくっていく作業が待っている。観察は始まりにすぎない。その意味では、ここまで「観察者」と言ってきた部分を「編集者」と言い換えたほうがいいような気もしてくる。


いずれにせよ、観察し、編集し、変化をつくる当事者として、卒業を機に身を引き締める思いでいる。そもそもこの文章は、林立騎さんにもらったコメントへのアンサーとして書き始めた。今年3月に「アーティスト・イン・児童館 コンセプトブック」の原稿へのコメントを求めたとき、林さんからコメントを寄せてもらった。「臼井くんの責任ある意志が書かれていない」というものだった。そこに反論の余地はなく、ぼくはそれに何も応答できていなかった。今期の山本高之さんのプロジェクトを通して、「責任ある主体」としての自分と子どもについての考えを巡らせるうちに、この文章を書きたくなった。


メモ:
・「観察」と「編集」について。
・「変化する部分」と「変化しない部分」について。







2011/04/25

2011/04/25

今日は一日何にも考えずに、だらーっと過ごしている。コンセプトブックが無事入稿されて、ちょっと一息です。明後日には納品。

昨日は、ナデガタの映画『学芸員Aの最後の仕事』の主役フェイス山田役をやっていた前田香織さんがハウスマッカリに遊びに来てくれました。事務局ミーティングもあってみんなもいたし、東方さんと梅ちゃんを誘ってお好み焼き食べました。が、みんな焼き方しらないのね。

福島第一原発から3キロのところに暮らす前田さんは、ぼくと同い年。府中の友人宅を間借りして、深夜のピッキングのアルバイトで生計を立てているんだって。ご両親は加須市の避難所での生活を続けているそう。思いがけず、アー児の活動を手伝いたい!と言ってくれたので、どんどん遊びにきてほしいなと思います。

被災地の状況が大変なことは、ぼくも現地の視察を通してほんの少しだけ知っています。実は、先々週に宮城県のほうに行ってきたんです。東北での表現活動のためのネットワークをつくる活動(仮称:Art Volunteer Network)に参加することになって、そのリサーチで。亘理町、名取、塩竈などを巡ってきたけれど、被害の範囲のその広さを肌で感じました。

今、人々には「表現」が必要だと感じています。話すことや絵を描くこと、編み物や縫い物など、何でもいいんだと思います。世界と自分との関係を手や身体を使って編みなおしていくことができれば。というか、このことは今に限らず、これまでもこれまでも考え、実践する事なのですが。

2011/04/22

2011/04/21 ブック入稿+空鼠

久しくブログを更新せず。
コンセプトブックがいよいよ入稿。来週の水曜日に納品予定です。

今日は高校の後輩であり友人である村上慧くん、橋本巧くんたち5人がやってる共同アトリエ空鼠に遊びに行ってきました。3階建てのビルで、1Fがギャラリー/アトリエ。2Fがオフィス。3Fが寝室。なんと彼ら一つの部屋に単管で2段ベッドを組んで、そこにみんなで寝てるのです。ほんとにネズミみたい。生態系的な意味で面白い場所です。





魅力的なこのスペース。アー児チームも遊ばせてもらおう、ということで、5月に一緒になんかして遊ぼうと思っています。乞うご期待。

2011/04/02

2011/04/01 移動・移転・移住


東京にどれだけの人が疎開して来て、どんな生活するのかを考えてる。でも一方で、東京も離れたほうがいいんじゃないかとも思ってる。

今回の震災で困っているのは、想像力が乏しくなっていること。「当面のところ安全です」みたいな報道を信じようとしているから、東京を離れる、移住するということを想像できなくなってる。と、書いていて気づいたけど、この災害以前から東京から離れるということを想像できなくなっていた。これまで3年間地元の練馬でプロジェクトを続けてきたし、これからもーとか考えてたし、今もそれにしがみついてるところ。日常を守ろうとしてるんですよね。でも、移住先と移動手段は探せばあるんだから、全く想像できないはずがない。今、被災地では16万人の人が避難所生活を送っている。別の避難所に写る人や、移住する人も多くいるはず。移住するということを想像しリアルに感じる手段がほしい。

よく考えれば、去年の夏ごろから、ぼくのキーワードは「移動」だった。移動することの想像力を子どもと共有できるかどうか、これにチャレンジしたかったのだった。

2011/03/31

大久保児童館によせて

大久保児童館に絵本を届けに行った。そのことを書こうと思う。

大久保児童館との出会いは、2年前に「大久保アートプロジェクト」の企画をしている小山さんという方から「大久保児童館で〈アーティスト・イン・児童館〉を」ということで声がけしていただいたことから始まる。結局その企画は実現しなかったのだが、歌舞伎町の裏手に多国籍の子どもたちが集まる場所があるという話は印象に残っていた。

それから一年も立たないうちに、大久保児童館のことがまた頭に浮かんできた。キッカケは演劇ユニット「Port B」の高山明さんから、新作《完全避難マニュアル》の企画に呼んでもらったことだった。都市の様々な場所をめぐるツアーパフォーマンスという形式の演劇をつくる「Port B」の新作は、インターネットの診断サイトから山手線各所に設けられた「避難所」に誘うというもの。高山さんからのオーダーは、出会いカフェや喫煙所、モスクやお墓、シェアハウスやネットカフェなど、人が「ある時間」を過ごす場所が設定されている。その中に「子どもの居場所」をつくりたいという内容。それを聞いて思い浮かんだのが、新大久保駅から徒歩10分のところにある「大久保児童館」だった。

歌舞伎町の裏、コリアタウンの奥。保育園、ことぶき館が併設する築40年の複合施設の3階にこの児童館はある。中国、韓国、タイ、フィリピンなど、アジアを中心とする多様な国の子どもたちがこの場所には集まっている。マンガを読んだりボール遊びをしたりできるところは普通の児童館なのだが、夕方からは各国の言葉に合わせた日本語教室が行われている。

美術家の蓮沼昌宏さん、担当コーディネーターの佐脇さんとともにアイデアを出し合い、児童館職員の沖さん、美濃部さん、館長にも参加してもらいながら企画を作っていった。この児童館は2箇所以上の「避難所」をめぐった観客のみ入場が許される場所となり、そこではこの《完全避難マニュアル》をテーマにした絵本『新山手線ものがたり』をつくることになった。観客とスタッフがこれまでにめぐった避難所のことを児童館の子どもたちに語り、絵と言葉を書くという想定。しかしいざプロジェクトが始まってみると、制作に没頭する大人と、その周りで手伝ったり茶化したりする子ども、という関係が出来上がっていった。小学校1年生の子たちが特に興味をもっち、中には日本語がまだ上手く扱えない子も多くいた。

この企画の中でひときわ目立っていたのは、初めて会った時から蓮沼さんやぼくによじ登って離れなかったHくん。彼は絵本の企画が始まって以来、とにかく表現をしまくった。絵の具やシールや木工ボンドや粉を思うままに操り、人の絵に手を入れ、紙が破れるまで筆をこすりつけ、ダメ!と言われることも難なくやってのけた。Hの表現はとどまるところを知らず、他の子どもたちも彼に触発されて、手に絵の具をつけたり、紙に直接チューブを絞たりし始めた。Hやその周りの子どもたちが観客やスタッフが書いている絵に手を入れるものだから、キレイにまとまった絵よりも、彼らの遊びの痕跡を残した絵が多くなった。ぼくたちはこの企画で、子どもたちの日常に小さな裂け目をつくりだしていたし、同時にぼくたちの想定を揺るがされうろたえを体験していた。そしてそのうろたえは、想定を超えるキッカケとしての価値を持っていた。

ところが、期間中《完全避難マニュアル》は観客とリピーターが増え続け「新大久保駅の避難所」としての最後の日(11月26日)は、30人近くの観客がこの場所に押し寄せた。絵本をつくっていた小さな部屋には入り切るはずもなく、ホールでボール遊びを提案した。「カイセンドン」と言われる戦争を模した遊びも、異様なほど盛り上がった。しかしその盛り上がりは、描いていた絵を崩されるうろたえや、突然フィリピン語で始まった喧嘩に出会うような小さな驚きを、全くかき消してしまった。Port Bの作品の、そういう少し説教くさい感じは嫌いじゃなかったのだが。この児童館との関係はひとまずここで途切れていた。

この途切れを編み直すために担当の佐脇さんと一緒に、散らかった絵本をまとめて綴じることにした。放っておけばそのまま終わらせることもできたが、どうにもそれはしたくなかったのだ。時間も予算もないので編集は一切せず、80枚以上の絵をスキャンしてサイズを統一して出力し、駅ごとにまとめて綴じた。そして絵本の原本は、今日3月30日子どもたちの手に渡した。先の震災で中国や韓国に戻ってしまった子が多く、3人にしか手渡せなかった。「避難所」と名付けていた場所から別の場所に「避難」するなんて皮肉だが。表現をしまくったHは自分が描いたものと自分が気に入ったもの(蓮沼さんやぼくのものも含まれる)を30枚近く選びだし、大きな袋に入れて持ち帰っていった。Hは目に止まったものはじっくりと見渡し、何度も絵を見返していた。「これおれのだ」とあの時間を思い出しながら、「これ誰が描いたんだっけ?」とあの場所に来た人たちとの関係を確かめながら、丁寧に選んでいった。



少し長いテキストになったが、最後に。

この児童館は、明日3月31日で閉館する。総合福祉センターに統合され、老朽化したこの建物は取り壊される。都市を象徴する場所新宿の裏手にあり、様々な国の言葉を飛び交わせながら子どもたちが遊ぶこの場所は、明るい未来を見せてくれる場所だった。閉館と取り壊しは本当に寂しい。《完全避難マニュアル》のスタッフとして「避難所」と勝手に呼んでいたが、震災のあとには子どもたちに変わらぬ日常を与え、迎え入れるこの場所は紛れもない「避難所」になった。しかし、子どもたちは震災後に自分の国に一時的であれ帰国したし、この場所を利用していた子どもたちは閉館後、別の児童館、別の遊び場へとちりぢりになっていく。絵本のことと地震のことと閉館のことを無理やり繋げるつもりはないが、閉じてしまい、無くなってしまうもの、途切れてしまうことをいかに引き受けるかを問われている気がしているし、綴じた絵本はそれを再び開き、編み直し、組み立て直す何かになると希望を持っている。Hが絵をもって帰ったことは、その希望を開いている。

2011/03/16

2011/03/16

東北で大きな地震があってから、今日で5日になる。

ここ数日、建物やカラダがこわれてしまうことを、つい想像してしまう。正確に言えば、頑張って想像しようとしている。ネットやテレビで見る映像には、どうにもリアリティを見いだせなくて。頭の中をめぐってるのは、レゴブロックがカチャカチャ動くイメージと、ラミエルの解体―再生のイメージ。



たぶん、考えたいのは、決して壊れないモノのことではなく、バラバラにして何度でも組み立てなおせるモノのこと。今回の騒動の中でこの解体-再生のイメージがぼくの頭の中でぐるぐるしている。


そんな今日は、成田空港に行ってきた。パートナーがお姉ちゃんの結婚を祝いにチリへと飛ぶ(お姉ちゃんの旦那さんがチリ人)ので、その見送りに。7月に赤ちゃんも生まれる予定で、もう名前も決まったんだって。空港にはたくさんのひとが寝袋を敷いて充電器をつないでPCのモニタを見ていた。今回の震災で、帰れなくなった人たちなのだろうか。
そういえば西尾さんも今、ナイロビ・アート・プロジェクト第三弾で頑張っている。咲子さんは生後五ヶ月の赤ちゃんと一緒だとか。
ぼくの身近な人達と遠くの土地と身近で遠い地震というバラバラの事柄が、たしかにリンクしているのを感じた。


2011/03/04

2011/03/03 ここ数日

最近は、先週の土曜日にNadegata Instant Partyの発表イベントを終えて一区切り。現在は《アーティスト・イン・児童館 コンセプト・ブック》を鋭意作成中です。ご期待ください。3月25日(金)発行予定。ちなみにその日は《ことばのかたち工房展》のオープンでもあります。

写真はプロジェクタで「ごっつええ感じ」を見てるとこ。


3月8日には、東京文化発信プロジェクト室と2011年度プロジェクト内容の協議。
3月9日には、練馬区役所での活動紹介。





ところで、「芸術は分からない」っていうけど、それでよくて、分かっちゃったらマジで面白くないと思うんです。「分かったふり」をしてしまわないように、特にマネジメントの人間はコレを気をつけなきゃいけないと。

2011/02/14

2011/02/13 卒制を終えてこれから

横浜美術館、高嶺格さんの「とおくてよくみえない」はエロい描写に真摯な気持ちで、そのあとチェルフィッチュ《ゾウガメのソニックライフ》は、人の夢を覗いているような気分で。横浜で芸術を楽しんだ一日でした。


卒制を終えて、ナデガタと児童館行ったり、ことばのかたち工房の展示企画したり、西尾さんの展示「間を縫う」のオープニング行ったり、ageHaに遊びに行ったり、墨東大学に行ったり、ひょいひょいと出歩く日々。もう年度末になってしまったけど、卒制の間止まっていたものをブルルンとアクセル踏んで動かす感じで、そろそろ加速していきます。

2011/02/06

2011/02/05 卒業制作展2日目

現在開催中の卒業制作展、連日たくさんの方がお越しくださっています。


昨日は、中村児童館のあんどーなつとちえちゃんを招いて、「公開編集会議」と題したディスカッションを展示会場で開催。徹底して子どもを中心に据えた二人の視点は、論文を再構成する上でとても参考になる。録音を聞きなおして、あわよくば文字に起こして、さらに発展させていきたいと思います。ひとまず、第1部の《仕掛け編》はこのブログに公開しようかな。今回の卒論は、再編集して読みやすい形にして、何かしらの方法で流通させたいと思っているのです。小さい本にしたいなぁ。できれば500円ぐらいの文庫本サイズとかにしたい。



Nadegata Instant Partyの山城さんも今日展示見に来てくれたし、マッカリトークのメンバー石幡さんも、事務局の山口さんも来てくれました。大学-活動-プライベート、アイデンティティの複数性を行き来した感じでした。

そのなかで、今回チャレンジしたエピソード記録を山城さんにも安藤さんにもちえちゃんにも、楽しんでもらえたというのがすごく嬉しい。上手く機能するか不安だったんだけど、「行間を読む」という言葉を体現するかのように、読み手の方々はエピソードとエピソードの間に様々なことを想像したんだろうと思います。その想像を喚起したという意味で、成功だったのかと。

そうか、"行間を読む"というのは、"読む"という言葉は使われているけど、実際には"想像する"ということだから、読者によるイメージの創造だと言えるわけだ。これは。

そしてそのまま大友良英さんの船上ライヴに駆けつけ。

井の頭公園の森のざわめきに呼応するように響くノイズの音、「私にはセンスがないからわからないわ」という通行人の声、「こんな事やっていいと思ってんのか!」とドテラを着たおじいちゃんの怒号、そしてやがてぼんやりと見えてくるメロディ。そして、メロディの予感が沈んでいくと共に、浮かび上がる人びとの足音や囁き。

とってもよかった。

その後、ベトナム料理を食べて、ティーラテを買ってもう一度井の頭公園を散策。緩やかに一日が終わっていくのを、久しぶりに噛み締めるように味わっている。マンガでも読んで寝ます。

2011/02/01

2011/01/31 パーティーと物語

ひとまず卒業論文を書き終えて提出したわけです。が、そこにすべて出し切ったような感覚はないです。なんだろうな、料理を作ったはいいけど、フライパンごと食卓の上に載せちゃってる感じ。盛り付けとか、一切してないっていうか。これから編集と校正の作業をして、3月までにフリーの電子書籍として出せたりしないかなぁ。

今、一番興味が有ることは、物語を空間にすることです。そこで過ごす時間は、読者の判断による。本も、映画も、読者の時間の流れは指定されています。作者によって操作された時間を、読者は追うことになる。つまり編集というのは読者の時間を操作することだと思うわけです。

物語を時間の流れではなく、空間の配置として作ることは可能でしょうか。例えば、パーティーという状況を考えてみます。そこにはたくさんのひと、いくつかのテーブル、ドリンク、料理があります。どの料理、どのドリンクをどういう順番で食べるか、誰とどんな話をするのか、それはそこに出席した人が決める時間の流れです。そこにはただ、空間があるだけです。パーティーは出席者が空間を使って時間を編集することが可能なメディアなわけです。映画や小説はそうはいきません。

ここで「時間」という言葉を“物語”に、「空間」を“素材”に、「出席者」を“読者”に置き換えてみます。すると、

パーティーは“読者”が“素材”を使って“物語”を編集することが可能なメディアなわけです。

となります。ということは、パーティーの類推を使えば物語を空間化することが出来るわけです。

パーティーを盛り上げるのに必要なものはなんでしょう?
食事、飲み物、そして面白い出席者(登場人物)はもちろん前提条件です。
演説やパフォーマンスの披露、どっきりなども重要です。そのなかでぼくが面白いなと思ってるのは、ゲームです。ビンゴとか、まともにやったことないけど王様ゲームとかは、そのままパーティーするのとは違う、人や素材との出会い方に変化を加えていく方法です。

ゲームとは、方法。
パーティーとは、メディア。
物語は、目的ですかね。

というわけで、ゲームを引用した、読者による編集可能な物語のシステムをあと3日(実質2日)で作るつもりです。




2011/01/24

2011/01/23 卒業論文執筆中 

論文書いてる途中の散らかった机を公開します。



編集者不在の執筆作業ってのは、地図も方位磁針もないまま知らない土地をさまよっているような、そんな気分になりますね。「なぜ、児童館か」「なぜ、現代美術か」「なぜ、記録か」この3つの問に答えようとすると、それぞれ3万文字を楽勝で超えます。
さらに、(1-1)児童館の中高生たちが大衆文化を使いこなす戦術と、(1-2)遊びと仕事が切り離された都市システムの話。それから、(2)仕事の文脈と遊びの文脈を混交させる「アーティスト・イン・児童館」の実践についてと、(3)それが開いた予想外の可能性についての言及。
これを書こうとしたら、多分これだけでも5万字くらい?

ぐえ。

卒論は、後に出版されるであろう「アーティスト・イン・児童館とはなにか」という趣旨の本の骨格になるでしょう。後に再編集されることを見越して、素材としてぼくはいま書き続けています。ご期待ください。

2011/01/19

2011/01/13 トークイベントの機能

1月13日 玉川大学でのトークイベントに出演しました。



進行は「オープン・ミーティング2010」にも足を運んでくださっていたアーティストの東方悠平さん。今回のトークイベントは第2会の懇親会をきっかけに実現しました。



活動の経歴と、活動の目的についてひとしきり話をしたあと、「終わり」のデザインについて、アーティストへのアプローチ方法について、アートマネージメントのスタンスについての話をしました。たっぷり2時間話をし続ける形になったので、声をからしてしまいました。

この日最も油断していたのが、芸術学部でのイベントということで「アートは絵画・彫刻だけじゃなくて…」という話をするのをすっぽ抜かしてしまったことでした。「ふつうに知ってるっしょ」みたいな、美術業界の仲間意識のようなものを内在化してしまっている事に気づき、ブルッとしました。

前提を確認しておくこと、自分がどの文脈の上に立っているのかということは、多少回りくどくても丁寧に説明すると、話が一気にわかりやすくなります。次回があれば、もう少しスライド作ったりして内容を整理しようかなと。多分確認しなければならないのは、「ワークショップ」、「アートプロジェクト」、「コンセプチュアル・アート」の3つの用語でした。さらに俯瞰して話したら面白いのは「学校教育」「社会教育」「現代美術」の構造分析について。このへんはもう少しフィールドワークと文献を読み進めながら考えてみたいところです。現代美術業界の構造分析してる人、だれかいないのかなぁ?

トークイベントの機能について

もう1つ考えたことは、「トークイベント」という場自体の機能です。ぼくは大きく分けて<紹介> <予告> <ふりかえり>の3つの機能があると考えてます。

<紹介> 対象者(今回で言えば主に玉川大学の学生)の知識を増やすことを目的に、事例とその背景にある考え方を紹介する機能。

<予告> ゲストの活動歴や考え方を紹介し、後にゲストとともに実施予定の企画への期待感を高める機能。そのトークイベントをきっかけに企画への参加を呼びかけ促す機能。

<ふりかえり> 実施した企画が何を生み出したかを公開で検証しつつ、それにどんな意味があったのかを参加した人びとが見出す機能。<紹介>と同時に、次のプロジェクトが予定されている場合は<予告>の機能も併せ持つ。

このへんの機能を使い分けると、参加者のモチベーションに合わせてゲストも話ができるし、観客とゲストのテンションが一致すると、多少低くても充実したイベントになるはず。このあたりはホストの技術が問われます。

どんな企画でもそうですが、思考のプロセスをどこで誰とどんなふうに共有するかがとても重要です。新しい出来事をつくっていく、という体質のネットワークがほしいといつも思っているので、いろんな人に開かれていることと、今後への連鎖を内包したトークイベントのつくり方を考えていきたいなと思いました。

2011/01/11

2011/01/10 新年会「ハッパーティー」

今日はNadegata Instant Partyの山城さん、野田さんを招いてハウスマッカリで新年会。

中村児童館からしげとたけちゃん、大久保児童館のおしづ、アサヒで会った梅ちゃん、文化発信プロジェクト室の坂本さん、millgraphの富井さんが来てくれた。なんと富井さんは飛び入り参加。

本日のメニューは、「じゃがもちのサルサソースがけ」、「トムヤム鍋」、「アボカド納豆」、「野沢菜漬け」、「タコライス」、「トムヤム風おかゆ」の6品。山城さんが持ってきてくれた日本酒「獺祭」がとっても美味しい。

たけちゃんとしげに料理手伝ってもらったり、おしづから新宿の児童館事情の話聞いたり、富井さんと本の話したり、坂本さんに来年の豊富を話したり、今日のマッカリの空気は充実していた。例えばたけちゃんが大久保児童館に行ったり、おしづが富井さんの本を手にしたり、そういう移動や出会いのルートが、ここで開かれている。

今日はなにより、野田さんとじっくり話ができたことを、ぼくは喜んでいる。2011年のこと、アーティスト・イン・児童館やお互いの個人としてのこれからのことを、丁寧に話し、考えた。彼女から嬉しい報告を聞くことができたし、ぼくも報告したかったことを報告できたし、そしてなにより「背中を押す」という言葉そのままの強い応援の言葉をもらい、色んなことが愛おしくなった。

帰り道、山城さんと風邪気味の野田さんを駅まで送っていく。「今月と来月でじっくり詰めていこう」と、白い息を吐きながら山城さんは話す。「間違いなく、今までで一番難しい、難題ですね!」そう言われてちょっと複雑な気分だけど嬉しい。高ければ高い壁のほうが登ったとき気持ちいいもんな。うまく表現できるか分からないが、ぼくが今考えているのは、心を鬼にする事だ。「児童館のためになること」なんか一切考えず、現実をひっくり返し、バラバラに解体するようなことをやらないと面白さが際立たないだろうと思っている。生半可なことでは、あの児童館のポテンシャルに負けてしまうだろう。そう考えると「難題」というのも頷ける。

しかし2011年、盛りだくさんな一年になることはもうわかっていて、そのなかでもNadegata Instant Partyは、規模で言えばメインイベントをはる大役を担ってもらうことになる。と、ぼくは思っていて、その心の準備を徐々にしていきたいと思っているところなのだ。

さて、2011年、どうなるだろうね。しげとたけちゃんとは、2011年度の作戦会議を一緒にしはじめている。冷静沈着かつ果敢に。

2010/12/18

12/17 前進

この日、2012年春に大きな目標が定まった。
まだ確定したわけではないので詳しいことは言えないが、これは、大きな前進である。

「遊びと美術」というような言い方で自らの活動を語っているが、しかしこの2つは似て非なるもの。「美術」と「遊び」が2本の線だとする。この2本が最も近づくフェーズとして、児童館という場所、もしくはアーティスト・イン・児童館という時間がある。スレスレまで近づいた後、一方は美術へ、一方は遊びへとそのベクトルをまた変えていく。美術の線が向かう先が、この日少し定まった。

美術を児童館に手繰り寄せ、遊びを美術へと手繰り寄せる。その後双方を、元あった場所へと放つ。

12/15 レッツ・リサーチ・フォー・トゥモロー

この日はNadegata Instant Partyが中村児童館へ。

山城さんとあんどーなつ、山口とちえちゃんとぼくの5人でミーティング。最初、お化け屋敷のための素材撮影をしよう、という話をしていたのだが、あんどーなつから「それは二番煎じでは?他のことをやっちまったほうが面白いかも」と提案。さらに「オープンミーティングに影響を受けまくって、面白いアイデアがどんどん出てくるんだ。<児童館で花嫁体験>とかね」と、とんでもないアイデアを提示。これはNIPとぼくらにプレッシャー。

ひとまずラーメンを食べに駅前へ。中崎さんと合流して、「てっぺん」でラーメンをすすりながら来年のプランをぼんやりと聞く。児童館という枠組みの中でNIPがホストになるという構造なのだが、面白くなるかどうか、まだわからん。もっと議論がしたい。そのプランのイメージと現実の状況のギャップを埋める方法をこれからつくっていくと、なにか見えてくるはずだ。

児童館に戻ると、取材の下見に来た読売新聞社の竹井さんが電話をしている。児童館職員とNIPの二人に紹介。「竹井さんが欲しい画を撮るために、ぼくたち喜んでパフォーマンスしましょう!」と中崎、山城。あちゃーと思いつつ、普段遊戯室にあるマットを工作室に移動してみることに。

中学生を集めてみんなで声を掛けあってマットを運ぶ。もっと苦労するかと思ったのだけど、なんの苦労もなくすんなりと工作室に収まってしまった。あれ?なんでもなくね、これ、、、みたいな反応が一瞬で帰ってくる。「なにがしたいのかわかんないよ」とヒロシに言われる始末。



NIPメンバー含む数人がゴロゴロしはじめ、しばらく工作室はだらだらと過ごす変なラブホみたいになっていた。「どうですか?このぼくたちが最近手がけているリラクゼーション・アート!」と山城さんは竹井さんに問かける。いや、これでいいのだ。この態度こそNIPだ。それで結局竹井さんは児童館を後にし、また来てくださることに。2月の制作発表の日にまたご連絡しなければ。

この日、ふうがはひたすら柔道の話をしていた。この間の世界選手権で触発されてやたら柔道をしたがっていたのだ。それに対して山城さんが応えた。

「よし、工作室で柔道やろう」
「ふ、服つかんでいいすか」
「あたりまえやんか」

白熱した柔道の試合が始まる。狭い工作室だからアブナイのなんの。みんなでマットを囲んで、やんややんや。まるでストリートファイト。ヒロシ、しげ、とっきーも参戦して、大盛り上がり。しかし山城さんが強い。ぱっぱっぱと一本をとってしまう。

ひとしきり試合をしたあと、遊戯室に紙とペンをもって集まる。お化け屋敷の会議が、此処へ来てはじまった。ディズニーに行った思い出の話とか、今度の花嫁体験の話とか、富士急の話とかを交えながらアイデア会議は進んでいく。

やっぱり身体でコミュニケーションしたからなのか、ある種の清々しさみたいなものがあった。この後予定があって、この場を一足先に出て行ったのだけど、山城さんは身体でコミュニケーションをして、あいつらから無駄な熱を抜いた後、まるで部活後にだらだらするような雰囲気で話し合いを始めた。あいつら中高生にとって、「話し合い」というのは運動の後の「憩い」であるのだ。それは何かをしたあとのぼくたちの「飲み会」のように。計算してかしらずか、大人の憩いと中高生の憩いの方法を重ねあわせたNIPのコミュニケーションの術には本当に脱帽した。

そんなこの日のレポートはこれ!↓↓




2010/12/14

12/13 終わりのデザイン

今年ももうすぐ終わるし、大学ももうすぐ卒業する。十何年か続いた「学校に通う」という生活ももうすぐ終わる。清々しい気分である。

さてところで、ある活動を通じて人びとに「生きられた時間」のその「終わり方」について、今日は考えた。「死」と「墓」と「喪」のメタファーで、「終わり」と「始まり」について考えてみる。その意味で、小此木啓吾さんの『対象喪失 ―悲しむということ』はとても素晴らしい参考文献。

失うこと、終わってしまうことへのより良い「喪の作業」によって、次の始まりを獲得することができる。喪とはつまり、哀悼、対象への愛情の認識、自己認識、発見、着想、アクションという過程のこと。ある時間への「喪の作業」を形式化することは、哀悼からアクションへの過程とその行為のデザインが可能。

2010/12/12

12/11 第3会オープン・ミーティング

小沢剛さん、山本高之さん、両アーティストの想いのこもった言葉を聞かせてもらいました。感動しながら話を聞いていました。なんと来場者は90人越。




全3回の「オープン・ミーティング2010」は昨日で終了いたしました。ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。ミーティングの内容は現在書き起こし中です。公開方法は検討中ですが、これまた新しい挑戦になりそうです。

どうぞご期待ください。