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2011/05/02

2011/04/29 山本プロジェクト始動


4月27日-29日、山本高之さんが東京滞在中に、打合せしたり人にあったり、がががががっと企画の大枠をつくった。
27日はアートポイント計画ディレクター森さんと呑み、28日はリサーチで関わってくれる石幡愛さんと、29日は練馬区立美術館の真子みほさんとミーティング。打ち合わせづくしでおつかれだったので、最後は秋葉原のインド料理やでカレーとビール。



彼は、子どもたちの前で"先生"のように振舞うらしい。

子どもは"先生”との関わり方を知っているから、学校の作法で彼の話を聞く。そのなかで言われたことをこなしていると、どうも学校の授業と違う。何かが”理解できる”わけでもないし、特定の”技術が身につく”わけでもない。彼曰く「どこかよくわからないところ」に連れていかれてしまうと。

山本さんは、"学校の先生"という確立されている作法を活用してアートワークをつくる。それは社会の仕組みを反映しつつ、それを無意味なものに還すためなんじゃないかと思う。意味とは自明のものではなくて、無意味から見出されるものだし、状況によって変わるものだと思う。山本さんは「自分で無意味から意味を見出すことの(しんどい)自由」の領域へと、子どもたちを連れて行く。

アーティスト・イン・児童館では、このことを共有しつつ、"学校の先生"という児童館になじまない振る舞いをどう引き受けるかが焦点になる。スタートからゴールまでがはっきりしている山本さんの制作プロセス。それに対して、制作の過程にどんどん巻き込んでいくアーティスト・イン・児童館の方法論。山本さんの方法論をどうやって拡張するか。ここが見所です。

2011/04/28

2011/04/24 西尾美也新プロジェクト

24日(日)は、東大泉児童館のレジデントアーティスト西尾美也と打ち合わせ。《ことばのかたち工房》の3年間の経歴を踏まえて、新しいプロジェクトに着手します。

まだ全貌は明かせないけれど、《ことばのかたち工房》で培われてきた古着を立体にする技術。様々な「かたち」を生産し、シリコンバレーのような工場地帯をつくります。児童館だけじゃなく、敬老館、地区区民館なども視野に入れて。

5月14日「ことばのかたち工房展」関連イベントの際に、全貌が公開されます。

2011/04/25

2011/04/25

今日は一日何にも考えずに、だらーっと過ごしている。コンセプトブックが無事入稿されて、ちょっと一息です。明後日には納品。

昨日は、ナデガタの映画『学芸員Aの最後の仕事』の主役フェイス山田役をやっていた前田香織さんがハウスマッカリに遊びに来てくれました。事務局ミーティングもあってみんなもいたし、東方さんと梅ちゃんを誘ってお好み焼き食べました。が、みんな焼き方しらないのね。

福島第一原発から3キロのところに暮らす前田さんは、ぼくと同い年。府中の友人宅を間借りして、深夜のピッキングのアルバイトで生計を立てているんだって。ご両親は加須市の避難所での生活を続けているそう。思いがけず、アー児の活動を手伝いたい!と言ってくれたので、どんどん遊びにきてほしいなと思います。

被災地の状況が大変なことは、ぼくも現地の視察を通してほんの少しだけ知っています。実は、先々週に宮城県のほうに行ってきたんです。東北での表現活動のためのネットワークをつくる活動(仮称:Art Volunteer Network)に参加することになって、そのリサーチで。亘理町、名取、塩竈などを巡ってきたけれど、被害の範囲のその広さを肌で感じました。

今、人々には「表現」が必要だと感じています。話すことや絵を描くこと、編み物や縫い物など、何でもいいんだと思います。世界と自分との関係を手や身体を使って編みなおしていくことができれば。というか、このことは今に限らず、これまでもこれまでも考え、実践する事なのですが。

2011/04/22

2011/04/21 ブック入稿+空鼠

久しくブログを更新せず。
コンセプトブックがいよいよ入稿。来週の水曜日に納品予定です。

今日は高校の後輩であり友人である村上慧くん、橋本巧くんたち5人がやってる共同アトリエ空鼠に遊びに行ってきました。3階建てのビルで、1Fがギャラリー/アトリエ。2Fがオフィス。3Fが寝室。なんと彼ら一つの部屋に単管で2段ベッドを組んで、そこにみんなで寝てるのです。ほんとにネズミみたい。生態系的な意味で面白い場所です。





魅力的なこのスペース。アー児チームも遊ばせてもらおう、ということで、5月に一緒になんかして遊ぼうと思っています。乞うご期待。

2011/04/03

2011/04/03 Yazmany Arboleda

Today , Yazmany Arboleda came to Tokyo and HouseMackari.
He is very kind person that teaching English to us.

We talked about art , society , and present situation in Japan.
He is thinking a many things honestly.

I want to do some project with him, in children's house ,by our coordination.

: )

2011/04/02

2011/04/01 移動・移転・移住


東京にどれだけの人が疎開して来て、どんな生活するのかを考えてる。でも一方で、東京も離れたほうがいいんじゃないかとも思ってる。

今回の震災で困っているのは、想像力が乏しくなっていること。「当面のところ安全です」みたいな報道を信じようとしているから、東京を離れる、移住するということを想像できなくなってる。と、書いていて気づいたけど、この災害以前から東京から離れるということを想像できなくなっていた。これまで3年間地元の練馬でプロジェクトを続けてきたし、これからもーとか考えてたし、今もそれにしがみついてるところ。日常を守ろうとしてるんですよね。でも、移住先と移動手段は探せばあるんだから、全く想像できないはずがない。今、被災地では16万人の人が避難所生活を送っている。別の避難所に写る人や、移住する人も多くいるはず。移住するということを想像しリアルに感じる手段がほしい。

よく考えれば、去年の夏ごろから、ぼくのキーワードは「移動」だった。移動することの想像力を子どもと共有できるかどうか、これにチャレンジしたかったのだった。

2011/03/31

大久保児童館によせて

大久保児童館に絵本を届けに行った。そのことを書こうと思う。

大久保児童館との出会いは、2年前に「大久保アートプロジェクト」の企画をしている小山さんという方から「大久保児童館で〈アーティスト・イン・児童館〉を」ということで声がけしていただいたことから始まる。結局その企画は実現しなかったのだが、歌舞伎町の裏手に多国籍の子どもたちが集まる場所があるという話は印象に残っていた。

それから一年も立たないうちに、大久保児童館のことがまた頭に浮かんできた。キッカケは演劇ユニット「Port B」の高山明さんから、新作《完全避難マニュアル》の企画に呼んでもらったことだった。都市の様々な場所をめぐるツアーパフォーマンスという形式の演劇をつくる「Port B」の新作は、インターネットの診断サイトから山手線各所に設けられた「避難所」に誘うというもの。高山さんからのオーダーは、出会いカフェや喫煙所、モスクやお墓、シェアハウスやネットカフェなど、人が「ある時間」を過ごす場所が設定されている。その中に「子どもの居場所」をつくりたいという内容。それを聞いて思い浮かんだのが、新大久保駅から徒歩10分のところにある「大久保児童館」だった。

歌舞伎町の裏、コリアタウンの奥。保育園、ことぶき館が併設する築40年の複合施設の3階にこの児童館はある。中国、韓国、タイ、フィリピンなど、アジアを中心とする多様な国の子どもたちがこの場所には集まっている。マンガを読んだりボール遊びをしたりできるところは普通の児童館なのだが、夕方からは各国の言葉に合わせた日本語教室が行われている。

美術家の蓮沼昌宏さん、担当コーディネーターの佐脇さんとともにアイデアを出し合い、児童館職員の沖さん、美濃部さん、館長にも参加してもらいながら企画を作っていった。この児童館は2箇所以上の「避難所」をめぐった観客のみ入場が許される場所となり、そこではこの《完全避難マニュアル》をテーマにした絵本『新山手線ものがたり』をつくることになった。観客とスタッフがこれまでにめぐった避難所のことを児童館の子どもたちに語り、絵と言葉を書くという想定。しかしいざプロジェクトが始まってみると、制作に没頭する大人と、その周りで手伝ったり茶化したりする子ども、という関係が出来上がっていった。小学校1年生の子たちが特に興味をもっち、中には日本語がまだ上手く扱えない子も多くいた。

この企画の中でひときわ目立っていたのは、初めて会った時から蓮沼さんやぼくによじ登って離れなかったHくん。彼は絵本の企画が始まって以来、とにかく表現をしまくった。絵の具やシールや木工ボンドや粉を思うままに操り、人の絵に手を入れ、紙が破れるまで筆をこすりつけ、ダメ!と言われることも難なくやってのけた。Hの表現はとどまるところを知らず、他の子どもたちも彼に触発されて、手に絵の具をつけたり、紙に直接チューブを絞たりし始めた。Hやその周りの子どもたちが観客やスタッフが書いている絵に手を入れるものだから、キレイにまとまった絵よりも、彼らの遊びの痕跡を残した絵が多くなった。ぼくたちはこの企画で、子どもたちの日常に小さな裂け目をつくりだしていたし、同時にぼくたちの想定を揺るがされうろたえを体験していた。そしてそのうろたえは、想定を超えるキッカケとしての価値を持っていた。

ところが、期間中《完全避難マニュアル》は観客とリピーターが増え続け「新大久保駅の避難所」としての最後の日(11月26日)は、30人近くの観客がこの場所に押し寄せた。絵本をつくっていた小さな部屋には入り切るはずもなく、ホールでボール遊びを提案した。「カイセンドン」と言われる戦争を模した遊びも、異様なほど盛り上がった。しかしその盛り上がりは、描いていた絵を崩されるうろたえや、突然フィリピン語で始まった喧嘩に出会うような小さな驚きを、全くかき消してしまった。Port Bの作品の、そういう少し説教くさい感じは嫌いじゃなかったのだが。この児童館との関係はひとまずここで途切れていた。

この途切れを編み直すために担当の佐脇さんと一緒に、散らかった絵本をまとめて綴じることにした。放っておけばそのまま終わらせることもできたが、どうにもそれはしたくなかったのだ。時間も予算もないので編集は一切せず、80枚以上の絵をスキャンしてサイズを統一して出力し、駅ごとにまとめて綴じた。そして絵本の原本は、今日3月30日子どもたちの手に渡した。先の震災で中国や韓国に戻ってしまった子が多く、3人にしか手渡せなかった。「避難所」と名付けていた場所から別の場所に「避難」するなんて皮肉だが。表現をしまくったHは自分が描いたものと自分が気に入ったもの(蓮沼さんやぼくのものも含まれる)を30枚近く選びだし、大きな袋に入れて持ち帰っていった。Hは目に止まったものはじっくりと見渡し、何度も絵を見返していた。「これおれのだ」とあの時間を思い出しながら、「これ誰が描いたんだっけ?」とあの場所に来た人たちとの関係を確かめながら、丁寧に選んでいった。



少し長いテキストになったが、最後に。

この児童館は、明日3月31日で閉館する。総合福祉センターに統合され、老朽化したこの建物は取り壊される。都市を象徴する場所新宿の裏手にあり、様々な国の言葉を飛び交わせながら子どもたちが遊ぶこの場所は、明るい未来を見せてくれる場所だった。閉館と取り壊しは本当に寂しい。《完全避難マニュアル》のスタッフとして「避難所」と勝手に呼んでいたが、震災のあとには子どもたちに変わらぬ日常を与え、迎え入れるこの場所は紛れもない「避難所」になった。しかし、子どもたちは震災後に自分の国に一時的であれ帰国したし、この場所を利用していた子どもたちは閉館後、別の児童館、別の遊び場へとちりぢりになっていく。絵本のことと地震のことと閉館のことを無理やり繋げるつもりはないが、閉じてしまい、無くなってしまうもの、途切れてしまうことをいかに引き受けるかを問われている気がしているし、綴じた絵本はそれを再び開き、編み直し、組み立て直す何かになると希望を持っている。Hが絵をもって帰ったことは、その希望を開いている。