ページ

ラベル ことばのかたち工房 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ことばのかたち工房 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015/07/06

新しい古着の遊び方 その1

6月28日(日)は友達の誕生日で、なにかと印象に残っている日なのだけど、今年のこの日は「浅草橋天才算数塾」という場所で、「浅草橋古着サロン《新しい古着の遊び方》」というトークイベントがあって、FORM ON WORDSとしてぼくと竹内さんで参加した。

前回4月に開催されていたときに遊びに行ったのだけど、それがすごく面白かった。TIME OUT TOKYOから引用すると企画概要はこんなかんじ。

会場ではトータルコーディネートで1万円以下の古着の展示販売する。出店者は、セクシーキラー、中嶋大介、平山昌尚、軸原ヨウスケ、嶺川貴子など。「ヴィトンのバッグを持ち、フォーエヴァー21の服を着る。ニューバランスのスニーカーを履き、アークテリクスのバックパックを背負う……」といった画一的な巷のファッションに対して、無限の選択肢を提示する。

で、その時の写真がこれ。



ぼくは津村耕佑さんがコーディネートしたというセットを買った。もともとぼくは他人の服を着るのが好きで、「半分自分で半分他者」みたいな感じがするのがとても居心地がいい。ここで販売されていた誰かが組み合わせた服はもはや他人の抜け殻をもう一度着ている、みたいな気分になって面白い。このイベントのコンセプトは自分の洋服の消費の仕方にとてもよく合った。

今回のトークイベント「新しい古着の遊び方」では、デザイナーであり『展覧会カタログ案内』や『アホアホ本エクスポ』などの著作で有名な中嶋大介さん(フィナムでのブログ「eat,buy,repeat!」が面白いです)と参加者を交えて、服の消費の仕方についてあれこれと話をした。

話題は「ファストファッション」と「古着」の比較で進んでいった。



ファッションコーディネートの検索ができる「WEAR」など、アプリを使えば、「失敗しない服選び」を誰もができる。自分の体型に近いオシャレな人をフォローして参考にするだけでなく、その人が身につけているアイテムを買うこともできるようになっている。指先でタッチパネルの画面をめくりながらコーディネートできる時代だ。かつてはメンズノンノなどのファッション誌が「この夏はチビTだ!!!」と言っておきながら、数ヶ月後には「まだチビTを着ているやつがいるぞ!」と、流行遅れの不安を煽るようにファッションがかたちづくられていた。一方現代では、ある種のビッグデータ的なものから、流行がつくられる。

「ファストファッションは、そうやって流行にもすぐキャッチアップしているし表層的な見た目はいいとしても、縫製はどうなのか?品質はよいものなのか?」という疑問もでたけれど、これまた縫製もよくできているらしい。ロット数が多い方が、やすく、そして縫い子さんたちが慣れるから、縫製技術も向上した状態で納品されるらしい。

じゃあもうファストファッションでよくね?ってなるところ、古着好きの側の意見。古着は、着こなすには工夫が必要になるし、新品のようにぴったりのサイズというのはなかなか無い。サイズや形が身体に合わない、ということから着ることを楽しむのが、古着の楽しみだ。

最近読んでいた本で『空間の経験 身体から都市へ』という本がある。そこには、空間の知覚とは、視覚と触覚と運動感覚による、と書かれている。

「服に袖を通す」という体験は、その意味では「空間の経験」だ。腕がスルリと筒状の空間を通り抜け、しっとりと生地が皮膚を撫で、背中と胸とおなかをふわっと包むときの感覚をもって、その服の心地を把握する。

新品の服は、身体や時代にスーツするようにできている。古着には、そもそも日本人の体型に合わせて作られていなかったり、シルエットが古い時代のものだったりするので、袖を通したときにぴったりこない。むしろそのズレや余白感、違和感を楽しむ、というのが古着の楽しみ方なのだろう。

触覚文化としての服と、服の物語経験についても話が出たし考えたことあったけど、ちょっとそれはまた次回に!


*関連する記事はこれ


2014/09/13

服をつくる、無数の選択、切実さ ー拡張するファッション展 その3

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館にて開催中の「拡張するファッション」展、関連企画として、先月FORM ON WORDSで服づくりのワークショップ《ファッションの時間[丸亀]:普段着》をやりに、四国へ。

FORM ON WORDS《ファッションの時間[丸亀]:普段着》
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館「拡張するファッション展」 
©FORM ON WORDS

内容はこんな感じ。

====

永遠に着たいほど気に入っているけれどほころびてしまった、年齢にあわなくなってしまった、好きだけどどうにもからだにしっくりこない。《ファッション時間丸亀]:普段着》は、参加者がそうした悩みを持つをもちよって新しい普段着につくりかえるワークショップです。模様やシルエットを変えていくだけでなく、スマートフォンをいれて音楽を聞くためポケット、縫い物をするとき針山になる袖、近所レザーショップで買ったアクセサリーを飾るためボタンなど、自分日常ある一瞬ため「装置」を付け加えていきます。新しく付け加える素材には、《ファッション図書館[丸亀]》で集められた、物語を持つ古着を使います。複数物語を持つが素材となって、かけがえない自分日常1シーンためかたちができあがっていきます。
(「拡張するファッション」展ウェブサイト/http://www.mimoca.org/ja/events/2014/08/20/1199/より)

====

参加者は中学生から大人まで。5日間連続のワークショップ。9月23日(火/祝)までそのアーカイヴが公開されていますよ!




人が服をまとったすがた・かたちは、無数の選択の結果


参加者(というかぼくも含めて)ほとんどが服づくりの素人。ミシンの使い方ぐらいはちょっと経験がある程度。ぼくもワークショップをしながら、「服をつくる」という行為のその片鱗を、初めて経験した。進行役でありながら、恥ずかしくも服づくりの素人であるぼくは、進行役/参加者と2つの立場でここにいた。

これから書くことは、服づくりの経験がある方からしたら、そんな基本も知らないのかよ、というレベルだし、まがりなりにもファッションブランドに関わる人間としては恥ずかしい発言の数々に違いない。でも、驚いたことなのだから、嘘をつかずに書きます。



服づくり、というか物事をつくること全てに共通することなのだと思うけど、いま、この時代、ある場所にその風景があること、それはつくる人、買う/選ぶ人、着る/使う人、といった複数の役割の、無数の選択の結果なのだ、ということ。

服をつくる過程には、人がその服をまとったすがた・かたちをもたらすために無数の選択がある。つくる人による、形、生地、色、縫い方の選択。着る人による、着方、着ていく場所の選択。あるいは服とどのようにして出会うか。

その選択の道すじが、そのムードを微細に仕立てあげていく。選択とその結果起こる出来事と相関して、やわらかさ/かたさ、重さ/軽さ、明るさ/暗さ、おかしさ/真剣さなどを綯い交ぜにした現在の人々の風景をつくっている。






ミシンを使うまでの準備と、平面が立体になること


ワークショップの中で、最初に驚くのはその工程。ぼくには服づくりというと、布を切って縫う!ぐらいのイメージしかなかった。それが実際に作業をしてみると、その部分ごとに多様な工程があり、一つの部分にもいくつもの工程がある。パターンをとり、生地にチャコペンで書き写し、布の地の目を意識しながら布を切り、縫いしろを折り曲げながらまち針で止め/仮縫いし、ミシンで丁寧に縫い、ロックミシンで端を始末する・・・・・・といういくつもの工程がある。専門家いわく「縫製がうまいひとは、ミシンの使い方が上手なのももちろんだけど、縫うまでの準備がうまいんです。」と。

そしてなにより!布という平面を立体にするわけなので、平面で切ったかたちと、できあがるかたちは違うのだ!その違いを予め把握しながら形を考え、切らなくてはならない。ミシンを使うまでに、やらなきゃいけないことがたくさんあるのだ!FORM ON WORDSの中で服づくりの専門性をもつ竹内さんはこの「工程」のボキャブラリーが豊かだ。豊かすぎて「これもできるしああもできるし」となって判断できなくて「どれがいいですか?」と参加者に委ねまくる。(そこがいい結果をもたらす)




服づくりの技術を身につけるには本で学ぶより手本を見るより、何度も繰り返しつくるのがよいと感じた。はじめはわけがわからないまま、指示を得ながらつくっていくのだけど、経験を積んでくると、どんな素材を使ってどうやって型をとり、どうやって縫いあげたら仕上がりが綺麗になるか、を考えるようになる。無数の選択の結果が服の「かたち」をもたらしていくのだということに気づく。



気づかれないディティールがつくりだす全体のムード


その「かたち」は、もちろん生地の切り方や縫い方によっても変わってくるんだけど、ものすごく些細な部分へのこだわりが全体に影響する。抽象絵画の、たった一つ新しい色を加えるだけで全体のムードを変えてしまうのと同じように。





今回のワークショップでは、日常生活における様々な場面を想像し、その1場面のためだけの服をつくっていった。スマートフォンをいれて音楽を聞くためポケット、縫い物をするとき針山になる袖、近所レザーショップで買ったアクセサリーを飾るためボタンなど。日常のワンシーンも、微細に考えてみると、様々なことが浮き彫りになる。そのとき自分はどうするか、どこにどんなものをつけるか、ほんとに些細な部分だけど、服のディティールが変わっていく。あーそうなのか、服のデザイナーはこうやってほとんど人には気づかれないようなところに気を配り、雰囲気をつくっていくんだなぁ…と。



切実で小さな決意たち


とかまぁそんなふうに服作りってすげぇなと素人まるだしの驚きをおぼえながらぼくはワークショップの進行をしていたのだけど、もっともグッと来たのは参加者ひとりひとりの「切実さ」だった。今回の参加者のなかにはまったくの素人(like me)から縫い物やファッションが好きな中学生、そして服作りのプロとしての技術をもっている方までいろんなひとがいた。FORM ON WORDSのサポートはあるけれど、全員、自分が普段それを着ている姿を想像しながら自分で服をつくるわけなので、一つ一つの選択に「このやり方でかわいくなるかな?」「間違えやしないだろうか」「変ではないか」という不安がある。


そんな切実な迷いと不安を前に、一人ひとりが自らの美的直観をもって、よし、やろう、と小さく決意していく様。やったことのない初めてのこと、できあがるまでうまく想像できない未知のかたちを目指して、一つ一つ乗り越えながらやっていく様。「自分がなにやってるのかわからんくなる」とか「このやり方はあってるんだけど、もっとおもしろやりかたがあったんじゃないか」とか「これ以上手を加えていびつになるのはいやだ」とか。でもそうやっていくうちに、個人のなかにあった未知のセンスが服を通して浮き彫りになって、自分のかたちになっていくのが少しずつ見えてくる。

「ファッション」のすごく嫌いな部分は、本当はその人らしいいろんな好みがあって、それを丁寧に愛していくことはいいことなのに、そういう個性を否定するかのように「こういうのがいい」「こういうのがモテです」「こういうのは非モテです」と提案し、人々のバラバラな美的感覚の方向性を強引に束ねてしまう欺瞞的な力をもっているところだ。そういう大きな方向性にノレない人は(ぼくもそうだったが)服を選んで着ることが億劫になっていく。あるいは服のブランドや値段といったものにだけ価値を見出し、それが似合うとか似合わないとかはどうでもよくなってくる感じ、そういう中高生を何人か見ている。



今回のワークショップは、そもそも何も手本がない状態から立ち上がっていく。既製服を買わず、自分でつくるということは、そういう「ファッション」の提案する美的な方向性に頼ることができない状態に自分を追い込む。信じられるのは自分が言語化できる範囲の自分の「好み」と、それがかたちになったときに「こうなったらいいな」というおぼろげなイメージでしかない。そのおぼろげなイメージに向かって、小さな不安を乗り越えながら、そしてFORM ON WORDSのささやかな提案と他の参加者のセンスに小さく後押しされながら、つくっていくみんなの姿が勇ましく見えた。

もちろん!ワークショップとしては反省点がありちらかしてるし、ぼくももう少し日常的に服づくりしようかなとか色々考えている。しかし、永遠に着たいけれど着られなくなってしまったものをもう一度新しくするための技術を学べ、その挑戦ができるきっかけを人は求めていて、このワークショップを通してつくっていける展望が見えた。





最後に謝辞を。

ワークショップの機材・備品の準備から飲み会、そしてみなさんご自身の服づくりまで(!)一週間みっちりお付き合いくださった丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の古野さん、平山さん、林さん、宇川さん、佐藤さん、みなさんの機敏なサポートのおかげで、得難い経験をすることができました。またMIMOCAに遊びに行ける日を楽しみにしています。

そして参加者のみなさん、今回の経験がこれからの生活に役立つことを願っています。またどこかでお会いできますように!

最後の最後に、このワークショップの試作にご協力くださった、央子さん、大菅さん、お二人のお陰で見えた課題が、このワークショップに活かされました。

みなさま、本当にありがとうございました。




2014/03/05

ファッション、物語、戯れ ―拡張するファッション展

2月28日〜3月2日、水戸芸術館へ。「拡張するファッション」展に参加しているFORM ON WORDSとして、その最初のワークショップをするために。んだけど、まずこの展覧会が素晴らしくて大好きになってしまったので、そのことをかく。



ぼくは正直、この展覧会を見くびっていた。ファッションという思考の枠組みは強固なもので、それを崩せるのかな?「好きな人はすきだよね〜」という感じに終始してしまわないかな?と、心のどこかで思っていた。でも、それはぼくが間違えていた。

服を着たり着させたり、つくったりもらったりすることの間には物語があるし、その物語を自分の感覚で面白いほうに変えていける「そういうツールなんですファッションは!」みたいな強い波動を感じたし食らった。それは、この展覧会のもとになった本の著者である林央子さんがしなやかに手繰り寄せてきた文脈、林さんと並走して展覧会をつくりあげた高橋瑞木さんのタフネスなのだと思った。

「拡張するファッション」展は、90年代の写真の広まりや、雑誌やZINEなどのD.I.Yムーブメントから、生産者/消費者という二項対立を超えた、服を着ること、服を通して他者と関わることへの情念をかたちにした人たちの記録と現在を見せる展示だと思う。

ぼく自身とファッションのことを考えると、まず、ぼくはファッションを自分の生きるうえでの大事なものだと思っていなかった。そして、この展覧会が見せる90年代の熱量をリアルタイムでは感じてきていない。大学生になってから知ったスーザン・チャンチオロをコロコロしたかわいい名前の人だなぁぐらいにしか思ってなかったし、ミランダ・ジュライをソフィア・コッポラと混同してたし、コズミックワンダーを好きな人はすきだよね〜ぐらいにしか思ってなかった。


服を着ることへの自我が芽生えた中学生や高校生の頃はもういわゆるゼロ年代半ばで、原宿にいってラグタグに行って、フラボアやズッカやツモリチサト、リバースやバウンティハンターを買うの?買えないでしょ…といって古着屋に行く、という時代だった。コズミックワンダーやヒステリックグラマーの台頭してきた時代は、ぼーっとした小学生でしかなかった。

なにより「ファッション」というものを遠ざける感覚が自分にはあった。あるモノを持っている、まとっている、あるコトを知っている、というステータス消費のサイクルにハマっているだけじゃん!呪われてるだけじゃん!ていうかお金かかりすぎるじゃん!というような感覚をもって、ファッションのことを見ていた気がする。

しかし、この「拡張するファッション」展を観て、ぼくはここに参加する作家たちが、ひたすらに、誰かのために服をつくることや、誰かが服を装って、生きて、変わっていく姿を見ること、それを丁寧に、それでいてセンス全開にして楽しみ、慈しんでいることを知った。

この展示の始まりにあるホンマタカシさんの部屋は、ファッションというものが「コレクション」のような制度によって発信されていくものだけでなく、人々による服の着方/遊び方によってつくられていくものとして、ファッションの民主化の始まりとして位置づけられている。

「こういうの楽しいと思うし素晴らしいと思うんだよね」と発信していく人々が、大きな制度に依存するのではなく、日常的実践からカルチャーを創造していくたくましさとかろやかさが、ホンマさんの写真や、その後につづく「Purple」や「Nieves」「Here and There」といった無数のZINEから感じられる。

スーザン・チャンチオロの部屋には、彼女の日頃のスケッチとそれを映像化したものが溢れるように貼りだされている。メモ、スケッチという日常の手癖のなかに、他者に装いを与えること、その物語への詩情を感じる。

横尾香央留さんは、他人から預かった服の"お直し"をするのだけど、柄に合わせたり合わせなかったりしながら、ちょっとした遊びとしてきのこを生やしたりしている。服やそれを着る人の物語の、終わらない戯れの予感がある。

ここに参加している作家たちは、ファッションの魅力をよく知っている。ある意味では半分呪われていることを自覚していながら、そうじゃない、自分の感覚を信じて生きることを可能にする手立てとしてファッションがあることを、強く願っているんだなぁと。

個人的にここ1年ぐらい、ぼくはあらゆる場面で「まぁそんなもんでいっか」とか「誰かやってくれるっしょ」みたいな怠惰な態度で生きていたと思うし、「こういうことをしたらドキドキする」とか「このワクワクは他人にも共有できるはずだ!」みたいな感覚を閉ざして、最低限のタスクだけをこなそうとするような、そういう生き方をしてきていた。だからこそ、この展覧会のなかにあるモノゴトの熱量には食らったんだろうなと思う。




FORM ON WORDSもまたその名の由来の通り服にまつわる「ことば」を集め、それを「かたち」にしていくプロセスのなかに「遊び」を取り入れることで、物語の読み方を複数化することに腐心している。


今回のメイン展示「ファッションの図書館」は、ファッション誌やファッション史の陳列ではもちろんない。個人の装いにまつわる物語=ことばの蓄積をつくりだしている。手前味噌だけど、強烈なリアリティだった。例えば亡くなった人の服とそれにまつわることば、かつて子どもだった誰かの服やその思い出など、目前にその服があると、そうした物語が自分たちの身の回りに無数にあることを、がっと思い出させられる。そういえばぼくの今日着ている服も、あの人から選んでもらったやつだったわ。その服を着ていることに、別の意味があることを思い出す。

そんなふうにして物語を預かったFORM ON WORDSがどんな風に服/かたちをつくっていくのか。ワークショップの過程は後半に続く。







2011/08/25

0824_ショーが終わって


子どもたちがファッションに触れるって、ぼくはなかなか難しい事だなと感じた。

感想を聞いてみると、緊張したけど出られてよかった、とか、次は自分も出演したい、とか、いい経験になってよかったと素直に嬉しい。難しいのは、スポットライトを浴びることができるステージなら他にもたくさんあるし、子どもが関わるファッションはたくさんある、ということだ。ぼくたちは、いや、《Form on Words》は彼らにそれ以上の問いを残すことができたのだろうか。いわゆる「子どもらしさ」「ファッションっぽさ」を乗り越えることができたのかな。それはこれからが楽しみなところ。

それ以上に、一般の人からモデルスカウトしたり、児童館の工作室を使わせてもらっていたりして、いろんな人が関わっているわけだから、あらゆるトラブルシューティングをしなければいけなかったし、心地良い場になるように設計しなければならない。それが結局、ことばに基づく新しい形につながっていくわけだし。

ありったけの反省と、確かな前進。

2011/08/15

20110814_ことばのかたち工房Pro


music by Shuta Hasunuma

Form on Words Fashionshow 2011.08.20 sat 16:00-

最近見ているSFアニメの中の、「未来が過去に影響するということだよ」というセリフがかなりぼくの気に入ってる。ぼくたちは10年,15年後の未来から、彼らの時空に干渉しているのだ、と考えるほど。

ところで、このビデオは子どもたちと一緒にファッションショーのモデルをスカウトしに行ったときの映像を編集したものだ。彼らと共に児童館から駅前のロータリーに出向き、街行く人たちを観察して「あの人いけそうじゃない?」「あの人優しそう!」と、話しかける人を判断していく。その中で、堂々としている人、突然話しかけてもよさそうな隙を残している人が見分けられるようになっていく。

翻って、自分のことを考えてみたらどうだろうか。駅から家に帰る時、ほとんど自分のことしか考えていないし、子どもに話しかけられたらもちろん驚くだろう。疲れているときだったら、イライラするかも知れない。そんな風にここを自分が歩いている、という別の時空を垣間見てしまった。

人々が街を歩く、という何でもない出来事のなかに、人々の生き様が現れてくる。そんなことを気にしているかはわからないが、彼らはまるでスパイ・ゲームのようにモデルスカウトを楽しんでいた。

時間とは、積み木のように積み上げられるものではなく、網にからむ蔦のように、複数の軸の間を行ったり来たり、出たり入ったりするものなんじゃないか。ぼくは彼らの姿に自分の過去を投影しているし、もしかしたら彼らはぼくやその他の大人に自分の未来を投影しているかも知れない。

そんなこと考えながら、ショーの5日前を迎える。

Form on Words Fashionshow 08.20 sat 16:00-

2011/08/03

0802_ことばのかたち工房Pro


《ことばのかたち工房Pro》が始まっている。「ファッションブランドをつくる」というこれまでのプロジェクトの中で、最も難易度の高いプロジェクトだ。しかし、面白いことがおきていて、大人が真剣に衣服制作をし、子どもたちがその様子を記録したり、街の中で宣伝をしたりしてマネジメントしている。こんな関係が生まれるとは思っていなかったから、嬉しい驚きの中でぼくはこの活動にいま向き合っている。

その中で思うのは、児童館って、「児童」の「館」と銘打たれている以上、そこにいる0~18歳の人は、どうがんばっても「子ども」になってしまう。「もう子どもじゃない」という自我が芽生え始めている人でさえ。だからある程度の年齢になると児童館には来なくなる。

中高生対応というのも、中学生にとってはカードゲームやPSPをだらだら続けていてもやっかまれない場所がほしいだけなのかも知れない。そこに企画を突っ込んだりしても、彼らにすれば当然それはうざいだけだ。

大人がたくさん児童館に来て、古着が山積みになっていて、なにやら議論が行われている。興味を持って関わろうとする子たち、特に10歳以上の子にぼくは「仕事」をオーダーする。ポスターを書いてくれだとか、モデルをスカウトしてきてくれだとか、ビデオを撮ってくれだとか。頼まれた彼らは、「どうやってやればいいのか教えてくれ」とか「こういうふうにしたい」とか、それなりに受け応えをしてくれる。本当なら仕事なのだけど、「児童館」という場が、遊びと仕事が混ざった状態にしている。

これでいいのだ。
これから先が楽しみなのだ。

2011/07/13

7月17日(土)オープニング・ミーティング



アーティスト・イン・児童館2011[予告編]
オープニング・ミーティング

ファッションショー、パレード、フェスティバル!?2011年度「アーティスト・イン・児童館」の新たな企画がいよいよ始動。多彩な招待作家3組による作品プランを紹介し、その中でいかに遊ぶか、来場者を交えてアイデアを広げるオープニング・ミーティングを開催します。プロジェクトを一緒につくるサポーターについての説明も実施。入場無料、予約不要です。子ども、地域、アートに関わる活動にご興味をお持ちの方、お気軽にご来場ください。
ゲストアーティスト:
西尾美也/山本高之/Nadegata Instant Party(中崎透+山城大督+野田智子)
※中崎透さんは都合により出演できません。ご了承ください
会場:アーツ千代田3331 東京文化発信プロジェクトROOM302
日時:平成23年7月17日(日) 18時~19時30分
   ※19時30分から20時まではサポーター登録をしていただける時間となっております
お問い合わせ▶
アーティスト・イン・児童館 実行委員会 事務局
〒178-0064 東京都練馬区南大泉3-14-27
mail: info@jidokan.net
tel   : 080-1207-1395(担当:臼井)
主催:東京都、東京文化発信プロジェクト室(公益財団法人 東京都歴史文化財団)、アーティスト・イン・児童館実行委員会

2011/05/27

2011/05/14 ことばのかたち工房展 最終日



ことばのかたち工房展、ご来場いただきましたみなさま、ありがとうございました。
これから西尾さんの新しいプロジェクトが始まります。リリースまでしばしお待ちを!

2011/04/28

2011/04/24 西尾美也新プロジェクト

24日(日)は、東大泉児童館のレジデントアーティスト西尾美也と打ち合わせ。《ことばのかたち工房》の3年間の経歴を踏まえて、新しいプロジェクトに着手します。

まだ全貌は明かせないけれど、《ことばのかたち工房》で培われてきた古着を立体にする技術。様々な「かたち」を生産し、シリコンバレーのような工場地帯をつくります。児童館だけじゃなく、敬老館、地区区民館なども視野に入れて。

5月14日「ことばのかたち工房展」関連イベントの際に、全貌が公開されます。

2011/03/07

《ことばのかたち工房》展 3/25~

3月25日から、東大泉児童館にて、ことばのかたち工房展が開催されます。26日17:00~オープニングパーティーです!
なお、児童館という会場の特性上、ご来場は予約制になります。
下記内容をご記入の上、メールにてご連絡ください。

==
宛先:info@jidokan.net
件名:ことばのかたち工房展 予約
内容:
1.お名前:
2.電話番号:
3.  ご来場時間:
==
皆様のご来場、心よりお待ちしております。

2010/11/14

11/13 ことばのかたち/関わり方/また会えるはずだよ


ことばのかたち工房
 今日は高校生が来てくれました。さすがエリート高校のボランティア部。高校一年生なだけあって、楽しみ方を分かっていたようです。子供な部分と大人な部分が不自然に同居する彼女たち、とても面白い時期だなぁと思いました。そしてこの日は初めて、工作室での実施をしました。ちょっと奥にある部屋なので、子どもたちは今日「ことばのかたち工房」をやっているということがあまり分からない様子でした。でも、ギャルたちは集まるし、面白い少年たちは来てくれたし、充実していましたよ。

中村児童館
 12時ころに抜けだして中村児童館へ移動。今日は「あきまつり」だったのです。ナデガタ山城さん、野田さんが中村児童館の秋祭りを体験。山城さんは昨日の代官山UNITでのイベント「THE☆荒川智則」の徹夜明けにも関わらず、8時半に出動!すごいなぁ。





 でも、職員の子どもとのコミュニケーションの仕方を見て、自分も体験することができてよかったと言っていました。たしかに、アーティストとして制作する上では、アーティストは職員の立場は経験しません。今回のように児童館の現場に入り込むことで、その経験は生まれたわけです。場所や人物を記憶するだけでなく、児童館という場所のコミュニケーションの作法を読み込んでいく山城さんのリサーチ能力。すごい。
 一方で野田さんは、秋祭りの来場者の多さに驚いていました。この延長線上にキッザニアがあることや、秋祭りのよく出来た経済システム、そこに集まってくる子どもたちの欲求の在り方に驚きつつ分析をしていました。
 今度は、何か実際にかたちを作ってみたいということで、現在進行中の企画あり。もしかしたら一月に実現するかも知れません。それも興味深いリサーチのプロセスなのです。

池田さんのこと
 その後また、東大泉児童館に戻ります。この日は少しだけハード。
 この日、先日電話でチラシを見た、と連絡をくれて遊びに来てくれた池田さん。関町に住んで主婦をしていて、図書館でチラシを見てきてくれたのだそうです。子どもと積極的に関わるわけではなく、むしろ戸惑っていた彼女は、古着から取り出された紐状のパーツを三つ編みにする作業に次第に没頭し、その作業をずーっとしていてくださいました。
 ぼくは、子どもと無理に関わるわけでもなく、でも作業をして、たしかに池田さんがその場に居るこの状況が、とても魅力的だと思いました。戸惑いの中で見出したこの場所との関わり方が三つ編みを続けることだったと思うのですが、そのかかわり方を子どもたちや高校生が受け入れ、任せている様子に、感動してしまいました。こうした関わり方の中で生まれるものが、作品となり、あるいは材料となり、これから児童館の壁を超えてつながっていく道筋を作っているのです。

よっちゃんのこと
 それから、今日は東大泉児童館職員の、よっちゃんの最後の日でした。おめでたいことに2人目のお子さんができて産休に入るため、この児童館を離れることに前から決まっていました。彼女のことは以前も書いたけれど、活動のイメージを共有するために何度も時間を奪って、本当に困らせてしまっていました。とくにかばちゃん(2008年度まで10年間東大泉児童館に務めた職員)の後継でプレッシャーも大きい中で、北澤くんとぼくたちというあまりに未熟で無駄なプライドだけの若者とのやりとりに、相当苦労されただろうと思います。
 でも、ぼくたちが少しずつ上手にコミュニケーションを持てるようになっていく過程を、見守っていてくれたことを今日知りました。二十歳の頃の青臭い衝動を、彼女は戸惑いながらたしかに受け止めていてくれたのです。
 産休を終えたら、また練馬区で職場復帰をする予定だそうです。

「また会えるはずだよ。臼井くんなら続けてるはず。またきっと一緒に面白いことできるでしょう」

適切な距離感で付き合うことを覚えたぼくとよっちゃんの間に、拒絶はありえないなと確信しました。ぼくたちの活動が、彼女が復帰した職場に出会うことを、ただ楽しみに待つだけです。
 ちなみにお子さんの出産予定日は1229日。ぼくの誕生日が31日。そしてその子は男の子。誕生日が同じだったらふしぎだね、と、笑っていってくれたことが嬉しかったのです。

2010/10/19

10/17 古着回収+解体フェスタ



この日、「ことばのかたち工房」で使用する古着を近隣から回収するイベントを実施。
その後、いつものみどり広場で古着の解体。


前日の朝、代官山UNITから帰ってきてそのまま150枚のチラシをポスティングをした菊地さん。立派だね。



その結果、8軒のお宅から計70着の古着を回収させていただきました。すごいヴォリューム。

その後は恒例の古着堀り。



昼間は近所の大泉第二小学校でお祭り。知り合いに声かけてもらって、杏仁豆腐いただいたり、焼鳥食べたりしてました。

その後は大泉の「ことば」を探しにインタビュー。2件から「ことば」を発掘。





みどり広場での解体では、TとTとMが手伝いに来てくれたり、近隣のFさんが遊びに来てくださいました。女子たちは完全にリヤカーで遊んでましたけどね。



その後、夜は「ことばのかたち工房」の今後について話し合い。そろそろ方法論を大転換しよう!と意気揚々。西尾さんとも相談して、来年は今までの蓄積をふまえ、何か新しいことをしたい。