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2013/11/18

遊び、メディア、自治 ―YCAMコロガルパビリオンにて


YCAM10周年記念祭で設置された「コロガルパビリオン」。これは、ナナメに伸びる床やミニマルな山やジャングルジムでできた抜群のアスレチック感に加え、マイク、カメラ、LEDなどさまざまなデジタル機能が埋め込まれた公園型パビリオン。

遊び方を「習う」のではなく、子どもが身体をフルに使って遊ぶことで「生み出していく」というのがコンセプト。「子どもあそびばミーティング」というワークショップを通して、子どもによる新しい装置や使い方の提案、YCAMのテクニカルチームによる実装がなされ、子どもの意見によってアップデートされていく。

この映像をごらんいただければ、コロガルパビリオンがどんな場所か、一目瞭然。


Korogaru Pavilion from YCAM on Vimeo.
「コロガルパビリオン」
山口情報芸術センターに隣接する中央公園に設置された仮設の半屋外型メディア公園。斜面や飛び降り台といった身体的な要素と、照明や音響といったメディア的な要素が分け隔てなく存在し、相互に影響しあって子供たちが新しい遊びを創出するための基礎となります。遊具の使い方を習うのではなく、自ら考え創造しながら遊ぶという公園です。
http://10th.ycam.jp
http://www.facebook.com/YCAM10th


空間としては、去年の「コロガル公園」の検証と建築ユニットassistantが設計に加わったことで格段にパワーアップしていた。建築の特徴としては、二つの円形の空間があり、走り回る「速い遊び」とよじのぼる「ゆっくりな遊び」といった遊びの速さ、光の入り方、ウチとソトなどが対比された構造になっている。



面白かったのは「子どもあそびばミーティング」を通して、2つに分かれた空間をつなぐアイデアがいろいろ生み出されていたこと。片方でスイッチを押すともう片方から突風が噴き出る仕掛けや、それをモニタリングできる仕掛けなど、見えない2つをつなぐデジタルなメディアとフィジカルな遊びがリンクする。

そもそもデジタル=メディアではなく、人と人、人とモノ・コトを媒介するモノ自体が「メディア」と捉えることができる。その意味で言えばお金とか法律とかもある種のメディアになる。(商店街で展開されていた「LIFE by MEDIA」のプロジェクトは服や特技といった貨幣以外のモノを交換することで場が成り立つものだった)

コロガルパビリオンでは、その「法律」すなわち「ルール」にまつわる部分がとても興味深い。この公園の大きな特徴として、プレーパークと同様の「自分の責任で遊ぶ」「それ以外は自由」というルールを採用し、それを承認した上で入場させている。この責任の所在が全面的にYCAM側になってしまうと、危機管理が厳しくなり、子どもの遊びの自由さ/創造性を制約することになる。うらをかえせば、個人の責任で行われる遊びは創造性と自由度が高い。

もちろん喧嘩は起こるし事故や怪我もある。そういう諸問題に対応しつつ、子どもの遊びの可能性を拡張していくために「プレーリーダー」の存在がある。彼らが媒介になって子どもの遊びづくりをサポートし、またそれが他の子にもシェアされ、ゆるやかに連帯していく。もちろん、遊びだけでなく、喧嘩が起きた時の仲裁や、トラブルが発生したときの対応など、子どもたちが自分で考えられるように促していく。プレーリーダーはそこで生み出された遊びやルールのデータベースとして機能しているようにも感じた。(毎週1回、鍋を囲みながら会議をしている彼らの影の努力があってのこの機能だけれど)

プレーリーダーがサポート役となって、さまざまな遊び・ルールが生み出されていく。そこに「子どもあそびばミーティング」を通した公園機能のアップデートがある。これによって、自分たちの遊び場を(大人の協力を得ながら)自分たちでつくる、という「自治」が展開されているらしい。自分たちがよりよく遊ぶために、装置や企画をつくり、法をつくり、仲裁の仕方/されかたを学んでいくこの場には、行政・立法・司法のプリミティブな芽生えがあるのかもしれない。




更に面白いことは、会期の終盤になって、本物の行政を動かすための「運動」が生まれ始めているということだ。コロガルパビリオンはYCAM10周年記念祭における仮設建築として施工しているため、12月1日の会期終了とともに無くなってしまう。それを「署名運動」によってコロガルパビリオンを存続してもらおうと運動を起こした女の子がいる。




小学3年生の彼女は、署名用紙をお父さんに作ってもらい、YCAMのコピー機で印刷し、公園に設置している。周りの友達や来場者に呼びかけ、署名を集めている。これまでコロガルパビリオンの内側/遊びの中で経験されてきた「自治」がその枠を飛び出し、ついには本物の行政を動かすかもしれない。

こんな風に、子どもたちが自分たちの遊び場を(大人の協力を得て)自分たちでつくりだす、というコンセプトは「冒険遊び場」から生まれ、歴史は長い。しかし、メディアセンターが教育普及の一環でこの取組を始めた、というところに新規性がある。公園の新しい価値を問いなおすと同時に、メディアセンターや美術館自体の公共性のあり方を問い直す実践になっていた。

ぼくらが取り組んでいる《放課後アートプラン》においても、この事例が参考になる部分は少なくない。ルールや使い方を子どもたちとともに決めること。子どもたちにとって、そのほうが楽しい遊びができる!という実感があること。子どもたちのこんなことやってみたい!という「意志」と、自分で考えてつくる!という「責任」が喚起され、それを大人のサポートによって実現させていくこと。"環境づくり"がポイントになっているぼくらのプロジェクトにおいて、このコロガルパビリオンはひとつの重要なモデルケースになる。


2012/11/11

公共文化施設のコミュニティ・プログラム


今日は世田谷パブリックシアターで「公立文化施設のコミュニティ・プログラム」と題したシンポジウムへ。

考えたことは、「公立文化施設のコミュニティ・プログラム」に関わる人たちの「必要」とはなんだろうか、ということ。

第1部のテーマは「(コミュニティ・プログラムの)目的・対象・方法」。

公共文化施設に対して、まず税金を払うという関わり方をしている市民、区民、都民の「(潜在的な)必要」というのがあって、それにエクスキューズすることが公共文化施設の仕事の一つとなる。会田さんが言っていたように、公共施設の事業は行政の政策と不可分なものであって、プログラムを作る人がただ単に自分の興味関心でつくっていていいわけではなくて、議会での審議を経て提示されている自治体の政策方針とか、政策内容とか、施設に求められるものや自らが掲げるミッションと、プログラムをかみ合わせていくという作業がいる。

プログラムに参加する人びとの「必要」というのは、「これに参加すればこういう効果が得られる」とか「こういう知識を学べる」とか「こういう快楽が味わえる」ということだけでなく、「あたらしいものに出会う」という好奇心を満たすことであると考えてみる。しかし、好奇心の強さやベクトルは人それぞれだし、いろんな好奇心の有り様に応答していくこともまた、プログラムを考える側の仕事になっていく。

わけのわからないものに出会ったときに、それをしりぞけ思考停止させるのではなく、それに対して取り組むことが創造力だ、という会田さんの話にはすごく共感したし、わたしたちはどうしていったらいいのか、ということを美術や科学や演劇やメディアアートを通して、議会とは違う在り方で考えることができる場がコミュニティ・プログラムだとする野村政之さんの考え方にも。人びとが文化を更新していく創造力をもって未来というわけのわからないものに向かっていくためのコミュニティ・プログラムなのであって、そのために人が集まる場をつくり、集まった人びとがモノゴトをつくることを楽しめるような工夫をする。

個人の好奇心からだけでなく、仕事に関わる「必要」もある。たとえば学校の先生達は、鑑賞教育が組み込まれたときから芸術作品を鑑賞する、ということを身をもって子どもたちに伝えることが必要になり、よりよい鑑賞教育の方法を模索しているという。東京都現代美術館の郷さんは、アーティストの訪問事業に加え、先生たちの研修会に美術館の一室を提供したり、先生が無料で展覧会を鑑賞できるプログラムを実施したりして、この先生たちの現状に積極的にコミットしている。

そして最後に、プログラムをつくる側の「必要」というのはなんだろう、ということ。自分もそうだから、自分の「必要」を語るとすると、まず前提として自分がいいと感じる芸術を信じているし愛していると思う。そしてそういう芸術が人びとにエフェクトしたり、人びとからエフェクトされて芸術が変容していく風景をみたい、という「必要」、というか欲望がある。とくにそれが子どもであり、子どもの遊びによって芸術が変容しより奥ゆきを増していくプロセスに興奮するし、その興奮は生きていく上でもはや「必要」だということ。

あらかじめ定まっている未来などなく、いま・ここにあるのは、すでに生まれた人やモノゴトと、これから何かが生まれるという予兆であって、できることはそれを予想すること。そして、それを形にするのはほかでもない人びとの意志や行為だし、その形の価値はどんな文脈におき、どんな言葉や数字を与えるかでいかようにも変化する。人びとの必要というより意志を知り、何を為しているかを知るために、プログラムをつくる人間はよく耳をそばだてておかなくてはなるまい。そうして集めた情報や感じた気運から、人びとと何を為したら面白いかを想像し、すでにそこにあるモノゴトや文脈とすりあわせながら、それが実現するための時間を組み立て、空間に人やモノをあつめ、出来事を生み出し、その後に言葉や数字をあたえていく。面白い仕事だなぁーと思う。手仕事やフットワークによるプログラミング。

とはいえ、アーティスト・イン・児童館としては自治体の政策についてのリサーチも足らないし、ミッションももうすこしバージョンアップしたほうがいいし、文脈の整理も甘い。ドラマツルギーが要る。来年はいろんな情報を収集し、文脈をつくる作業に1年を充てて考えたい。

で、第2部は「地域と子ども」がテーマ。だったはずが、第1部とほとんど同じテーマになっていたような気がする。こういう場で質問するのは苦手というかあんまりやったことないのだけど、「ワークショップという言葉がたくさんでてきたけど、ワークショップはサービスと考えていますか?それともクリエーションだと考えていますか?」という質問と、「地域の子どもたちに施設をどのように活用してほしいと思っていますか?」と聞いた。

「ワークショップはサービス。そうでなければ市民に作品に奉仕してもらうかたちになる」と言い切った柴幸男さんは鮮やかで、なおかつ「ワークショップじゃなくても、地域のなかに作家の存在があって、創作の現場があるだけでいろんな影響や効果があると思う」という話には頷いた。どうやってその効果を測定すればいのか、また、どうやってその影響を効果的に生み出すことができるのかはまったくわからないけれど、アージにトライできる重大な部分な気がする。

大変刺激になった一日でした。明日からまた走る。

2012/07/23

子どもあそびばミーティング

YCAMに3度めの訪問。毎回美味しいお刺身食べて、日本酒飲んで、たくさん話して知識を得て、楽しいことばっかりな仕事もこれで最後。詳しくは今度まとめて書きますわ。

子どもにアイデアを考えてもらい、そのアイデアによって公園の機能をアップデートしていく、ということをするんだけど、子どもにアイデアを考えさせるとき、評価の対象になるのは、2種類ある。1つは大人がやってることのきちんとした「再生産」。滑り台がある、砂場がある、ブランコがある、といったようにデフォルトの公園を再現する能力。もう1つは、放ったらかしの「自由」。公園にワニがいる、ドラゴンがいる、魔法の杖がある、みたいに非現実的で実現性のないアイデアを描いたものが「独創的」という理由で評価されるか。そのどちらかが多いんだけど、ぼくはどちらもしょうもないというか面白くないと思っていて、「再生産(=規制)」でも「自由(=放棄)」でもない、「ひずみ」を生み出す仕組みを考えたかった。ヘンテコかつ具体的なアイデア。その表出のシステムを「大喜利」という形式を組もうとしてたのが今回の子どもあそびばミーティングでした。これについてはまた今度。

その「ひずみ」にこそ希望や未来がある、ということを、ぼくは実践し続けていきたいと思っているし、そのための実践の数々であると思っている。今すぐに認められる、とか、今すぐにわかる、とか、そういうものはすでにある定式に当てはめられてて、新しいものにはなりえてない、というのはもうよくわかられていること。

誰かにほめられることよりも、驚かせることのほうが価値あることだということを、どうやったらシェアできるかな。いいね、なんて誰にでもいえる。

2012/06/26

glitchGROUND/子どもあそびばミーティング(2)


山口情報芸術センターYCAMにて開催中の教育普及展「glitchGROUND」。公園型インスタレーション「コロガル公園」の使い方を考える「子どもあそびばミーティング」のプロジェクトのファシリテーターを担当しています。そのレポート2回目。

子どもあそびばミーティング
ー 想像力とD.I.Y、大人と子どもの契約の場

コロガル公園で遊ぶ子どもたちが、自身の遊び場の環境を考えるためのミーティングを開き、コロガル公園内の新たな機能を提案します。ファシリテーター(司会進行)は、地域の児童館にアーティストを招聘し、子どもとアーティストとの出会いの場を生み出すプログラム「アーティスト・イン・児童館」の代表・臼井隆志さんです。
(glitchGROUND展特設サイトより)

子どもたちが公園の新しい使い方を考え、それをYCAMのテクニカルチームが実現していく。夢のようなアイデアも、YCAMのテクノロジーによって実現してしまうかも知れない。みんなの「夢」がつまった公園の実現、というわけだ。

とはいえ、どんな夢も叶うわけではなく、実現できるアイデアにも限りがある。子どもたちの限りなく自由でいい加減な発想を引き出し、それをテクニカルチームのみなさんが実現できるレベルに落としこんでいく、その間を調整するのがぼくの仕事である。



― 環境・ハードウェアを変化させる



スピーカーやマイク、振動子、LED照明などが備え付けられているだけですごいと思うのだが、実はこの公園のポテンシャルはそんなもんではなく、本気を出せばプロジェクションマッピングやレーザータグ、モーションセンサーなども導入できてしまう、とのこと。部屋を暗くしてプロジェクションマッピングによる「遊具」をつくりだしたり、モーションセンサーを装備したボールを使った遊びなども考えられる。

鬼ごっこやかくれんぼなどによって公園のソフトウェアをつくりだすことはこれまでにも経験してきたかも知れないが、公園のハードウェア自体を変化させる、というのは一体どういうことなのか、ぼくもまだわかりきっていないのだけど、ということは、子どもの想像の範囲を超えたことであることもたしか。やったことのない新しい経験がこのミーティングでは待っている。


― 子どもたちからアイデアを引き出す 想像、提出、契約

公園の「環境」自体を変化させる、というやったことのないことを、子どもたちと一緒にすすめるにはどうしたらいいのか。既存の公園やテーマパーク、ゲームセンターなどのアイデアを参照した意見が生まれることは想像に難くない。面白い技術が導入されているからといって、アミューズメント化させてしまうのではなく、あくまでこの公園は、新しいメディアの使い方を編み出す、D.I.Y精神にあふれた場所であってほしい。というか、そうでなければ、この公園のユーザーである子どもたちはつくられた環境を消費するだけになってしまう。つくることによる学びを生起するためには、それじゃいかん。

とかグネグネと考えながら、6月8日(日)の14時に、「子どもあそびばミーティング」の初回がスタートした。以下はその内容の紹介。

  ①イマジネーションとアイデア ― 「暗号」から連想・拡散する


まずはじめにやってもらったのは、連想ゲームのようなもの。コロガル公園にはいくつか
のアーカイヴがあって、その中に「こんな公園があったらいいな」というアイデアシートのアーカイヴがある。「すべり台がほしい」「坂道にロープをつける」「地下に穴がある」など、公園の環境自体を新しくつくりかえる多種多様な妄想が描かれ、記録されている。



今回は、その中から"解読不能"なアイデア(?)が描かれたものを選別し、ミーティングに参加した子たちにそこから具体的なアイデアを連想してもらった。例えば、2〜4歳ぐらいの子が描いたであろう色とりどりの描きなぐりを、「スイッチを踏むと、光のもじゃもじゃが追いかけてくる仕掛け」というように解読する。アイデアのソースを、子どもたちの経験から、アイデアシートに変えることで、よくわからないけど新しいアイデアを引き出すことを狙った。それらのアイデアをスタッフが模造紙に書き込んでいく。


  ②コロガル公園の隠れ機能の紹介


次に、コロガル公園に埋め込まれたそれぞれの「シーン」の説明と、真っ暗にしてプロジェクターで映像を投影できることなど、「こんなことができます」という機能の紹介。途中からあきちゃったし、なにしろ魅惑の坂道だらけなので、子どもたちは静かに話を聞くなんて無理。走らずにはいられない。この機能紹介は最初の緊張してるときにやっても良かったかなー、と反省。

  ③アイデアからプランへ ーまとめ、発表


最終的にグループを3つにわけて、①で出したアイデアをもとにプランをまとめて発表してもらった。子どものプランに対して、YCAMのテクニカルチームにもどうすれば実現できるか、を質問していく。「いや、それは無理だよ?」と子どものプランを拒否する場面もあって、笑えた。最終的には「自分の姿が見えるおばけ屋敷」「ワニが出てくる足湯」「バンジージャンプの映像を投影した飛び降り台」「一箇所からしか読めない文字」など、具体的?で変なアイデアがいっぱい出てきた。子どもたちとのミーティングはここで終了。


  ④実装にむけて ー大人の時間



ここから、子どもたちのアイデアをどうやって実現するか、テクニカルチームとエデュケーターチームのミーティングが始まる。子どもたちが考えたプランを、技術的・時間的に実現できそうな内容に改変していく。


と、こんな感じ。実際に採用されたプランを知らないし、どうなったんだろう。次回に訪れるのが楽しみです。

いろいろ考えたけど、たぶん、「ファシリテーター」がいなくてもこのミーティングでやろうとしていることが実現できるのが一番いいんだと思う。環境が子どもたちから意見というか意志を可視化し、それを誰かがアイデアにまとめ、実際に作業をする大人に提出し、コンセンサスをとって実装していく。環境が、意志、アイデア、提出、契約、実装をアフォードしていけるのであれば、子どもを中心に、同心円状の組織ができあがり、新しい形の自治が見えてくる気がする。

とにかく、次回に訪れるのが楽しみです。

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YCAM教育普及展「glitchGROUND」5月19日〜8月12日
10:00~19:00
入場無料 火曜日休館
山口情報芸術センターYCAM

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子どもあそびばミーティング第2回
7月8日(日)14時〜15時30分




2012/06/24

glitchGROUND/子どもあそびばミーティング(1)


6月8日〜6月10日にかけて、山口情報芸術センターYCAMへ。

ここで行われている教育普及展「glitchGROUND」のプロジェクトに参加しています。会場内に設置された、音響、照明、映像などの装置が埋め込まれたインスタレーション型の公園「コロガル公園」の使い方を、子どもたちと一緒に考える「子どもあそびばミーティング」の進行をするのがぼくの今回の仕事でした。レポートをまとめて書くのが難しそうなので、感じたことのメモというかなんというか。


YCAM教育普及 
―メディアを使う、知識のアップデート

YCAMの教育普及活動は、YCAMで制作/発表されるさまざまな作品を鑑賞するという経験が、より高い価値のものになるように、作品のテーマに沿った鑑賞方法を創出し、常に新しいミュージアム体験の設計に努めています。また、「表現」「身体」「コミュニケーション」「社会」といったYCAMが重要視する要素と「メディアテクノロジー」の関係性に注目し、メディアリテラシー教育につながるような、オリジナルワークショップの研究開発もおこなっています。開発したワークショップはパッケージ化し、山口市内を中心に国内外の文化施設/教育機関で積極的に実施しています。
(YCAM4月プレスリリースより)


ケータイで写メを撮りあう鬼ごっこのような遊びをつくる「ケータイ・スパイ・大作戦」、検索エンジンの使い方を学ぶ「Search'n Search」、様々な身体の動きのデータベースをつくる「コトバ身体」など、人間の身体と、日常的に使われているケータイやインターネットの関係性、あるいは監視社会やデータベース化された世界をテーマにしたYCAMのワークショップはどれも個性的。YCAM InterLabで開発された技術や、メディアアートやサウンドインスタレーションの展示内容と関連づけながら開発されていくワークショップは、ドキュメント冊子に用意するものやプログラムがまとめられ、他の施設(メディアセンターや学校など)でも実施できるようになっている。
※内容は「glitchGROUND」展のウェブサイト、またはドキュメント冊子「YCAM WORKSHOPS」に詳しい


- メディアと出遇う体験、日常へのフィードバック

ケータイ、データベース、サウンド・・・新しいメディアやテクノロジーは次々に登場し、ぼくたちの生活に流入してくる。入り込んできたものをいかに使いこなすか。ワークショップでの体験が日常にフィードバックされ、メディアを使うこと・知識を備えることが楽しい、もっと知りたい!という感覚を強めていくように設計されている。「ケータイ・スパイ・大作戦」での体験などは、日常への影響も色濃いはずだ。

そして驚くべきは、YCAMのワークショップはその対象年齢が「小学校4年生〜一般」と幅広いこと。エデュケーターの菅沼さんいわく、「新しいメディアの使い方を学ぶのに、おいも若いもない。共に使い方を学ぶ場が大事」とのこと。確かに、iPHONEなんかは子どものほうが操作に慣れるのが早く、大人が逆に教わっていたりする。新しいメディアにおいては、教える/教えられるの関係は逆転している場面も多くなってきている。


- 知識のアップデート、プラットフォーム

さらに興味深いのは、先にも述べたように、YCAMだけの特別なものではなく、他の施設でも実施できるような仕組みになっていることだ。パッケージ化され、どこでも汎用できる「オープン・ソース」になっている。ワークショップ自体がある種の「ルール」や「プロセス」をつくっていくものであるため、ワークショップの内容自体も、実践が重ねられ、フィードバックを得て、アップデートされる仕組みになっている。単なるコンテンツではなく、ある種の集合知をつくっていくための「プラットフォーム」の設計にもなっている。

こうしたYCAMのエデュケーションチームが創りだしてきた、新しいメディアとの遭遇の「体験」、あるいはメディアの使い方をアップデートしていく「プラットフォーム」が集約されたものが「コロガル公園」である、と思った。そしてそれはワークショップのような時間が限定されたイベントではなく、恒常的に設置された「環境」として提出されている。



「コロガル公園」 
ーメディアと出遇う、環境のアップデート

いま、私たちを取り巻く自然や社会といった「環境」がゆっくりと、しかし大きく変わろうとしています。そうした変化を見極めながら、「教育」も変化していかなければなりません。この展覧会のタイトル「glitchGROUND」は、私たちを支えている大地(GROUND)に、亀裂や断崖など(glitch)が現れている状態を示しています。このような不規則性や不安定性を、忌避し、排除するのではなく、所与のものとして受け容れること。YCAMの教育普及活動ではこうしたスタンスが、私たちを取り巻く環境で生きていくための想像力や身体感覚を生み出す糸口になると考えています。この展覧会では、こうしたスタンスへと誘う創発的な〈環境〉として、大規模なインスタレーションを制作/発表します。
(YCAM4月プレスリリースより)


天井が高い17m四方の部屋の中に、複数の「波」が入り組んで配置され、子どもたちは坂道をすべりおちたり、走り回ったりしている。天井からは巨大な球体の照明が吊り下がる。LEDとスポットライトによって空間の色や配置が変わり、埋め込まれたスピーカーからビープ音や音声が聞こえ、床は埋め込まれた振動子によってブルブルと震える。トンネルの中に空いた小さな穴をのぞくと、公園全体を俯瞰した映像に出遇う。

音響(録音/再生)、照明、カメラ、プロジェクター、Wi-Fiなど、あらゆる道具が埋め込まれたこの公園。来場者が連日おおく、入場規制もかかるほど話題を呼んでおり、子どもたちの走り回る足音や声で賑わっている。室内にあるため、天候などの影響は受けないが、プログラミングされた様々な「シーン」(振動子が震える、マイクで会話できる、ころがるようなビープ音が鳴る)が切り替わることで空間は常に変化する。

- 編み出される使い方 

ぼくが公園を見ていたときに、坂道に開けられた「穴」が実はマイクとスピーカーであり、その関係に気がついた小学生がいた。入力を試し、出力を確認する。ぼくもマイクのところに行って声をだし「聞こえた?」と確認してみると、うん、と頷く。「あー、あー」「ばーか、ばーか」と単純な声が録音され、別の場所で再生される。そうすると、その様子を見た別の子がその行為を真似し始める。こうして、ある発見が伝播し、空間の使い方が変わっていく。


「遊具」の新しい使い方を発明したり、誰かの発明を真似したりするのは、普通の公園でもよくあるし、多くの人が経験したことがあるだろう。コロガル公園では、それがアナログな遊具だけでなく、音声や映像をも含む。それは「ケータイ」に内蔵された様々な機能を、分解し、「環境」として組み直しているように感じた。ワークショップのように決められたプロセスに「従う」のではなく、遊びながら、ころがりながら、出逢ったメディアの使い方を「編み出す」のがこの空間の特徴である。

様々な道具が埋め込まれた環境で遊ぶことで、子どもたちはメディアと遭遇する。その「発見」と「真似」の連鎖によって遊び方/知識は伝播し、アップデートされていく。知識のアップデートだけでなく、環境それ自体のアップデートをも可能にするのが「子どもあそびばミーティング」ということになる。

ミーティングの内容については、また次回。


- おまけ

山口県は魚が超うまくて、タイの煮付けは美味しすぎて叫びました。牡蠣とか、烏賊とか、鱚と梅肉の唐揚げとか。あとは揚げだしのナスも美味しかったし、鱧の湯引きなんてもうふっかふか。また魚食べるの楽しみだなぁ・・・・



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YCAM教育普及展「glitchGROUND」5月19日〜8月12日
10:00~19:00
入場無料 火曜日休館
山口情報芸術センターYCAM

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子どもあそびばミーティング第2回
7月8日(日)14時〜15時30分