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2012/04/16

法人、血肉、働き方

気づいたら10日もブログをさぼっていた。新年度に入って働き方が変わり、まだなれない感じである。ゴールデンウィークに香川でワークショップをし、その直後にバンコクに遊びにいくことが決まっていて、4月中にやらなきゃいけないことがたんまりある。

今年度から、高野萌さんに専属スタッフになってもらった。彼女は去年のことばのかたち工房Proからの付き合いで、その後のアー児のプロジェクトももろもろサポートしてくれている。ぼくの働き方(?)はたぶんむちゃくちゃで整理されていないので、多分戸惑っているとおもうのだけど、スイッチが入ったら猛然とすすむタイプなので、その時を待つ。

それはさて置き、自分の生活環境を整えていく方向で、活動をしていかにゃなぁと思う。NPO法人をつくったら、税金関係や保険関係もうまくいきゃそっちで全部できるわけでわざわざ個人でやらなくて良くなる。「法人」とはやはり人造人間なので、逐一メンテナンスしてやらないとすぐに血肉が腐りそうな感じがするのだ。

2012/04/05

音楽、バラバラ、グルーヴ

3月31日に、UNITに「Brandt Brauer Frick」というユニットのライブに行った。ミニマル・ミュージックの系譜なんだけど、ジャズっぽい音も、聴いたことないパーカッションのリズムも、入ってくる音がかっこよくその重なりだけでグルーヴをつくりだすからホントすごい。そしてライブはめちゃくちゃ楽しい。

《全児童自動館》の制作・上映の過程と、Terry Rileyの「In-C」という曲の構造が本当によく似ている、と感じている。1つの短調な連音から始まり、別の連音が合わさっていく。途中から現われたり、消えたり、介入してきたりして、グルーヴが現われ、方々に広がっていく。



「蓮沼執太フィル」が3月20日の「MUSIC TODAY」で演奏していたのを聞いて知った曲なんだけど、聞いていて、この感覚知ってるぞ、と思っていた。それは児童館に流れる、中高生の複数の「気分」が、うねりをあげて当日に向かっていたあの過程だなぁと。

ひとつのコミュニティの作り方として、リーダーシップを誰かが発揮して一つの方向に導くのではなく、バラバラな意志が収束したり、拡散したりしながら、それぞれが調律していく方法がある気がしている。その豊かな「知性」をどうやって開こうかと思案している。

中村児童館の高校生が今日、「ちっちゃい子も、小学生も、中学生も高校生もいて、大人もいて、年齢も学校もバラバラの人が集まって一つの空間が成り立っててスゴイ」と言っていた。ぼくもこれスゴイと思う。今年のプロジェクトは、近代が生み出したいくつもの「分断」を乗り越えて、大きなグルーヴをつくっていく。それは児童館という壁を超えて広がるうねりであってほしいと願う。その方法論として、「音楽」はとても近いと思っているのです。






2012/04/03

想像していなかったこと、質感を持った空気

ここ一週間で、想像していなかったことがたくさん起こった。 それは、思わぬうねりだったり、通りすがりの決意だったりして、 空気が急に重さを持ったみたいに、質感を持って体の中に入ってきた。 想像通りにことが進むことに慣れてしまうと、 想定外のことが面倒になる。 慣れない不安や、知らない恐怖を抜ける悦びを知ると、 想像していなかったことを悦べる体になる。

2012/03/27

円環、フィールドワーク

フィールドワーク、とか、客観、とか、そういう言葉と共に大学生活を過ごしてきたけど、2011年度のプロジェクトは、それらの言葉を疑うところからはじまったように思う。

いろんな人々の活動やコミュニティのことを「円環」と捉えるとすると、ある円環を一歩外側から見る、みたいなことって実はあり得なくて、客観的と思っていたポジションも実はその円環運動の中に組み込まれている、と考えることにしている。

フィールドワーカーは現場に影響を与える。現場を変える。その変化の当事者であるべきだー、ということは前もこのブログに書いた。

客観的、ということは全くあり得なくて、複数の主観があるのみ。フィールドワーカーも、主観のひとつ。それまでその場になかった新しい主観であり、それまでその場にあった役割と、新しい役割の間のステップワークでしか、フィールドワーク的な眼差し、記述はありえない。

円環は常にふくらんだりしぼんだりしている。外側も内側も、実は無いんじゃないか説。

2012/03/25

振る舞い、変革、I LOVE YOU

ずっと買ったまま観れていなかった、快快『My name is I LOVE YOU』のブダペスト版を観た。

言葉とお金と身体と、人と人とが関わるときに、間に入ってくるもののせいでズレて、ズレて、そして「I LOVE YOU」の名が言えなくなっていく。



なんだろう、演劇なんだけど、現実の再構築に見えてくる。ぼーっと見てると、ぼくらが生活している社会の仕組みそのもののように、役者はシンプルに振舞っているように見える。

じゃんけん大会をやったり女体盛りを食べさせたりして観客をステージにあげていく『SHIBAHAMA』や、高校生の甘酸っぱい経験自体を"売り物"にする『いわきの高校生インザ蚤の市』みたいに、観客の振る舞い自体を変えてしまう作品もある。こういうと月並みだけど、快快は文化人類学の言うところの"振る舞い"としての演劇に、かなりストイックに向き合ってるんだなぁーと思う。しかもポップで、ノレる。

人が集まる場所にドラマがあるし、つたのように絡まる時間があるし、その前提には、関係を操作する空間がある。絡まる時間はグルーヴを生むし、人々の集まりは人生を小さくでもたしかに変えていく。そういう小さな変革を生み出す空間を編むのが演劇なら、ぼくもノリたい。

しかし、そこでも「I LOVE YOU」の名は言えなくなっていくんだろうな。本当のことは、ズレてズレて、言えなくなっていくんだろうな、と思うと強烈に切ないのだけど、でもそれを受け入れながら、4月からの一年を頑張っていこう!と思ったわけです。


2012/03/20

地下通路、カンパニー

今日は快快の篠田さん、あにーさん、文美さんとミーティングだったんだけど、いやーノッたノッた。これは拡散した。アイデアがいろんなところから出てきて、泣くかと思った。

《全児童自動館》のアフタートークで司会をしてくれた篠田さん。あのとき、中高生から「次」を期待する声が生まれたのは大きかった。それを受けて、今日の広がり。嬉しい、嬉しい。

「アーティスト・イン・児童館」はアートスケープにも書いたけど、小説『夏の庭』的な、なんていうかな、異質なものとの邂逅を期待する世界観だった。今日のミーティングで、映画『アンダーグラウンド』みたいな、地下通路を堀り、張り巡らすような、世界の別のレイヤーをつくるイメージに変わった気がする。思いがけず「カンパニー」という言葉が僕の中でシンクロした。

これは一大プロジェクトだ。寝て、起きたら企画を整理しよう。

2012/03/19

離合集散、ノリ、知性

全児童自動館、本番が終わった。そのレポートを書けと言われたら恐ろしく時間が掛かりそうなので、また今度。

中高生たちの繊細で過剰な感情に触れ、もう回線ショートしっぱなし。運営面でも3ヶ月前ぐらいから感じていた「思考停止しそうだな…」という不安は見事に的中。一週間前のぼくは本当につかいものにならないディレクターだったなと反省しています。何がそうさせたのか、単純に想像力の欠如と確認の怠り。ダメっぷり。

一方で、今回のプロジェクトを通して見えた光明は、合意形成とコミュニティのあり方が、全然未知のものになっていたことだった。登録されたり、管理されたりして出来上がるコミュニティとは違い、個人の意志と友人同士の約束によってできている離合集散型のコミュニティ。意思の確認や意見交換ではない、「空気」の読み合いと「ノリ」による合意形成。それはもはや新しい知性。バカにできない。