ナデガタのプロジェクトの制作が佳境に入っています。そんなこんなでアートスケープでブログを書いたり、制作に立ち会ったりする日々なわけですが、よくわからない大人バンザイだなと。
中村児童館の中高生たちとはほんとに個人として仲良くなってきてるし、すごく好感を持ってるし、みんな面白いと思ってる。でも世代も違えば環境も結構違うわけで、共有できるものがそんなに多いわけでもない。だからまとってる空気も違うし、それはお互いにわかってる。
アートスケープにも書いたけど、今回のプロジェクトに関わったところで、メジャーデビューできるわけでも、受験や就活で有利になったりするわけじゃない。誰かにほめられるか?と言ったらそうでもない。じゃあ何のためにやるかっていったら、自分の感覚を信じて、自分で考えてもらうために、異物になることでしかない。その異物性とはすなわち作品が面白いということでもある。
今プロジェクトに関わっている子たちはここで偶然、この異物に接触してしまい、自分もその一部になってしまうわけだけど、それ自体は全然悪いことじゃなくて、人生は稽古なしのいきなりの本番なのだから、その異物との接触に応答し、乗りこなしてほしいなと思う。すべての偶然の出会いを断つのではなく、応答し、使いこなしていけるリテラシーのようなものとは一体何かーとか考えると、それは柔らかい身体の使い方でしかないような気がしてる。
中村児童館の中高生たちとはほんとに個人として仲良くなってきてるし、すごく好感を持ってるし、みんな面白いと思ってる。でも世代も違えば環境も結構違うわけで、共有できるものがそんなに多いわけでもない。だからまとってる空気も違うし、それはお互いにわかってる。
アートスケープにも書いたけど、今回のプロジェクトに関わったところで、メジャーデビューできるわけでも、受験や就活で有利になったりするわけじゃない。誰かにほめられるか?と言ったらそうでもない。じゃあ何のためにやるかっていったら、自分の感覚を信じて、自分で考えてもらうために、異物になることでしかない。その異物性とはすなわち作品が面白いということでもある。
今プロジェクトに関わっている子たちはここで偶然、この異物に接触してしまい、自分もその一部になってしまうわけだけど、それ自体は全然悪いことじゃなくて、人生は稽古なしのいきなりの本番なのだから、その異物との接触に応答し、乗りこなしてほしいなと思う。すべての偶然の出会いを断つのではなく、応答し、使いこなしていけるリテラシーのようなものとは一体何かーとか考えると、それは柔らかい身体の使い方でしかないような気がしてる。