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2011/10/08

接続回路のイメージ

「接続回路」ということばが好きで、ぼくはこれを好んで使っている。しかし、何と何を接続する回路なのか、どんな仕組みなのか、それがよく見えていないから、今日はそのことを少し考えてみる。


イメージでは、雲と雲の間にパイプを置く感じだ。雲Aの氷晶を、雲Bに移動させる、パイプ。目に見えるモノの移動を想像している。


なぜ「接続回路」ということばが重要なのか、というと、ある特定の領域で世界が閉鎖されることを恐れるからであり、絶えず行き来し、具体的な移動が行われる複数の世界をイメージしているからだ。それはすでに、ネットワークということばで解決されているのかもしれないが、ネットワークから排除されている人々もいるし、自分だってあるエリア(佐々木俊尚さんは「ビオトープ」と呼んでいたかな?)に入り込めずにいる。例えば、量子力学のエリアとか、どこかで接続しているはずなのに、入り込めていない世界がある。複数の世界を行き来することは、アイデンティティを硬直させず、ぼくたちの日常を分解し、複層化させ、編集できるようにしてくれる。


その「接続回路」を通って移動するのは、ぼくたちの想像なのか、具体的な身体なのか、念を記した物なのか。そのパターンによって回路の形態も変わってくるだろうし、移動の方法も変わるだろう。(お金さえあれば)どこにでもいけてしまう交通を手にした今、遊牧民生活は可能であり、(デバイスさえあれば)どこの状況も見れてしまう現在において、想像上の遊牧民になりうる。お金のないぼくたちがいかにして「接続回路」を手にするか、これが重要だ。




メモ:「念を記した物」誰が?誰のために?

2011/10/06

手仕事のプログラミング

「プログラムを組むのが大変なんだ。コンピューターは人間の感情のぶれまでは計算してくれないからね、まあ手仕事だよ。しかし苦労して組んだプログラムが思いどおりにはこんでくれれば、これに勝る喜びはない」(『羊をめぐる冒険(下)』村上春樹・著、講談社)

『羊をめぐる冒険』に登場する黒服の男のセリフ。黒服の男は、主人公をあるゲーム的な状況へと否応なく巻き込んでいく仕掛け人であるが、「アーティスト・イン・児童館 プログラム・ディレクター」という肩書きで活動をしているぼくとしては、今になってこの登場人物にちょっとしたあこがれを抱く。

活動は手仕事のプログラミングだ。構造をつくり、変数を設定し、「時間」を構成してゆく。その作業を、足を運び、会話をし、素材と環境を整え、作業内容を共有したり指示したりしながら、実行していく。

手仕事のプログラミングに必要なのは、ありったけの想像力と、それを働かせる体力だ。その作業を怠るとえらいことになるということを今まざまざと体験しているわけだ。「想定外」に慌てているようじゃ、あまりに未熟だ。「想定外」さえ想定しなければ。

プログラムを組むのが大変なんだ。


2011/10/05

「観察者」から「当事者」へ

山本さんのプロジェクトで現場を駆けまわっていたこの9月に、半年のロスタイムを経て大学を卒業した。単位の計算を怠り、数が足らずに卒業できず、多くの人に迷惑をかけた。お世話になった方々に、心より御礼を申し上げたい。

そんなしようもない失敗を経て終えた学生時代だが、ふりかえってみると、ぼくの中にある「観察者」のふるまいを再発見する。卒論も、自分が呼びかけてはじめた活動(アーティスト・イン・児童館Nadegata Instant Partyプロジェクト《Let's Research For Tomorrow》)のエピソードを記述・考察したものだ。「観察者」の立場は、客観的にものごとを見、新しい可能性をかたちにするための第一歩だと信じているが、この立場はときに、責任を逃れるための言い訳になりえてしまう。自分で呼びかけて活動を始めたぼくは、もとより当事者なのだということを改めて今考えている。ここにぼくは自戒として、この「観察者」という立場の危うさと卒業を機に思うところを書きたい。

「フィールドワーク」ということばが普及して以来、「観察者」は新しい価値をもたらす立場として評価された。それは今、「まちづくり」の活動では基本とされているところだ。ぼくと同世代の友人たちにもこの「観察者」に可能性を感じ、この立場(あるいは気分と言ってもいいかもしれない)に寄って立つ人が多い。ぼくもフィールドワークに魅了され、その勉強をしてきた。

危険だと思うのは、観察者という立場を安易に選ぶとき、無責任におもしろがっていていい立場になってしまう、ということだ。それは傍観になりかねない。そして、傍観はノイズであり、ときに迷惑や暴力になりかねない。

観察は批評であり、批評には責任が伴う。「観察者」はその場所に介入し、変化を加える当事者だ。「観察者」であろうとするならば、まずはじめに変化を与える主体であることを自覚するべきだ。そして、なにをよりよいと思い、その変化にどんな希望を見出しているのか、考えを持ったほうがいい。「わからない」と言っている場合ではない。わからないなりにその都度している決断があり、それを自分の決断として受け入れたほうがいい。

ぼくは「観察」を、可能性をかたちにする第一歩だと考える。そのあとには、とりあげるものを選び、どんなかたちをつくるのかを決断し、編集し、つくっていく作業が待っている。観察は始まりにすぎない。その意味では、ここまで「観察者」と言ってきた部分を「編集者」と言い換えたほうがいいような気もしてくる。


いずれにせよ、観察し、編集し、変化をつくる当事者として、卒業を機に身を引き締める思いでいる。そもそもこの文章は、林立騎さんにもらったコメントへのアンサーとして書き始めた。今年3月に「アーティスト・イン・児童館 コンセプトブック」の原稿へのコメントを求めたとき、林さんからコメントを寄せてもらった。「臼井くんの責任ある意志が書かれていない」というものだった。そこに反論の余地はなく、ぼくはそれに何も応答できていなかった。今期の山本高之さんのプロジェクトを通して、「責任ある主体」としての自分と子どもについての考えを巡らせるうちに、この文章を書きたくなった。


メモ:
・「観察」と「編集」について。
・「変化する部分」と「変化しない部分」について。