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2014/01/21

スポッチャ、快楽、反復

1月17日(金)「スポッチャ」のリサーチということでラウンドワンスタジアム板橋店に行ってきました。

ボーリングにわざわざ行く…ということで思い出すのは、小学生の頃「みんなでボーリング行こうぜ!」と企画して、わくわくして前日寝られなくて、当日も朝早く起きちゃって、で、ヘトヘトになって帰ってくるあの感じでした。が、大人になってからいくアミューズメントは全然体験でした。

光が丘の児童館での子どもたちの様子を見ていて、大人が名目としてかかげている「子どものコミュニティづくり」とか「居場所づくり」とか「健全育成」とか、そういう活動よりも、設備があってそれを使って遊べるという機能のほうが当然重視されているわけです。高い天井があり、バスケができ、外ではフットサルもできる、みたいな。なぜ「スポッチャ」に行きたくなったかというと、その感覚で思い切り遊べる場所といえば「スポッチャ」なのでは?と思ったからです。

そして行ったことがなかったので、アージの企画コーディネーターであり、遊び魔人並木くんはじめ5人で行ってきました。



▶株式会社ラウンドワン


ウェブサイトによると、株式会社ラウンドワンは大阪に本社があって、ラウンドワンは全国に111店舗、北米に3店舗(山形、茨城、富山、福井、滋賀、鳥取、島根、長崎を除く)。全国どこに行ってもあるイメージだし、ボーリングといえばラウンドワンとさえ思うレベル。

会社の経営状況を調べてみると、一時は収益率が下がっていたみたいだけど最近では学生を中心に時間帯による料金プランの違いで「割安感」を打ち出すことで業績を回復しているみたいです。CMやチラシなどの広告量によって業績が左右される、ともありました。あ、それなら行こうかなと思わせる料金プランと広告で勝負してる。

ただ、メインはやっぱりボーリングで、サブとしてのスポッチャだそうです。料金はまた別途必要ですが、ボーリングがけっこう待ち時間が長いらしく、その間スポッチャで時間をつぶす、という使い方があるのだとか。



▶遊んでみる




ラウンドワンスタジアム板橋店に到着して、まずは受付。会員証をつくる。フリータイムで大人は2300円、学生はそのほぼ半額の1200円!!!やっぱり学生がメインのターゲットなんですね。

入るといろんなブースがあって、いろんな効果音が方方から鳴っているあのゲーセンの感じ。この感じか…と思いながら周りをみると結構中学生が多い。ダブルデート的な感じの。


ぼくら5人もまとまりなくランダムに遊んでいく。最初はガンシューティング、次にゴルフ、そんで「筋肉番付」のあのバスケのフープが動くフリースローのやつ、キックターゲット・・・・


まぁ普通だったらゲーセンで200円ぐらいいれてできるゲームが、空いていればやりたい放題。確かにいろんなスポーツを擬似体験できるし、振ったこともなかったゴルフクラブを振ったりもできて、いい機会。

で、卓球でひとしきり対決したあとはビリヤード。対決できるし、スリルあるし、まぁある程度楽しいは楽しい。


そして、やたらと喉が乾く。身体動かすし空間が乾燥しているのもあるし、ジュースが欲しくなる。で、自販機に行くとなんと200円…!なるほどね、と思いながらやむを得ずボトルのコーラを買う。炭酸と甘さが喉に広がって潤すので、うまい。



屋上階に行って、バスケやってるのを横目にバッティングコーナーへ。あらゆるコンテンツの中で最高はこのバッティングでした。なんてたって(空いていれば)やりたい放題!!!!! 80km~130kmの球をバカスカ空振りできまくれるわけです。


一緒にいった友達は、15ゲームぐらいやってました。ぼくも10ゲームぐらいしたかな。普通のバッティングセンターでやったらそれだけで3000円ぐらいだから、これだけで元はとれてます。(が、おかげで腰とか肩とか変なところが筋肉痛)



あとはバレーボールやテニス、フットサルができる場所もある。本来のコートよりもやや縮小されていて、素人が遊びやすいように設計されているのかなあ?ガチでやるというよりは、あくまで擬似的な感じ。


混雑して並んでいるときのために「1人1ゲーム」「1組10分」などのルールが決められている。あとは、近隣への配慮とか、禁止事項とかも最低限だけど書かれている。


ひとしきり身体を動かした後はゲームコーナーで「湾岸ミッドナイト」でカーレースをしたり、なんか変な画面に向かってボール投げて敵を倒すやつやったり、パンチングマシンをしたり「太鼓の達人」をやったり・・・・

全ゲームフリーで遊べる!のだけど、最新のゲームではなく型落ちしたゲーム機を使っているみたいですね。普通だったら1回100円とか200円とかだけど、お金がかからないのでお得感がすごい。


▶ 児童館とスポッチャ

児童館とスポッチャを比較すると、そう違いはないと感じます。しかし、種目ごとに空間が区切られ、使用時間の目安があり、ペアもしくはグループごとに遊べる、という安心感がスポッチャにはあると感じました。


児童館は、空間が区切られていないし、使用時間の目安もない。整理されない混沌とした空間のなかで、子どもたちは工夫して場所を見つけ、遊んでいます。ただ、縁日やお化け屋敷などの催事は、利用者が考え、空間をつくることができる。これは児童館の強みです。スポッチャには"ハレ"がない、あるいは常に"ハレ"。児童館は"ハレ"と"ケ"の区別がある。

ただ、"ケ"の日がただのカオスになってるときがあるので、スポッチャを参考に、空間の使い方を整理することはできるんじゃないかなと感じました。



▶ 興奮と退屈のアップダウン

児童館とスポッチャは、こんなふうに比較できる。ただ、ぼくがスポッチャで感じたのは、なんというかやってもやっても退屈する感じでした。ゲームの最中は、一瞬のスリルとか、勝ち負けの競り合う感じとかを楽しめるが、次、次、とゲームや遊びをこなしていくたびに、心の奥底で退屈が晴れない…。

あ、この感じはあれだ、児童館で子どもたちがいろいろ出来る遊びがあるのに「ねぇなんかやることない?ひま〜!!!」と不満を言っているあの感覚だ!!!

と強烈に気付いたのです。ぼくも小学生の頃、同じメンバーで同じ場所でずーっと遊んでて、飽きてるんだけど言い出せない、なんか新しいことないの〜と退屈する感覚を味わっていた。そうか、この感覚を彼らは日々味わっているのか…それは結構キツイ。

2000円払ってフリータイム。閉じられた環境のなかの、溢れるコンテンツ。カーレースやシューティング、キックターゲットやビリヤード、おまけに漫画喫茶もある。それぞれに、それぞれ遊びの世界が開かれているのだけど、一つ一つの世界でスピード感やスリルや競り合いの昂揚があって、そこから抜けるとcalm down。この繰り返し。

3時間もそのアップダウンを繰り返していたら、ゲームの昂揚に身体が慣れてきて、別の感覚が欲しくなってくる。で、ちょっと一息つこうと思って、割高だけどコーラとフライドポテトを買ってたべる。このすべて用意されている感じの充足感と閉塞感。

ここで退屈を強烈に感じたこのとき、ぼくが欲しくなったのは、新しい驚きとか、見たこと無いものとか、これは一体なんだ!?とわからなくなってしまう感じとか、そういうトリップ感でした。



▶ 「快楽」と「楽しさ」

チクセントミハイという人が『フロー体験 喜びの現象学』という本の中で「楽しさ」と「快楽」について以下のようなことを言っています。

"「快楽」とは単に期待が満たされたり欲求が充足されたりする"均衡回復"であるのに対して、「楽しさ」とは期待を超え、事前には想像していなかったことを達成したときに生じるものだ。"


ぼくは「快楽」ではなくこの「楽しさ」が欲しくなったんだと思います。そしてそれはそういう欲望のあり方をぼく自身が培ってきているからであり、そうじゃない人はそうじゃないわけで。

学校や仕事や生活のなかで日々たまっていく鬱憤がある。なんかしたい、なんかもっと別のこと、別の感覚が欲しい!と興奮量が増大していく。で、それを満たしてくれる「快楽」の体験は、興奮量を減少させ、また日々の生活に向かわせてくれる。

溜まっていった鬱憤があり、居てもたってもいられなくなるとき、映画を観たり音楽を聞いたりお酒を飲んだりゲームをしたりして、「快楽」の体験がその均衡を回復しているのでしょう。そういう意味では必要なものなのだと思います。

例えば、児童館で「新しいことを考えよう!」と言うと、「特に何も新しいことしなくていいよ」と言われることも多いです。この興奮量のアップダウンを安定して体験できることが、彼らの日常を支えているのかも知れません。



▶ あらためて、児童館とスポッチャ

まず重要だと思うのは、児童館では「快楽」のためのプログラムと「楽しさ」のためのものを区別して考え、「快楽」の体験を丁寧に提供することだと思います。

混沌とした状況では、「快楽」がほしくてもそれを手に入れられないで、ますます鬱憤が溜まります。しかし、整理された状況であれば、それは安定して手に入るのだということをスポッチャで学びました。

一方で、「楽しさ」のためのプログラムとはどんなものなのだろうと考えると、「何が起こるかわからないけど何か起こりそうな場」をきちんと用意することなんじゃないかと思っています。勝手に使っていい食材がたくさんあるとか、触ったことのない画材や道具があるとか。自分たちでどうにもできてしまう「自由」が保証されていることなのかなぁとか考えています。

スポッチャにはその「自由」はなかった。ただ、児童館にはその「自由」を作る余地があります。

あれーこれって結局は、前の記事で書いた「変化と移動の余白」ということと同じじゃないか。もうだいたい見えているのだから、もうちょっとシンプルに言語化できないものかと、自分の言葉のセンスを嘆きながら、仕事を進めていきます。



▶ おまけ



おまけですが、このあとボーリングをして、最後に激辛ラーメンで有名な「中本」の本店に行ってきました。ぼくがたべたのは普通の蒙古タンメン(6辛)なのだけど、一緒に行った並木くんは「ちょっとチキり(躊躇し)ました」と言いつつつけ麺(9辛)を頼んでいました。

並木くんにうけた忠告は「食べ始めたら水を飲んではいけない」「麺は絶対にすすらない(気管支に入ったら終わり)」の二つ。

集中して汗だくになりながらヒーヒーいいながら食べる。そして翌朝はカプサイシンフィーバーのおかげでお腹を下す…。

なんというか、自分の身体をちょっとイジメながら欲を満たして楽しむあたり、スポッチャ的というか、なんかそういう消費文化なんだなぁと感じたのでした。