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2010/12/18

12/17 前進

この日、2012年春に大きな目標が定まった。
まだ確定したわけではないので詳しいことは言えないが、これは、大きな前進である。

「遊びと美術」というような言い方で自らの活動を語っているが、しかしこの2つは似て非なるもの。「美術」と「遊び」が2本の線だとする。この2本が最も近づくフェーズとして、児童館という場所、もしくはアーティスト・イン・児童館という時間がある。スレスレまで近づいた後、一方は美術へ、一方は遊びへとそのベクトルをまた変えていく。美術の線が向かう先が、この日少し定まった。

美術を児童館に手繰り寄せ、遊びを美術へと手繰り寄せる。その後双方を、元あった場所へと放つ。

12/15 レッツ・リサーチ・フォー・トゥモロー

この日はNadegata Instant Partyが中村児童館へ。

山城さんとあんどーなつ、山口とちえちゃんとぼくの5人でミーティング。最初、お化け屋敷のための素材撮影をしよう、という話をしていたのだが、あんどーなつから「それは二番煎じでは?他のことをやっちまったほうが面白いかも」と提案。さらに「オープンミーティングに影響を受けまくって、面白いアイデアがどんどん出てくるんだ。<児童館で花嫁体験>とかね」と、とんでもないアイデアを提示。これはNIPとぼくらにプレッシャー。

ひとまずラーメンを食べに駅前へ。中崎さんと合流して、「てっぺん」でラーメンをすすりながら来年のプランをぼんやりと聞く。児童館という枠組みの中でNIPがホストになるという構造なのだが、面白くなるかどうか、まだわからん。もっと議論がしたい。そのプランのイメージと現実の状況のギャップを埋める方法をこれからつくっていくと、なにか見えてくるはずだ。

児童館に戻ると、取材の下見に来た読売新聞社の竹井さんが電話をしている。児童館職員とNIPの二人に紹介。「竹井さんが欲しい画を撮るために、ぼくたち喜んでパフォーマンスしましょう!」と中崎、山城。あちゃーと思いつつ、普段遊戯室にあるマットを工作室に移動してみることに。

中学生を集めてみんなで声を掛けあってマットを運ぶ。もっと苦労するかと思ったのだけど、なんの苦労もなくすんなりと工作室に収まってしまった。あれ?なんでもなくね、これ、、、みたいな反応が一瞬で帰ってくる。「なにがしたいのかわかんないよ」とヒロシに言われる始末。



NIPメンバー含む数人がゴロゴロしはじめ、しばらく工作室はだらだらと過ごす変なラブホみたいになっていた。「どうですか?このぼくたちが最近手がけているリラクゼーション・アート!」と山城さんは竹井さんに問かける。いや、これでいいのだ。この態度こそNIPだ。それで結局竹井さんは児童館を後にし、また来てくださることに。2月の制作発表の日にまたご連絡しなければ。

この日、ふうがはひたすら柔道の話をしていた。この間の世界選手権で触発されてやたら柔道をしたがっていたのだ。それに対して山城さんが応えた。

「よし、工作室で柔道やろう」
「ふ、服つかんでいいすか」
「あたりまえやんか」

白熱した柔道の試合が始まる。狭い工作室だからアブナイのなんの。みんなでマットを囲んで、やんややんや。まるでストリートファイト。ヒロシ、しげ、とっきーも参戦して、大盛り上がり。しかし山城さんが強い。ぱっぱっぱと一本をとってしまう。

ひとしきり試合をしたあと、遊戯室に紙とペンをもって集まる。お化け屋敷の会議が、此処へ来てはじまった。ディズニーに行った思い出の話とか、今度の花嫁体験の話とか、富士急の話とかを交えながらアイデア会議は進んでいく。

やっぱり身体でコミュニケーションしたからなのか、ある種の清々しさみたいなものがあった。この後予定があって、この場を一足先に出て行ったのだけど、山城さんは身体でコミュニケーションをして、あいつらから無駄な熱を抜いた後、まるで部活後にだらだらするような雰囲気で話し合いを始めた。あいつら中高生にとって、「話し合い」というのは運動の後の「憩い」であるのだ。それは何かをしたあとのぼくたちの「飲み会」のように。計算してかしらずか、大人の憩いと中高生の憩いの方法を重ねあわせたNIPのコミュニケーションの術には本当に脱帽した。

そんなこの日のレポートはこれ!↓↓




2010/12/14

12/13 終わりのデザイン

今年ももうすぐ終わるし、大学ももうすぐ卒業する。十何年か続いた「学校に通う」という生活ももうすぐ終わる。清々しい気分である。

さてところで、ある活動を通じて人びとに「生きられた時間」のその「終わり方」について、今日は考えた。「死」と「墓」と「喪」のメタファーで、「終わり」と「始まり」について考えてみる。その意味で、小此木啓吾さんの『対象喪失 ―悲しむということ』はとても素晴らしい参考文献。

失うこと、終わってしまうことへのより良い「喪の作業」によって、次の始まりを獲得することができる。喪とはつまり、哀悼、対象への愛情の認識、自己認識、発見、着想、アクションという過程のこと。ある時間への「喪の作業」を形式化することは、哀悼からアクションへの過程とその行為のデザインが可能。

2010/12/12

12/11 第3会オープン・ミーティング

小沢剛さん、山本高之さん、両アーティストの想いのこもった言葉を聞かせてもらいました。感動しながら話を聞いていました。なんと来場者は90人越。




全3回の「オープン・ミーティング2010」は昨日で終了いたしました。ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。ミーティングの内容は現在書き起こし中です。公開方法は検討中ですが、これまた新しい挑戦になりそうです。

どうぞご期待ください。