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2014/12/13

カーテン、役割、見立ての遊び

今日は石神井児童館のカーテンの模様をつくるワークショップ。午前中カーテンの土台を塗って、午後はステンシルのやり方を説明して、子どもたちとワーク。模様というものが同じものの繰り返し、リズムでできていること、そのアレンジでどんなものでも模様になるということが次第にわかってきて、ボリュームたっぷりのテキスタイルをつくることができた。かわいい。



この日1日作業をしてくれていたSちゃんは、5時を回ってみんなが帰って、参加する小学生がSちゃん一人になってから、俄然作業にスピードがでてきて、どんどん模様を付け足していく。スタッフの金子さんとの連携もにもリズムが出てくる。BGMは並木君がかけくれていたKiNKの『Leko』という曲で、このミニマルっぷりがさらに加速させていく。最後にはパレットを洗ったりカーテンをたたんだり、率先して片付けをしてくれた。


そこにいる大人たちとの間の、先生/生徒という役割の壁を超えて、共に何かをつくる親密な相手になっていくこの感じに、久しぶりに出会った。特別なY時だな、とあの作品のことを想い出す。

ワークショップが「サービスの提供者」と「参加者/消費者」という建前を崩せない限り、「参加者/消費者」は個人的な欲求を満足させたり、個人的に取得したい技術を学び取るだけで終わりになってしまう。そうではなくて、提供者と参加者の垣根を超えて、何かとても面白くていいもののために一緒につくろうとしていくこと、個人の目的を充足させるとともに、そこにいる人たちの共同体の集合的目的を目指していく。そんな状況がつくられるには何かやっぱり条件があるはずで、そのことはもう少し時間をかけて考えたい。



家に帰ってきてからすこしゴロゴロしながら読んでいた1981年の高輪美術館・西武美術館で行われた『マルセル・デュシャン展』の図録。井上ひさし、澁澤龍彦、東野芳明、ジョン・ケージなどそうそうたるメンバーの執筆のこれは本当におもしろくて、「解決はない、なぜなら問題がないのだから」という謎かけと、人間って機械みたいで面白いよね、みたいなデュシャンのフェティッシュな感じを読み解ける。

見立てによる壮大な遊びの仕掛けを作り出しているデュシャンの作品は、「遊び」というものの宙ぶらりんな感じと、「アートは人の心を豊かにする」「アートは自己表現力を養う」みたいなつまんない美術教育のクリシェに対して「本当にそうなの?」と問いなおす痛快な批判になっている。

遊び、仕事、アート、見立て、子ども、グルーヴ・・・今日は1日面白かった。