YCAM10周年記念祭で設置された「コロガルパビリオン」。これは、ナナメに伸びる床やミニマルな山やジャングルジムでできた抜群のアスレチック感に加え、マイク、カメラ、LEDなどさまざまなデジタル機能が埋め込まれた公園型パビリオン。
遊び方を「習う」のではなく、子どもが身体をフルに使って遊ぶことで「生み出していく」というのがコンセプト。「子どもあそびばミーティング」というワークショップを通して、子どもによる新しい装置や使い方の提案、YCAMのテクニカルチームによる実装がなされ、子どもの意見によってアップデートされていく。
この映像をごらんいただければ、コロガルパビリオンがどんな場所か、一目瞭然。
Korogaru Pavilion from YCAM on Vimeo.
「コロガルパビリオン」
山口情報芸術センターに隣接する中央公園に設置された仮設の半屋外型メディア公園。斜面や飛び降り台といった身体的な要素と、照明や音響といったメディア的な要素が分け隔てなく存在し、相互に影響しあって子供たちが新しい遊びを創出するための基礎となります。遊具の使い方を習うのではなく、自ら考え創造しながら遊ぶという公園です。
http://10th.ycam.jp
http://www.facebook.com/YCAM10th
空間としては、去年の「コロガル公園」の検証と建築ユニットassistantが設計に加わったことで格段にパワーアップしていた。建築の特徴としては、二つの円形の空間があり、走り回る「速い遊び」とよじのぼる「ゆっくりな遊び」といった遊びの速さ、光の入り方、ウチとソトなどが対比された構造になっている。
面白かったのは「子どもあそびばミーティング」を通して、2つに分かれた空間をつなぐアイデアがいろいろ生み出されていたこと。片方でスイッチを押すともう片方から突風が噴き出る仕掛けや、それをモニタリングできる仕掛けなど、見えない2つをつなぐデジタルなメディアとフィジカルな遊びがリンクする。
そもそもデジタル=メディアではなく、人と人、人とモノ・コトを媒介するモノ自体が「メディア」と捉えることができる。その意味で言えばお金とか法律とかもある種のメディアになる。(商店街で展開されていた「LIFE by MEDIA」のプロジェクトは服や特技といった貨幣以外のモノを交換することで場が成り立つものだった)
コロガルパビリオンでは、その「法律」すなわち「ルール」にまつわる部分がとても興味深い。この公園の大きな特徴として、プレーパークと同様の「自分の責任で遊ぶ」「それ以外は自由」というルールを採用し、それを承認した上で入場させている。この責任の所在が全面的にYCAM側になってしまうと、危機管理が厳しくなり、子どもの遊びの自由さ/創造性を制約することになる。うらをかえせば、個人の責任で行われる遊びは創造性と自由度が高い。
もちろん喧嘩は起こるし事故や怪我もある。そういう諸問題に対応しつつ、子どもの遊びの可能性を拡張していくために「プレーリーダー」の存在がある。彼らが媒介になって子どもの遊びづくりをサポートし、またそれが他の子にもシェアされ、ゆるやかに連帯していく。もちろん、遊びだけでなく、喧嘩が起きた時の仲裁や、トラブルが発生したときの対応など、子どもたちが自分で考えられるように促していく。プレーリーダーはそこで生み出された遊びやルールのデータベースとして機能しているようにも感じた。(毎週1回、鍋を囲みながら会議をしている彼らの影の努力があってのこの機能だけれど)
プレーリーダーがサポート役となって、さまざまな遊び・ルールが生み出されていく。そこに「子どもあそびばミーティング」を通した公園機能のアップデートがある。これによって、自分たちの遊び場を(大人の協力を得ながら)自分たちでつくる、という「自治」が展開されているらしい。自分たちがよりよく遊ぶために、装置や企画をつくり、法をつくり、仲裁の仕方/されかたを学んでいくこの場には、行政・立法・司法のプリミティブな芽生えがあるのかもしれない。
更に面白いことは、会期の終盤になって、本物の行政を動かすための「運動」が生まれ始めているということだ。コロガルパビリオンはYCAM10周年記念祭における仮設建築として施工しているため、12月1日の会期終了とともに無くなってしまう。それを「署名運動」によってコロガルパビリオンを存続してもらおうと運動を起こした女の子がいる。
小学3年生の彼女は、署名用紙をお父さんに作ってもらい、YCAMのコピー機で印刷し、公園に設置している。周りの友達や来場者に呼びかけ、署名を集めている。これまでコロガルパビリオンの内側/遊びの中で経験されてきた「自治」がその枠を飛び出し、ついには本物の行政を動かすかもしれない。
こんな風に、子どもたちが自分たちの遊び場を(大人の協力を得て)自分たちでつくりだす、というコンセプトは「冒険遊び場」から生まれ、歴史は長い。しかし、メディアセンターが教育普及の一環でこの取組を始めた、というところに新規性がある。公園の新しい価値を問いなおすと同時に、メディアセンターや美術館自体の公共性のあり方を問い直す実践になっていた。
ぼくらが取り組んでいる《放課後アートプラン》においても、この事例が参考になる部分は少なくない。ルールや使い方を子どもたちとともに決めること。子どもたちにとって、そのほうが楽しい遊びができる!という実感があること。子どもたちのこんなことやってみたい!という「意志」と、自分で考えてつくる!という「責任」が喚起され、それを大人のサポートによって実現させていくこと。"環境づくり"がポイントになっているぼくらのプロジェクトにおいて、このコロガルパビリオンはひとつの重要なモデルケースになる。