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2011/09/13

地面に埋めるか、海に流すか。

地味で、これといって重要ではない過去は、あるときふと彩りをおびることがある。
美しく、とっておきたい思い出は、思い起こしてみれば色褪せていることもある。

詳細な記録を文章化して保存することは、思い出の品々を地面に埋めることに似ている。
10年後のこの日に掘り起こそう、と約束するタイムカプセルのしきたりは、記憶というものはまるで保存可能なものであるかのように見せているけれど、ぼんやりした記憶は、思い起こすたびに意味を変える。

ある出来事を、掘り起こそうとすれば出会えるタイムカプセルにするのか、どこかを漂い続け再会の保証もないメッセージボトルにするのか。

地面に埋めるか、海に流すか。

2011/09/12

身近な言葉、でも?

昨日は《CHILDREN PRIDE 9.17》のために、警察に道路使用申請をしにいって、商店街や学校に挨拶回りをしにいった。児童館の館長と職員さんと一緒に。

上石神井児童館は駅前にあり、商店街のすぐ脇に入ったところにあるものだから、町会、商店街協会の一部になっていてすごくいい。

「今度児童館の行事で、子どもたちのデモ行進のようなものをやることになったんです」と挨拶をすると、
「デモ行進!?」と訝しい顔をされる。

団塊世代かそれより上の方は特に、「デモ行進」という言葉には敏感なようだ。ただ、それが「宿題を減らせ!」「引越しをさせろ!」という彼らの身近な言葉であることを話すと、クスッと笑ってしまう。そうやって笑ってもらえるのはいいのだけど、悩みの一つは、もしそこに「原発反対!」「民主党が◯◯◯!」みたいな政治的・思想的主張が出てきた場合、学校や児童館がそれを斡旋してると思われる可能性があって、それでは学校や児童館が困ってしまう、ということ。もしそういう(どういうのだかぼくもはっきりわからないけど)主張が出てきたときでも、出来る限り表現してほしいけれど。

彼らからどんなアイデアが出てくるか、楽しみであることにはかわりない。