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2013/12/26

大きな文脈、規制、OSの設計

12月23日(月・祝) 

アサヒ・アートスクエアで開催されていた山城大督さんの個展「VIDERE DECK」に行く。「時間」を主題にしていたこの展示、オートマチックでループされる12~13分の時間のなかで、子どもが世界を認識する過程、他者に伝えること、刻まれる時間などが描かれる。エモーショナルな、小さな世界とその肯定感はとてもここちよい。敷かれたカーペット、そしてどこから入ってもいい時間のループ。時間とは、直線的につづいてくものではなく、ひとつの円環であり、放射線状にのびる形象なのだなぁ〜とぼーっと感じ入る。

ただ、正直ぼくはこの展示には既視感をおぼえてしまった。どこかで観た/聞いたような感覚というか。見終わって思ったのは、なんかもっとやばくて狂気を感じるものを期待していた。

あと、なぜ今この時代、この場所で、このアーティストの映像や時間、小さな生活についての展示をやる意味があるのか。その言葉がものたりなく感じた。アサヒ・アートスクエアのディレクターの坂田さん、あるいは運営委員会のみなさんの大きく出たステートメントを読みたかった。(というか、それがなかったので、なんだか業界内の報告会のようで居心地が悪かった。)

今、この時代に、この実践は何を問うているのか…。その大きなコンセプト/思想/文脈を語る勇気が、アーティストを扱う場には必要なんだと改めて感じた。


12月24日(火)

この日は児童館へ。前澤Pと、萌ちゃんと、縣さんと4人で児童館の工作室にいくと、イベント開催のためにいつもの居場所を追われたゲームホリック男子たちがうようよと集まっていた。

「はろー」といつもぼくとカードゲームの対戦をして遊ぶ子に声をかけると、「おう、うっすん」と元気がない。聞けば、明日からカードゲームの持ち込み・使用が禁止されるそうだ。理由は盗難があったから。翌日に緊急子ども会議が開催され、そこでゲーム禁止について審議するという。

「これでまたひとつ規制が増えた…」と嘆く子どもの姿に、ぼくはとても悲しくなってしまった。

「新しい大人が来るたびに「◯◯禁止」規制が増えるし、「あいさつをしなさい」みたいな標語も増える。そういうのがほんとにウザい。空気ワルくなるし。だから最近みんな児童館つまんないって言ってるし、実際人も減ってるよ」

と言うのは小5女子。「うっすんだって、ボール握るの禁止にするじゃん」と言われてはっとした。あれはドッジボールを楽しくするために、それはやめて、と言ったのだが、その真意(ボール握らないほうがドッジボールが楽しくなる)というのはあんま伝わってなかったんだなぁ…。

で、4人でその女子グループの話を聞いていると、児童館への不平や不満がこんこんと湧いて出てくる。まぁ実際どっちもどっちというところもあるんだけど、この状況は全然いいとは言えない。職員さんと子どもたちの和解というか、相互に許し合って、いい児童館を一緒につくろうと約束しないと、この状況は変わらない。



12月25日(水)

この日はアージの理事会+企画コーディネーター会議+忘年会。

理事会では、来年度から着手する人材育成事業の内容についてと、自由な活動と小さなリスクを許容する「寛容性の空間」をつくるためのルールや合意の場の形成をしなければならないということを話した。そのためにプログラムを組んでいく。

子どもたちが自由に活動をするための、子どもと親、地域住民、児童館職員などそれぞれが合意していく場。そのうえで、子どもたちが自由に素材を使って創作を楽しめる環境をつくる。これはいわば、合意の場があり、ルールを生成し、素材の開放・企画立案を可能にする"OS"。そこに様々な表現の技法をもちこむ"アプリケーション"の導入。あるいは、立法・行政・司法のミニマルで創造的な形であるともいえる。

企画コーディネーター会議では、おのおのの現場で感じていた「毒」をばーっと吐き出した。児童館(あるいはその背後にある社会)が子どもにかけてしまっている規制のこと。「居場所」とその「排他性」のことなど。

来年の企画もまた、一筋縄ではいかないだろうと思う。








2013/12/23

キラキラ、ダラダラの質、見せるもの

放課後アートプラン関連企画オープン児童館「放課後体験ツアー」「中高生クッキングバトル」の2つのイベントが無事終了した。イベント終わって深夜まで並木くんとセバと飲む。セバが、言語の構造からみる日本語ラップの魅力について語ってて、それが面白かった。

昨日の昼間は、ゆう杉並にいって中高生主催の「アクティブフェスタ」に行ってきた。レッド・ホット・チリ・ペッパーズの『By the Way』のコピーや、ライムスターの「ウワサの真相」の元ネタになってるCreamの曲とかを演奏する高校生たちのライブが超かっこよくて、驚いた。高校生たちが放つキラキラをたっぷり食らった。

何よりよかったのは、ゲームサークルの子たちがスマッシュブラザーズの大会をやっていたり、鉄道の会の展示があったり、NERDな子たちの輝き。鉄道の会の展示には、どこかの電車を見に旅行にいったときの写真が展示されていて、彼らの青春の記録に胸を打たれた。

ゆう杉並では、高校生たちが自分たちで自分たちのためにイベントをやっていた。「これをやりたい!」という気持ちが集まっていた。しかしおとといの「中高生クッキングバトル」は構造が全然違う。これは職員とアージスタッフが強い思いをもって実現し、そこに中高生たちに乗っかってもらったかたちだ。いわば彼らをお膳立てしてステージにあげ、小学生や大人に向かってパフォーマンスさせている。「ちょっとめんどいな」と思っていた子もいると思う。当日はテンションぶちあがってたけれど。

児童館では、何もやりたくない、ダラダラしたい、めんどくさい、という気持ちが渦巻いている。そこで「何かやろう!」と持ちかけても、「えーやだ」となるに決まっている。

このことをどう考えるかがアージの企画のキモ。どの児童館に行ってもこの状態だから。

何もしない、ダラダラするということはダメなことなのか…?というのがひとつ。何もしていないということはない(息はしている)のだから、このダラダラの質、というのが問題だと思う。

もうひとつは、何かやろう!と呼びかけなくても人間の行動を喚起する手法はあるということ。やろう!と言われなくてもやりたくなる環境というのがある。たとえば、イベントが終わったあとの工作室は、余った食材が山盛りになっていて、それを使って男子たちがこぞって料理をつくっていた。材料を開放することで、つくりたくなるし食べたくなる。

あとはやったことのないことへの不安感をどう減らし、手を出しやすくするか。ドッジボールは面白いけど、話し合いは面白くない(面白くないものしか経験したことがない)。やったことのない初めてのことにどう取り組むかは人類の課題だし、それこそが創造性だと、アージでは考えている。

そして、そうやって子どもらのモチベーションを上げる過程をつくっていくことと同時に、お客さんにどう見せるか〜というのも大きな問題。もっと映像のクオリティ上げるとか、彼らの日常の振る舞いを見せるものに変える「枠組み」を作っていかなければならない。

しかし、その専門性はぼくたちマネジメントチームがもつべきものではなく、外注するべきかなぁとも思う。演出とオペレーションは分けたほうがいいと思うし、その点は悩み。