久しぶりに中村児童館にいって子どもたちと戯れた。普段の仕事では3~4歳と多く関わっているので、久しぶりに遊ぶ小学生がだいぶ大人に見えた。
一方で、今朝の朝日新聞のこの記事 (18歳って大人?精神科医・斎藤環さん:朝日新聞デジタル )には「25歳からが大人では?」という意見が書かれていた。
読んでみて思うことは、子どもと社会をつなぐ枠組みとルートのなさへの嘆きがこの記事の問題提起の核なんだろうなということ。だから、ここでの提案は大学を卒業して働くことを通して社会と自分との接点をヒリヒリするなかで経験した25歳以上にすべきだと言わざるを得ない、といういささかネガティブな提案になっているのだと思う。
とはいえ、ぼくもこの意見には概ね賛成で、なぜならぼく自身も大人の自覚みたいなのが芽生えてきたのが25歳ぐらいだったなぁと思うからだ。社会は自分基準で動いていないのに、自分本位で動いているように考え、振舞うことでたくさん失敗をした。子どものうちにこういうことを楽しみながら学ぶことができたらなあと思う。
その話でいうと、2014年の夏に参加したシンポジウム《ミュンヘン市の「こどもと家族にやさしいまち」-こどもによるまちづくり提案事業から学ぶ-》での衝撃は、子どもと社会をつなぐ枠組みやルートの設計次第で小学生でも子どもにはできることがたくさんある、ということだった。その具体的な内容についてはこちらの記事(「ミュンヘン、子ども、政治/遊びの仕組み」)にまとめている。
こちらの記事はより本格的な取材に基づいてまとまっている。→「ドイツの「子どもにやさしいまちづくり」が本気すぎて学べる 」
ぼくの失敗の経験から子どもたちに学びの場を提供したいなんておこがましいが、それはさておいても子どもと社会をつなぐ場がもっとあっていい。この事例のように、遊びの仕組みと政治の仕組みがクロスフェードするような場を、小さくてもいいから作っていくことだろうと思う。これにインターネットが絡んでくると、さらに面白くなりそうだな〜と予感する。何はともあれ、楽しくて興奮できるものでなければ子どもの気持ちは動かないし、それは大人だってそうなんだと思う。
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