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2012/05/17

バンコク旅行記(2)

バンコクの路上はいろんな音にあふれている。車の音、食事する人々の会話、部屋から漏れ聞こえる音楽。公共の場とは静かで慎重であるべき、というような考え方はなく、溢れだすプライベートが混淆のサウンドスケープをつくりだしている。

初日のSuper Normalでのパーティーでも、隣のマンションではクラシックをがんがんかけてて、こっちの庭ではギターとカフォーンをかき鳴らしていた。暑い国だから風通しを良くすることが当たり前で、外のものが中に入ってくることを受け入れる気質があるのかもしれない。


聞けば、自動車の運転のルールもめちゃくちゃで、2車線なのに4列になって車が走ってたり、飲酒運転しても罰金だけで済んだり。屋台の店舗だって椅子だって道路にはみ出している。

食事のタイミングは決まっていないと前回書いたけれど、一人暮らしの部屋にキッチンがないのはデフォルトらしい。自炊の文化はほとんどないという。屋台のおばちゃんはそっけないんだけど、それは人々の食事をつくっているカァちゃん的な役回りであるからかもしれない。路上にキッチンがあり、食卓があるのだ。


2日目に篠田さんの家探しに同行させてもらった。こっちではネットや不動産屋で物件を探す文化はほとんどなく、空き物件の前にぶらさがっている看板に電話をして家を見せてもらうそうだ。

不動産屋や路上の規制のように、一括して管理するシステムがほとんどない。人々の生活実践のうねりを上げるエネルギーは、誰か権力が規制したところで止まらない。自己増殖する都市の迫力を、わずか1週間で強烈に体験した。



バンコク旅行記(1)

5月8日から15日までの一週間、タイ・バンコクに行ってきた。



目的は、見に行けなかった快快《SHIBAHAMA》の残り香を匂いに行くことと、バンコクに移住した篠田千明さんがどんなことをしようとしているのかを見に行くこと。そんでもって、がばっと遊んでくること。《SHIBAHAMA》の経験は、それは驚くほどバンコクに食い込み、バンコクの人たちをエンゲージしてた。見られなくて本当に残念だったし、詳細も知らないのだけれど、その残り香をかぐことができた。



人口はだいたい800万人。気温は年間通じて30度以上。すごく暑くてぼくもばてた。路上には屋台がところせましと並び、豪勢なタイ料理がずらりとならぶ。パッタイ、カオソーイ、ガパオ、カオトン、そして色とりどりのフルーツが40バーツ(100円ぐらい)で買うことができる。自炊の文化はほとんどなくて、食事の時間(シャワーの時間も!)決まっていないそうだ。お腹が空いたら食べて、シャワーは浴びれるときに浴びる。



滞在させてもらっていたのはSuper Normalというオフィス。建築からグラフィックまでクリエイティブまでを引き受けるデザインチーム。この2階が快快のレジデンスになっていて、そこにお世話になった。快快は集団制作というスタイルをとっているけど、集団生活も慣れている感じで、すっごく居心地がよかった。


8日に到着すると、そこはパーティー会場。快快のメンバーや《SHIBAHAMA》のスタッフをしていたタイの人たち集い、氷水を入れた桶にシンハービールをたっぷり冷やしている。蓮沼執太さんやイトケンさんも来ていて、慣れない海外旅行の不安を終えて、ほっと一安心。チョリソーやスナックを食べながら話をしていると、「表彰式」がはじまった。プラスチックダンボールにデコレーションして寄せ書きした「表彰状」を、活躍した人たちに快快から手渡していく。

明け方までパーティーは続く。篠田さんは酔いつぶれて、こーじさんは犬と話をしていて、タイ人たちはギターとカフォーンを取り出してタイポップスを歌って踊って、これでもかってぐらいビールを飲み続ける。



つたない英語で話してみて、バンコクの人に《SHIBAHAMA》どうだったかを聞いていた。「SHIBAHAMA makes people "engage"、あんなに人を巻き込む演劇は見たことがない。前半はどうなることかと思ったけど、のめり込んだ」みたいなことを言っていた。"Join"でも"involve"でもなく"engage"という単語がぴったりだと思ったのは、ぼくも大阪でSHIBAHAMAを見た時に、背後から囲い込まれるような強烈な力を感じたからだ。会場に入った瞬間に、客席とステージがひっくりかえることはもう契約されていて、飲み込まれるような空間の力がそこにあった。バンコクでどんな"engage"が起こってたのか、体験できなかったけど、この日のパーティーにもその匂いは強くのこっていた。

2階のソファーで目が覚めた時はすっかり朝。バンコクの初日はこうして明けていきました。