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2014/04/24

ファッション、ブルーノート、aiko

服、というかファッションについて話をしていて、何かぼくはずいぶんと勘違いをしていたんだな、と感じました。

ファッションというのは、雑誌や広告代理店によって作られたコードを消費するための手段だと思っていた。でも、そういうことじゃないんですね。そのときその次代に人が感じてるいろんなことが反映されまとわれる装いの"感じ"のことであり、それを構築するデザイナーの時代感をつかもうとする尽力のかたまりなんだなということでした。

例えば今現代において80'sファッションを参照してる人は、今この時代にそれをやってる意味とかがなんかしらあるわけで、それを掘り下げると、以外に2014年が見えてくる、とかそういうことなんですね。

ファッションとは時代の空気感である、というとあまりにも陳腐であるし、今この時代にそれを着ていることのリアリティなんです、というと???という感じだが、具体的につくった人の苦労や過程が見えると、そのリアリティというのがいろんな微細で無数の情報でできてんだなと感じる。現代はとくにそのリアリティ/人々の美学が見えづらい、ということもあって、デザイナーもパタンナーも縫製工場も、苦労しているそうです。

でもとにかくそれでもファッションデザイナーは、今街をゆく人たちのリアリティを敏感に考えながら、服をつくっている。

なんかわかんないけど、ぼくはこのエピソードを聴いて唐突にaikoの歌が聞きたくなった。あの、変な音を外す感じ(菊地成孔さんは某番組で「ブルーノート・スケールをまともにできるのは、久保田和伸かこの人ぐらいでしょ」と評していました。)と、それがなんか感じさせる男とか女とかを超えた人間の感情の複雑のあちこちいく感じを味わわせてくれるな〜と思った。

aikoのカバーするスピッツの『チェリー』が、びっくりするぐらい複数のアイデンティティでできてて、すごくよかったので、ぜひ聴いてみてください。