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2011/03/26

2011/03/25 大久保児童館と中村児童館

《完全避難マニュアル》で絵本をつくって以来、4ヶ月ぶりに大久保児童館を訪れた。あの時、絵を描くというよりも、部屋中で全身で表現をし続けたハヤトは、少し背が伸びて顔も大人びていた。みんな以外にも絵本のことやぼくのことを憶えてくれていたのが嬉しかった。大縄跳びをしたり、バレーボールをしたりして遊んだ。

もうすぐで閉館になって、建物もなくなってしまうあの児童館の人たちに、僕らが残せることといえば絵本を綴じて届けることぐらい。「いろんな国の子どもたちが集まる面白い場所が歌舞伎町の裏手にあった」と過去のことになってしまうのがとても寂しい。月曜日に絵本を届けにいくのが楽しみだ。

ひとしきり遊んだ後、中村橋で降りて中村児童館へ。安藤さんと地震の後のこととこれからのことを話したくて行ってみたら、もうすぐ高校二年生になるノブとタクムがいた。4月の「なかなかTIME」も時間が短くなってしまったみたいで、実質中止。約束をしなくても行けば誰かがいて、いろんな人と友達になれて、語り合うことができるこの場所と時間がなくなることをとても困っていた。

「同じ学年で集まっても話広がらねえじゃん。いろんな年の人がいるからここに来てるんだよ」と言うタクム。これにはノブもうなずいていた。

ため息をつくノブ。あーあ、とあきらめムードなタクム。ふと「じゃあ、夏、キャンプにでも行くか!いろんな人誘って」とらしからぬ提案をしてみたら、思いの外2人は食いついた。彼らともう1人、ショーンという男を加えて、16歳と23歳で夏キャンプ実行委員会をつくることに。なかなかTIMEの中止が功を奏して、面白い話が立ち上がった。


2011/03/23

2011/03/23 コンセプトブック原稿


活動に関わっていただいている方にぜひコメントを頂きたいと思い、コンセプトブックの原稿を期間限定で公開します。「こういうこともうちょっと書いたら?」「こういう内容はいる/いらないんじゃない?」など気軽にコメントください。よろしくお願いします!





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アーティストの制作×子どもの生活 ―協働の基盤をつくる―

臼井隆志/アーティスト・イン・児童館プログラム・ディレクター






アーティスト・イン・児童館

 〈アーティスト・イン・児童館〉とは、子どもの遊び場である児童館をアーティスト(現代美術家)の作品制作のための作業場として活用するプログラムです。
 2008年にスタートしたこのプログラムでは、練馬区立東大泉児童館に西尾美也さんを招待し《ことばのかたち工房》(2008-2010)を、北澤潤さんを招待し《児童館の新住民史》(2009)を実施。2010年には中高生対応事業を実施する練馬区立中村児童館に拠点を広げ、Nadegata Instant Party(中崎透さん+山城大督さん+野田智子さん/以下:ナデガタ)を招待した《Let’s Research For Tomorrow》を展開しました。
 児童館で遊びたい子どもたちとつくりたいアーティストが出会い、別々の目的をもちながら協働して作品をつくり、活動をふりかえってそれまでの経験を意味付けていく。この一連のプロセスを通じて、子どもとアーティストのほか、児童館の職員やそこに関わるあらゆる大人たち、運営する私たちが新しく学び合う関係性をつくる基盤として、このプログラムを提案しています。

 児童館は、学校を終えた子どもが放課後に利用する遊びのための施設です。そこでは、ドッジボールができ、マンガを読むことができ、冬は暖かく、夏は冷たい水を飲むことができます。そこに行けば誰か友だちがいて、新しい友だちをつくることもできます。開館時間中の出入りは自由です。児童館に行く/行かない、卓球をする/しない、料理教室に参加する/しない…これらのことを選択しながら、子どもたちは放課後の生活を送っています。
 しかし、子どもたちの生活は彼らの選択だけでは成り立っていません。学校に行かなくてはならない、塾や習い事に行かなくてはならない、と決められていることも多くあります。児童館も決められた選択肢のうちの1つになっていることもあるでしょう。そうして子どもに用意された選択肢のほとんどは、子ども(あるいはその親)の目的を受け入れるためにつくられています。

 〈アーティスト・イン・児童館〉を考案する以前に子ども向けワークショップのスタッフや児童館でのボランティア活動をしていた私は、こうした子どもを取り巻く環境に疑問を持っていました。世の中には、私たちのあらゆる目的を受け入れるサービスが用意されているわけではないし、何かを実行するためには他者の目的と折り合いをつける工夫が必要です。子ども同士が遊びやスポーツなどを通じて関係をつくることは大切だけど、子どもと遊びやスポーツとは別の目的を持つ大人が出会い、試行錯誤することも重要でしょう。しかし、多くの子ども向けサービスの中では、そのサービスを提供する大人以外との接触はほとんどありません。
 こうした環境への疑問から、〈別の目的を持つ大人〉の1人として、あるアーティストを児童館の子どもたちに引き合わせることにしました。さらに、彼には子どものための作品ではなく自分のための作品をつくってほしいとオーダーしました。このオーダーのねらいは、大人が子どもを受け入れる〈向き合い〉の関係だけでなく、受け入れつつ自分の目的を達成する〈寄り添い〉の関係をつくることです。子どもたちはアーティストの制作行為の中に遊びを見出すかも知れないし、アーティストは子どもたちの遊びの中に制作のヒントや素材を見出すかも知れない。別々の目的をもちながら、1つの場を共有し、モノゴトが生まれていく。そんな風景を見てみたいと、私はこの出会いに希望を込めました。 それが〈アーティスト・イン・児童館〉の始まりです。





〈リサーチ〉〈制作〉〈アーカイブ〉




 〈アーティスト〉とは、モノを作ったり、パフォーマンスをしたりして作品を発表し、言葉を超えたコミュニケーションを持とうとする人たちのことです。美術、音楽、演劇などのジャンルの中で、〈アーティスト・イン・児童館〉では特に、公共空間や日常の行為を素材に活動する現代美術家に焦点をあてています。
 児童館という子どもたちの生活圏で、子どもとアーティストが出会ってきたこれまでの活動をふりかえってみると、そのプロセスの中に3つのセクションを見つけることができます。1つはアーティストとプランを考える〈リサーチ〉、2つめは子どもを巻き込みながら実施する〈制作〉、3つめは活動の記録や生まれた作品を公開する〈アーカイブ〉です。それぞれのセクションで子どもの生活とアーティストの創作活動が交差している場面を見い出してきました。

想像力を揺り動かす〈リサーチ〉
/Nadegata Instant Party《 Let’s Research For Tomorrow》


 〈リサーチ〉のセクションを重視したのが、練馬区立中村児童館でアーティストユニットNadegata Instant Partyが作品のプランを考えるプロジェクト《Let’s Research For Tomorrow》です。中高生対応事業を実施するこの児童館で、テレビ番組や映画をパロディーにしながら〈出来事〉をつくりだす彼らとともに、児童館から遊びの域を超えてみたいというのが私の動機でした。まずは中高生との関係づくりが重要だと考え、Nadegataのメンバーと共に遊んだり行事を手伝ったり職員や館長と会話をしたりしながら〈リサーチ〉のためのプロジェクトを展開しました。
 児童館に出入りする中高生は何かを成し遂げることを目指すのではなく、のんびり過ごすことを目的としていて、小さな喧嘩や恋愛など甘酸っぱい人間模様を繰り広げながら、スポーツや音楽、お喋りに興じています。この状況を面白く読み取ったナデガタは、《全自動児童館》というプロジェクト・プランを考案しました。児童館で日頃行われている遊びやバンドの活動を、演劇家や音楽家とのコラボレーションで[パフォーマンス]に見立て、[入場料5000円]のフェスティバルをつくりだすというアイデアです。
 現状から飛躍したこの内容ですが、2011年2月26日にこのプランを発表するイベントでの、メンバーの山城大督さんと児童館に通う18歳の少年とのやりとりに一つの光明を見出しました。
「例えば、ちょっと想像してみて。チケットぴあで「児童館で5000円のフェスがあります」って書いてあったらどう思う?」という山城さんの問い掛けに、半ば無理やりステージに上げられた彼は「いや、絶対誰も来ないでしょ。少なくとも友達は買わない。値下げしろって言われるから。」と答えました。
「そうやな。でもやり方によっては、友達関係のその外側の、東京中、日本中、もっと言えば世界からお客さんが来るかも知れへんやん」
 この提案に対して少年が何をイメージしたかはわかりません。インターネットで児童館を会場にしたフェスのチケットが売られている様子を、うっかり想像してしまったのではないでしょうか。ぼくが見た光明とは、このやりとりと〈リサーチ〉のプロセスが生み出した、起こってもいない出来事の〈想像〉です。アーティストが児童館に通いながら様々なイメージをめぐらせ、児童館の中に「ここで見たことない事が起こるかも?」という気配が漂っていきました。あるイメージに輪郭を与え現実をつくる〈制作〉のプロセスへと移行するには、〈想像〉を伝播させる関係性を育む〈リサーチ〉が重要な役割を果たします。

遊びと制作を転換する〈制作〉
/北澤潤《児童館の新住民史》


 アーティストが提案するイメージを具体的な形にしていく〈制作〉のセクション。ここでは、アーティストの制作行為と子どもたちの遊びが交わり、当初のイメージからズレが生じ、予想外の展開を見せていきます。
 ある場所の日常に寄り添う[島][村][民]をキーワードに別の日常をつくりだす北澤潤さんのプロジェクト《児童館の新住民史》では、北澤さんとスタッフが自らを[児童館の新住民]と称して、出会った出来事をA5サイズの[手記]にひたすらスケッチと文章を書きこんでいきました。児童館の[住民]である子どもたちや職員の日常の姿や、[新住民]との交流の軌跡を描き出す仕事道具であったこの[手記]ですが、次第に子どもたちが「わたしも書きたい!」と言って彼らからペンと紙を受け取り、[手記]を描き始めます。この子どもたちの意志は、[新住民]とか言うヘンテコな大人と関わりたい、という欲求が変換されて出てきたものでしょう。ペンを奪ったり、紙を奪ったり、書くのを邪魔したりして試行錯誤の結果編み出された関係づくりの方法です。しかし、その方法は図らずして、[住民]から[新住民]へ、つくり手の立場への転換を生み出していました。
 もちろん、子どもたちの関わり方はこのような積極的なものだけではありません。「意味分かんない」と言って関わらない子も当然います。子どもたちの反応を期待しても、何も返ってこないこともあります。そもそも、遊びは形ではなく楽しみを味わう時間と経験を生み出すことを目的にしています。一方で美術は、絵画、彫刻だけでなく、映像、言葉などの多様なメディアを用いて作品を残します。完成するまでの時間が苦しいものであっても、形にして生産することを目的にしています。その二つの目的の間にズレがあるのは明らかです。
 しかし、その大人が作っているモノやその環境を見てなにか楽しそうなことがありそうだと直感し関わりを求めたとき、アーティストと子どもの双方に試行錯誤が必要になります。アーティストは子どもたちの欲求に寄り添って、予定していた制作の方法を変えていくことが求められ、子どもたちは自分の欲求とアーティストの要求の間で折り合いを付けながらその場を楽しむ方法を編み出すことが求められます。ズレながら形づくられていく北澤さんのプロジェクトでは、遊びの欲求と制作の欲求が寄り添いすすむルートを模索しました。そして、そのルートから生まれた400枚以上の[手記]は展覧会や記録集を通じて、それまでの活動の時間とともに〈アーカイブ〉として児童館の外へと開かれていきました。

過去とのつながりを更新する〈アーカイヴ〉
/西尾美也《ことばのかたち工房》


 これまで一緒に活動してきたアーティストは人との関係性を作品の中心に捉えているため、写真や映像による〈アーカイブ〉を発表することが多くなります。活動に関わっていた子どもや地域の人びとに活動の経験を想起させ、「過去とのつながり(アイデンティティ)」を更新するのが〈アーカイブ〉のセクションです。 西尾美也さんのプロジェクト《ことばのかたち工房》の活動記録集を見た当時10歳の少年が、その中に知っている人をみつけ、「あ!これあそこの花屋のお姉さんじゃん!」と驚いているのを見たことがあります。児童館で遊びでつくっていたモノを、知っている人が身につけている。なぜ?と疑問を持ったでしょう。
 人間の装いの行為とコミュニケーションを操作する西尾美也さんは、日頃身につけている[仕事着]に隠れていた物語([ことば])が[かたち]になったら…もしかしたらありえたかも知れない世界を、スタッフや子どもたちの想像からつくり出す仕組みを考案しました。 できあがった[ことばのかたち]をインタビューした人びとのもとに届け、それを身につけてもらった写真を撮影します。普段の[仕事着]と[ことばのかたち]を身につけた姿を対比した2枚の写真が作品になります。そして、その写真を公開する〈アーカイブ〉は、作品と子どもたちの間に再会のルートを導き出しました。
 数年後、彼が「児童館で古着で何か作ったな、あれはなんだったんだろう?」とふと思い出したとします。その解釈は彼の年齢や心境に応じて変わっていくことでしょう。現代美術はやはり〈分からない〉ものです。だからこそ、私たちの生活の中にある〈分かったつもりになっているもの〉を〈分からないもの〉として見せ、問いを投げかけることができます。このプロジェクトに関わった子どもや大人は、この〈分からないもの〉の思い出を持っています。その思い出は何度も新しく解釈をすることができ、それによって現在をいかようにも意味付けることができます。〈アーカイブ〉は解釈の手がかりを残しつつ明確な意味を示さない、いじわるだけど自由な場所であり、活動に関わった人びとの「過去とのつながり(アイデンティティ)」を更新するキッカケとして存在し続けます。
  部屋の中で記録集をふと取り出したとき。偶然通りすがりの展覧会に自分が関わった作品が飾られているとき。Googleで自分の名前を検索したら写真がヒットしたとき… 展覧会や記録集、ウェブサイトなどの形態をもって移動可能になった〈アーカイブ〉は、子どもたちと再会し、現在と当時の記憶をつなぐ様々な経路を持っていると言えるでしょう。



X・イン・Y ―組み替え可能な協働の基盤




 〈アーティスト・イン・児童館〉は、〈リサーチ〉で場の想像力を揺り動かし、〈制作〉の過程で遊び手とつくり手がゆるやかに立場を入れ替え、〈アーカイブ〉によって多様な人びとと共有し更新できる記憶を生み出します。児童館で居合わせた子どもと大人(アーティスト)の間に新しい関係が開かれ、その周囲にもゆるやかに連鎖していく、人びとの試行錯誤のプロセス、学び合いの関係性を生み出す基盤です。そしてそれは例えば、児童館の代わりに「老人ホーム」、アーティストの代わりに「ヒップホッパー」(=〈ヒップホッパー・イン・老人ホーム〉)というように、組み替えることが可能です。
 現在、現代美術の分野では、人々と積極的に関わりながら新しい表現を試みるアーティストたちが続々と現れています。一方で、教育、福祉の分野でもワークショップなどの活動のスタイルを用いた事業が次々に作られています。これらは近代がつくりだした分類・管理の社会への違和感から生まれた代替案であるといえるでしょう。こうした文脈の中で〈アーティスト・イン・児童館〉の活動も生まれ、育まれてきました。
 私たちは今、生活を支える仕組み自体を組み立て直していく変革期を迎えています。これから先、ひょんなことから考え方や生活の仕方が違う人達と居合わせ一緒に何かをつくっていくような、他者とのゆるやかな協働の機会に多く遭遇することになるはずです。私はこれまでこの活動を通じて、子どもとアーティストという別々の文化を持った人びとの間に立ち、その交点をつくるために試行錯誤を繰り返してきました。当然その試行錯誤は、アーティストにも子どもにも児童館の職員にも当事者として要求されます。こうしてこれまで出会わなかった人びとと共存の方法を編み出すプロセスは、私にとって重要な充実した時間です。 
 お互いのものごとのやり方を共有しながら、部分的に目的を共有して協働する。〈アーティスト・イン・児童館〉は、活動の当事者が協働の方法を学びとっていくための基盤であり、分類・管理の社会から脱分類・協働の社会へと組み替えていく1つの方法であると考えています。この活動に限らず、こうした〈組み換えの方法〉を提案する事業が持つ可能性と今後の展開を、本書を通じて共に考えていただければ幸いです。