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2016/08/18

空間を読む、作る、身体知 ー『TOKYOインテリアツアー』

前回のブログで「トラブルを抱える建築と向き合う」みたいなことについて考えていて、まぁそれを実践できているかはわからないのだけど、空間の手入れをすることで体も空間も生きてくる、みたいな話かなぁと思う。部屋が乱れてくると空間が帯びる雑味が身体に憑依してきて、体つきがルーズになることって、ある。 

自分の部屋は美しくも汚くもなくて、まだ食器棚や本棚も満足にそろえていないようなスカスカな感じなのだけど、ぼくはなぜか昔から空間の話をしたり聞いたりしていると元気がでてくる。それはきっと幼稚園の頃、ウレタンと木のブロックで壁をつくり、天板を渡して二階建ての建物をつくるのが大好きだったという経験に由来しているような気がする。それは自分で作った空間でゴロゴロしたり上り下りしたりすることができて、たいそう自由な気持ちだった。今でも空間のレイアウトをどうしようかと人と話し合うときや、配置を変えてバシッと決まった感があるときはすごく元気になる。 

『TOKYOインテリアツアー』刊行記念イベント「建築とインテリアの邂逅」


幸いにも、最近インテリアデザイナーの安藤僚子さんとお仕事をさせてもらっていて空間のプロフェッショナルからたくさん話を聞ける。そして、そのつながりもあって先月末に『TOKYOインテリアツアー』という書籍の刊行記念イベントに行ってきた。安藤さんと、共著者の浅子佳英さん、ゲストに建築家の中山英之さんを交えたトークは、あらゆるものを引用してつくる「編集型インテリアデザイン」の話から、原宿の東急プラザの話になって、外と内が緩やかに交わる建築とインテリアの邂逅の話になり、基準階型の建築(学校みたいにグリットで区切られた建築)は人の自由を奪うから、基準階型の建築をインテリアがハックして自由をつくりだしていくのが面白い、みたいな話の流れだった(要約雑)。最後のインテリアによって貧しい空間をハックして自由にする、という話は賛同!賛同!と思いながら聞いていた。

ぼくもインテリアツアーをしてみた。最初に東急プラザへ。
 とにかくお三方とも素材の名前から建築家やデザイナーの名前がポンポン出てきて、素材から配置の仕方、その歴史性など、空間のプロフェッショナルからしたら当たり前のことなのだろうけど、空間についてなんと多角的に思考しているんだとあっけにとられた。

入り口の鏡は、えげつないデザインだなぁと思っていたけれど、入ってみると風景のコラージュが面白い。
なにより(これも建築家やインテリアデザイナーからしたら当たり前だと思うのだが)、彼らは「空間は作ることができる」と思って世界を眼差している。多くの人はきっとそんなふうには思っていない。スーモを見たり不動産屋に行ったりして部屋を選んだりはするものの、空間を作るというアイデアを持っている人は、多くはないだろう。

空間を作る人の身体知みたいなもの 

「楽器を演奏した経験がある人の方が、音楽を聴いたときに脳の聴覚野が活性化する」という話があって、空間についても、きっと同じことが言える。空間を自分で作ったことがある人のほうが作ったことのない人に比べて、空間を知覚し、言語化し、自分に最適化できるように編集する力が長けていると思う。空間にしても音楽にしても、「作る経験」はきっと「よい身体」をつくるのだろう。そんなわけで、「作る経験」を積み、「良い身体」に仕上がってきている建築家やデザイナーの身体知みたいなものに興味がある。

その身体知とはなにか。とりわけ空間をつくるための身体知について、ちょっと仮に考えてみる。 ひとつは空間の文脈の読み解き方。この空間がどんな物語を持った場所なのか、ということを感じ取り言語化もしくはデザインに落とし込む感覚というのはどういうものなのだろうか。

続いて、素材の選び方。先のトークのなかで様々なインテリアの事例が紹介されたが、それぞれそこで使われている素材には必然性というかドラマツルギーがあるように感じた。この空間はこういう物語をもった場所だから、この素材が合う、という勘はどう働くのか。

そして、空間の形の決め方。空間の持つ文脈を読み解きながら新しく作り変えるとき、どんなふうに空間のかたちをつくっていくのか。特に内装の場合、ラグジュアリーに飾り付けるだけでなく、機能性も兼ね備えなければならない。その決め手はどう見つけていくのか。

さらには素材の買い方、揃え方。建材屋や繊維メーカーとのコネクション、あるいは廃材など安価な材料などを集めるルートをどうやって開拓しているのか。一般の市場には出回らないような素材にどうやってアクセスしているのか。 

次に、素材の加工の仕方。木材から金属、化学繊維までそれぞれに加工のための道具があるのだと思うが、どんな道具でどんな加工をすれば、イメージするかたちに変わっていくのか。素材の硬さなど特性、道具の得意なこと不得意なことを良く知っていればいるほど、加工の幅が広がるのだろう。 

なんかこういうのを単に「デザイナーのノウハウ」とか「仕事術」って言っちゃうと大事なことを見落としてしまう気がしている。こういうノウハウをどうやって身体に染み込ませているのか、というところが気になる。それは、「仕事をしていくうちに身につけた」とか「現場で培った」と言われてしまえばそれまでだし、何よりそんなおいそれと簡単に、誰でも身につくモノではないと思う。ただ、その限界を知りながら、限界まで言語化し、共有することを務めるのが、ワークショップを考える人間の1つの役割なのではないかと、最近考えている。