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2016/03/14

触覚覚書(1)

最近触覚についてやたらと考える機会がある。仕事で触覚をテーマにしたワークショップをつくっているからだ。なので、触覚についての自分の体験や考えたことをランダムにまとめておく。

・『姿勢の姿勢』
これまでほとんど考えたことがなかったけど、袖の通し心地のいい服は素晴らしい服、という革新的な体験をしたことがある。たしか、肘を曲げた状態で型をとってそれに合わせて立体裁断して作った服だったと思う。その服に袖を通した瞬間、びっくりした。まるで肌に吸い付くように、落ち着くのだった。ああ服というのは袖を通す楽しさで、それこそ触覚的なエンターテイメントなんだな、と思った。


・「耳ごこち」
大学時代のゼミの同期に、ノイズミュージックが好きな女の子がいて、なぜノイズが好きなの?って聞いたときに「耳ごこちがいいから」と言っていたのを覚えている。それまでメロディーや歌詞やビートだけで音楽を判断していた自分の概念を覆した言葉だった。たしかにコツコツと鼓膜を優しく叩いたり撫でたりするようなノイズは心地いい。音は内臓にも響く。それ以来音楽を耳だけじゃなくお腹や皮膚でも聴けるようになった気がしている。そのとき確か、evalaさんの話をしていた。


・『触楽入門』『第三の脳』

最近出会いのあった触覚研究者の仲谷正史さんをはじめとするテクタイルチームによる『触楽入門』を読んだ。そして、傳田光洋さんの『第三の脳』を読んだ。皮膚というのはまだまだ未知なる領域で、脳よりも先に皮膚が考えていること(色、音、気配など)がたくさんあるという話は驚きだったし、触覚を遠くに伝えたり、人間の触覚を拡張したりする新しいテクノロジーが紹介されていたのは面白く読んだ。テクノロジーが発展していくにつれて生身の人間の知覚は衰えていくんじゃないかと思っていたけれど、テクノロジーをより良く使うには、人間の知覚的リテラシーを深めていくとよいこともよくわかった。

・触覚と触り方
『触楽入門』で面白かったものの一つは、前半のほうの「触探索行動」というのの代表例で、「テクスチャー(表面を撫でる)」「全体の形(両手で包み込むように触れる)」「こまかな形(輪郭をなぞる)」「硬さ(圧をかけて押し込む)」「重さ(手のひらで受ける)」「温度(手を置いて静かにする)」というもの。触るという一瞬のことだけで、こんなにたくさんの情報がわかっているなんて!触ることが楽しい理由は、情報過多感なんだろうと思った。わっ!っと情報が全身を駆け巡る感じの楽しさなのだろうと。触覚的なエンターテイメントの可能性はまだまだ身近にたくさんあると思うし、その情報を言語化することで触感力みたいなものがぐいぐい育まれていく予感がある。

・言葉、関係性の中の「触感」

で、触覚のこと考えていて思ったのは、文章にも読み心地があるし、会話にもやり取りの感触があるということだ。「ザラザラした気分だ」とか「逆撫でするような言い方」とか、不快感を言いあらわすときもあれば、「スルスルとほどけていく」とか「ふにゃふにゃした気分」とか、気持ち良さを言い表すときもある。実際に触れ合っていなくても、心で感じている触感はあって、だから心は脳じゃなくて皮膚とか内臓にもある、っていう説をぼくは支持し始めてる。小説家が人間の心のひだを表現するとき、温度や質感など、触覚的表現を使っていることが多いことにも改めて気がついた。真っ先に思い浮かんだのは、川上未映子さんの『乳と卵』だった。

・触感と心
ということは、実際に手や体でいろんなものに触れて、いろんな触感を知っていることは、触感のボキャブラリーを増やし、それがすなわち心の感じ方を多様にしていく、ということになるんじゃないか。触覚が敏感で、触感の記憶力が豊かであることは、すなわち感受性の豊かさなんじゃないか、という気がしてきている。

・触感と道具とプロトタイプ
あとは「暗黙知」みたいなことをよく考える。言葉よりも先に手や体が先に動いていて、とても難しいことをやってのける職人さんたちはたくさんいる。感触を通して学ぶコツ、みたいなものとか、予想外のものが出来上がったときの喜びの感じとかって、それはスポーツにもアートにも工芸にも共通する人間の英知だと思った。たとえばプロトタイプをつくることって、大きさとか質感とか空間的な体感の仕方とか、頭や言葉で考える何倍もの情報がわっと飛び込んでくる。プロトタイピングってとても触覚的な知性だよな~とか。

・砂場遊びの楽しさ
あとは、子どもの遊びのなかの触覚性。砂場遊びはその典型だけど、水の加減で砂の質感が変化することや、水の流れ方や砂へのしみこみ方、砂の削れ方、あとは道具の使い心地など、いろんな情報がぐわーっと入ってくる。こりゃいいや、という感じ。

・エスカレートする触覚
砂場あそびって、最初は恐る恐る触っていくのだけど、だんだんエスカレートして最後は服まで泥んこになる。全身の触感が気持ちいいのは、ぼくも記憶にある。今やっても楽しいだろうな。指先で感じた触覚情報の豊かさが全身を包み込むともっとハイになるんだろうなと思う。

・皮膚から身体、言葉、テクノロジーに至る、触覚的エデュケーションとは?
さて、これは一体何か。これからさらに深堀りしていきたいところである。