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2015/05/14

泳ぎ方、カラダの姿勢、仕上がり

よどみなく、ゆったりとした心の状態、動きの流れ、というのがある気がしていて、それはカラダの動きのムダのなさ、やわらかさもさることながら、自分を疑い、自省することができて、何か無意識に間違った態度をとっている他者がいれば愛をもって指摘できるような心の状態。そういうふうに仕上がっている人がプロっぽい感じがする。



先週と今週と、平日休みの日の夜に泳ぎにいった。以前からちょこちょこプールに行って泳いではいるけれど、続けていったのは久しぶり。いつもとにかく力を抜いて泳ごうとするのだけど、何往復かするとクッタクタになってしまうから、これはちょっと泳ぎ方が間違っているんじゃないかと思って少し調べてから実践してみた。

ある説によればクロールの基礎は「伏し浮き」というのにあって、これは文字通りうつ伏せになって浮かぶ技術なのだけど、これがなかなか難しい。参考にしたのはこのページ。http://www.page.sannet.ne.jp/yamato99/tech_fusiuki/fusiuki_6.html

人間が水に浮かぶとき、肺に空気をたっぷりふくんで浮袋にするらしい。だから浮かぶときの中心は「肺」にある。一方で重心は「へその下」にある。さらにぼくの下半身は陸上部時代のへたなトレーニングのせいで無駄な筋肉がたくさんついているので、重い。肺を浮袋にしても、重心はへそだし、足の筋肉は重いし、下半身が沈んでしまって「伏し浮き」なんてできやしない。

このとき、重心を肺に近づけるイメージ、というのをどうつかむかがカギになる。とにかく力を抜いて、それでいて腹筋を駆使して重心を肺の方にぐいっと近づけるようにして、腰を軽く、首を重たく感じるようにしてやってみると、ちょっと浮けた。これは大きな進歩だった。

その状態で「蹴伸び」をすること、そして「ズン・チャ・チャ」の6ビートでキックをすることの練習をしていくと、浮かび、軽めのキックを推進力にして進めることがわかる。これに水を掻く手を加えると、驚くほどススムススム!

ランニングをするときも、上半身を少しだけ前傾させて重心を前に出し、頭をナナメ上に釣り上げるようにして走るようにすると力まず進めるという節がある。そう考えると泳ぐことと走ることって一緒なんじゃん。と、これまで長いこと走ったり泳いだりしてきて初めてつながった。そしてそれは冒頭の心の状態とカラダの姿勢にも通ずるような、そんな気がする。

半年ほど前だが、以前の職場の研修で不審者が襲ってきたときに子どもをどうやって守るか、というのの、抜き打ちの実演研修をやったことがある。施設内に立ち入って刃物を振り回してきた場合、サスマタなどをつかって押さえつけ、モノを投げつけ、バランスを崩し、戦意を喪失させ、無力な状態にするしかない、と教わった。もちろん、子どもを守らなければならない、とはいえ、そんな暴力の状態に自分を切り替えることができるか?そんなに仕上がってるか?と、かなりその時はショックだった。そんな心とカラダの状態って、異常なのか、それとも、ゆったりとしたよどみない動きを生む姿勢は、突発的な暴力状態にも切り替えることができるようになるんだろうか。

走るのも泳ぐのも、あとはなにかに取り組むにも、暴力状態に切り替えるにも、「身体を楽に動かすための姿勢」というのがあって、それはいつでも重心を動きたい方向に傾けるための準備された姿勢なのだろうということ。それは先日教えてもらったヨガについてのテキスト(「形、中身、神」)で書いていることにもつながる。

文脈をよみ、流れるような身のこなしができるような「仕上がった状態」みたいなのって憧れる。