今日知り合った地元密着系カフェの経営者の方から聞いた、お客さんでくる若いママたちの態度がすごい話。
お弁当持ち込んで何も注文しないわ、子どもがキッチンに入り込んでも叱らないわ、他のお客さんの迷惑になっても謝らないわで、やりたいほうだいなんだとか。
「そういうの注意しないんですか?」と聞くと
「怒らせると集団でつぶしにかかってくるからねぇ…」との答えが。
「え!?なんで!?」と理由をきくと、どうやらツイッターやフェイスブックでやたらめったらひどく書くらしい。たぶん「あのカフェは子どもをもつ母親に優しくない」みたいな感じなのかなぁ。そこに「私もそうでした」とビンジョウされて「それはひどい!」と共感を集めちゃったときにはもう炎上。お客さんが近寄らなくなっちゃう、ということがあるそう。共感マーケティングのダークサイド、といったところなのかな。
で、さらにおもしろいのが、そういうお母さんほど有名人の子育てに関する講演会や、「情操教育」を謳ったコンサートなどにせっせと足を運ぶとか。きっと"知育玩具"とかも買いまくってるんだろうなぁと想像する。(でも、造形ワークショップとかやってもあんまり興味を示さないのだとか)
「正しい子育て」という記号を追いかけ、それを子どもに体験させることでちょっとした安心感を得る、終わらない記号消費なのかもしれない。そういう記号消費の体験が子どもを育てているのが実態なのかもしれない。
でも、子育てってうんちにまみれたりげろ吐いたり、人間のプリミティブな部分と向き合うことに必然的になるんじゃないのかなぁ?そういう記号消費の裏には、子育てのしんどさとか、ある種の"ファッション化"した子育てのあり方とか、あるんだと思う。考えさせられる。
結局、ショッピングモール的な匿名文化がそれを育んでるんだろうなぁと感じる。とここまで書いたところで、突然『思想地図β』のショッピングモール特集のことを思い出したので、さっそくamazonでポチった。
歯止めの効かない「消費」の敷衍、世界のフラット化に抗うことはきっとできない。そんな郊外で必要なのは、ショッピングモールの仮面をかぶった複合的な「ネオ公民館」なのかなぁと思う。
それは例えば、1階がカフェ、地下がパーティーホール、2階に保育所・学童保育・高齢者のデイケアセンター、3階がワークショップスタジオみたいな感じの。
「SHIBAURA HOUSE」のコンセプトはそれに近いものを感じる。民間企業がこんなかっちょよくて近未来的な空間をつくるのが容易でないことはわかっているつもりだけれど、可能性を信じてみたい。
お弁当持ち込んで何も注文しないわ、子どもがキッチンに入り込んでも叱らないわ、他のお客さんの迷惑になっても謝らないわで、やりたいほうだいなんだとか。
「そういうの注意しないんですか?」と聞くと
「怒らせると集団でつぶしにかかってくるからねぇ…」との答えが。
「え!?なんで!?」と理由をきくと、どうやらツイッターやフェイスブックでやたらめったらひどく書くらしい。たぶん「あのカフェは子どもをもつ母親に優しくない」みたいな感じなのかなぁ。そこに「私もそうでした」とビンジョウされて「それはひどい!」と共感を集めちゃったときにはもう炎上。お客さんが近寄らなくなっちゃう、ということがあるそう。共感マーケティングのダークサイド、といったところなのかな。
で、さらにおもしろいのが、そういうお母さんほど有名人の子育てに関する講演会や、「情操教育」を謳ったコンサートなどにせっせと足を運ぶとか。きっと"知育玩具"とかも買いまくってるんだろうなぁと想像する。(でも、造形ワークショップとかやってもあんまり興味を示さないのだとか)
「正しい子育て」という記号を追いかけ、それを子どもに体験させることでちょっとした安心感を得る、終わらない記号消費なのかもしれない。そういう記号消費の体験が子どもを育てているのが実態なのかもしれない。
でも、子育てってうんちにまみれたりげろ吐いたり、人間のプリミティブな部分と向き合うことに必然的になるんじゃないのかなぁ?そういう記号消費の裏には、子育てのしんどさとか、ある種の"ファッション化"した子育てのあり方とか、あるんだと思う。考えさせられる。
結局、ショッピングモール的な匿名文化がそれを育んでるんだろうなぁと感じる。とここまで書いたところで、突然『思想地図β』のショッピングモール特集のことを思い出したので、さっそくamazonでポチった。
歯止めの効かない「消費」の敷衍、世界のフラット化に抗うことはきっとできない。そんな郊外で必要なのは、ショッピングモールの仮面をかぶった複合的な「ネオ公民館」なのかなぁと思う。
それは例えば、1階がカフェ、地下がパーティーホール、2階に保育所・学童保育・高齢者のデイケアセンター、3階がワークショップスタジオみたいな感じの。
「SHIBAURA HOUSE」のコンセプトはそれに近いものを感じる。民間企業がこんなかっちょよくて近未来的な空間をつくるのが容易でないことはわかっているつもりだけれど、可能性を信じてみたい。
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