2月28日〜3月2日、水戸芸術館へ。「拡張するファッション」展に参加しているFORM ON WORDSとして、その最初のワークショップをするために。んだけど、まずこの展覧会が素晴らしくて大好きになってしまったので、そのことをかく。
ぼくは正直、この展覧会を見くびっていた。ファッションという思考の枠組みは強固なもので、それを崩せるのかな?「好きな人はすきだよね〜」という感じに終始してしまわないかな?と、心のどこかで思っていた。でも、それはぼくが間違えていた。
服を着たり着させたり、つくったりもらったりすることの間には物語があるし、その物語を自分の感覚で面白いほうに変えていける「そういうツールなんですファッションは!」みたいな強い波動を感じたし食らった。それは、この展覧会のもとになった本の著者である林央子さんがしなやかに手繰り寄せてきた文脈、林さんと並走して展覧会をつくりあげた高橋瑞木さんのタフネスなのだと思った。
「拡張するファッション」展は、90年代の写真の広まりや、雑誌やZINEなどのD.I.Yムーブメントから、生産者/消費者という二項対立を超えた、服を着ること、服を通して他者と関わることへの情念をかたちにした人たちの記録と現在を見せる展示だと思う。
ぼく自身とファッションのことを考えると、まず、ぼくはファッションを自分の生きるうえでの大事なものだと思っていなかった。そして、この展覧会が見せる90年代の熱量をリアルタイムでは感じてきていない。大学生になってから知ったスーザン・チャンチオロをコロコロしたかわいい名前の人だなぁぐらいにしか思ってなかったし、ミランダ・ジュライをソフィア・コッポラと混同してたし、コズミックワンダーを好きな人はすきだよね〜ぐらいにしか思ってなかった。
服を着ることへの自我が芽生えた中学生や高校生の頃はもういわゆるゼロ年代半ばで、原宿にいってラグタグに行って、フラボアやズッカやツモリチサト、リバースやバウンティハンターを買うの?買えないでしょ…といって古着屋に行く、という時代だった。コズミックワンダーやヒステリックグラマーの台頭してきた時代は、ぼーっとした小学生でしかなかった。
なにより「ファッション」というものを遠ざける感覚が自分にはあった。あるモノを持っている、まとっている、あるコトを知っている、というステータス消費のサイクルにハマっているだけじゃん!呪われてるだけじゃん!ていうかお金かかりすぎるじゃん!というような感覚をもって、ファッションのことを見ていた気がする。
しかし、この「拡張するファッション」展を観て、ぼくはここに参加する作家たちが、ひたすらに、誰かのために服をつくることや、誰かが服を装って、生きて、変わっていく姿を見ること、それを丁寧に、それでいてセンス全開にして楽しみ、慈しんでいることを知った。
この展示の始まりにあるホンマタカシさんの部屋は、ファッションというものが「コレクション」のような制度によって発信されていくものだけでなく、人々による服の着方/遊び方によってつくられていくものとして、ファッションの民主化の始まりとして位置づけられている。
「こういうの楽しいと思うし素晴らしいと思うんだよね」と発信していく人々が、大きな制度に依存するのではなく、日常的実践からカルチャーを創造していくたくましさとかろやかさが、ホンマさんの写真や、その後につづく「Purple」や「Nieves」「Here and There」といった無数のZINEから感じられる。
スーザン・チャンチオロの部屋には、彼女の日頃のスケッチとそれを映像化したものが溢れるように貼りだされている。メモ、スケッチという日常の手癖のなかに、他者に装いを与えること、その物語への詩情を感じる。
横尾香央留さんは、他人から預かった服の"お直し"をするのだけど、柄に合わせたり合わせなかったりしながら、ちょっとした遊びとしてきのこを生やしたりしている。服やそれを着る人の物語の、終わらない戯れの予感がある。
ここに参加している作家たちは、ファッションの魅力をよく知っている。ある意味では半分呪われていることを自覚していながら、そうじゃない、自分の感覚を信じて生きることを可能にする手立てとしてファッションがあることを、強く願っているんだなぁと。
個人的にここ1年ぐらい、ぼくはあらゆる場面で「まぁそんなもんでいっか」とか「誰かやってくれるっしょ」みたいな怠惰な態度で生きていたと思うし、「こういうことをしたらドキドキする」とか「このワクワクは他人にも共有できるはずだ!」みたいな感覚を閉ざして、最低限のタスクだけをこなそうとするような、そういう生き方をしてきていた。だからこそ、この展覧会のなかにあるモノゴトの熱量には食らったんだろうなと思う。
FORM ON WORDSもまたその名の由来の通り服にまつわる「ことば」を集め、それを「かたち」にしていくプロセスのなかに「遊び」を取り入れることで、物語の読み方を複数化することに腐心している。
今回のメイン展示「ファッションの図書館」は、ファッション誌やファッション史の陳列ではもちろんない。個人の装いにまつわる物語=ことばの蓄積をつくりだしている。手前味噌だけど、強烈なリアリティだった。例えば亡くなった人の服とそれにまつわることば、かつて子どもだった誰かの服やその思い出など、目前にその服があると、そうした物語が自分たちの身の回りに無数にあることを、がっと思い出させられる。そういえばぼくの今日着ている服も、あの人から選んでもらったやつだったわ。その服を着ていることに、別の意味があることを思い出す。
そんなふうにして物語を預かったFORM ON WORDSがどんな風に服/かたちをつくっていくのか。ワークショップの過程は後半に続く。
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