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2014/10/27

空間を変える、仕事のトレーニング ー 石神井児童館工作室のリノベーションについて その1

先週一週間をかけて、昨年度から企んできた石神井児童館の改修工事を終わらせた。遠藤幹子さんに設計をお願いし、棟梁こと北條さんの現場指揮に従いながらアージスタッフ4人とがんばってこしらえた。



職員さんと相談し、とにかく不要なものを処分してもらった。断捨離。

バール(釘抜きのこと)とトンカチで棚を解体し、壁紙をはがして黒板塗料を塗った。

天井のカーテンレールと、備え付けの棚を白く塗って存在感を消した。

解体した棚を建具にして、これまたカラーの黒板塗料で塗装した扉を取り付けた。

棚をばらして有孔ボードを取り付け、展示したり自由な工作材料を並べられる場所をつくった。












毎日リポビタンDを飲みながら、丸ノコで吹き上がるおがくずに苦しみながら、和気あいあいと作業をすることができた。作業中に食べたドーナツが、その糖分が脳髄に染みわたる感じがして、とにかくおいしかった。あと、作業後に食べたごま油と塩で食べるレバテキも。



さてところで、今回のプロジェクトは施工をして終わりではなく、新しい空間をつくることで新しいプログラムを生成するのが目的だ。それは、子どもたちが職員のサポートを得ながら、自らここでの活動をつくっていくことだ。活動はむしろ、これからスタートする。これまで子どもの自治だ何だと言っていたけれど、実は「仕事」ということともつながってくるんじゃないかと思う。

超当たり前のことだけど、建築家は「人がこれから生きていく場所」をいくつもつくっていく。遠藤さんと仕事をさせてもらって、愛情と気遣いを尽くし、驚かしたり楽しませたりすることが絶えず生まれるような場所を次々と形にしていくなんて、建築家とはなんて大変で楽しい仕事なのだろうと改めて感動した。

「仕事」というのは言われたことを言われたままにこなすのではなく、「こうしたほうが(自分の生活が/世界が)面白くなるのに」というアイデアをリアライズする技術なんだなと思う。世界のお金の流れの中で、周囲の人に相談し、協力を頼み、自分のアイデアをちょっとずつでも加えながら、具体的に変化を起こす技術というか。

最近親しい人から「心理士」という仕事の話を聞いている。そこで思うのは、どんな仕事にも創意工夫が必要だというこれも当たり前のことだ。カウンセリングって人を癒やすちょっと神秘的な仕事に見えるが、その実務はクライアントの親や学校や機関とのつなぎ役だ。。あるいはクライントを守るために人とのつながりを断つ、小さな政治的な仕事だ。人と人との間を何度も縫ったり切ったりすることで、クライアントの生活を少しでもよく、軽くしていこうとする、心理士一人ひとりに創意工夫が求められる、難しい仕事だ。

今読んでいるハンス・ウルリッヒ・オブリストの『キュレーション A brief History of curating』を通しても、キュレーターがアーティストやビルの管理人などと協力して、創意工夫していくことで新しい美のタームがつくられてきたことを感じる。

でも、よく考えてみると、ぼくらは、自分でアイデアを出してそれを人と協力してかたちにしていくトレーニングを、子どもの頃から積んできているだろうか。そしてぼくは今でもそのトレーニングを怠ってやしないだろうか?子どもたちと一緒にそのトレーニングを積んでいける場所を残り半年でつくっていくっていうのが、なんかぼくにとって切実な動機なんじゃないかという気がしてきている。

そのトレーニングを発展させ、お金の流れの中に身を投じることが、仕事をする、ということなんだなと思う。

そういえば、ぼくが「アーティスト・イン・児童館」を始めたそもそもの動機は、子どもたちが面白いことに出会う場所をつくりたいと思ったことだった。最高のハプニングが起こるのを待つための場所を作りたいとおもったことだった。しかし、そのためには、お金の流れに乗る必要があったことを痛感しているのが現在だ。ぼくにはまだまだそれができていなくて、お金の流れが見えていないことが最大の欠点だ。そして、その欠点を克服するには時間がかかる。アイデアを形にする修練と、お金の流れの中に身をおくことをしていく20代後半にしていきたいなと思った先週であった。


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