『キュレーション 「現代アート」をつくったキュレーターたち』(ハンス・ウルリッヒ・オブリスト著、村上華子訳)を読んでる。そしてこのインタビュー動画がすこぶるシンプルで面白い。
現代アートの展覧会を企画するっていうことと、児童館を運営するということは、それは同時代性と変化の空間であるということでやっぱり通じているような気がしていて、それが何なのかわかなくてもやもやする。アートが多様な文脈の可能性を内包しているように、子どもたちもそうである。子どもこそアートだ!なんて言えないけれど、方向性は同じだと、やっぱり思う。
この本の中で、キュレーターは「メタ・アーティスト」なのでは?という見方も提示されている。アーティストの作品を、展覧会という大きな絵画の構成要素として扱う、というような。しかしそれでは面白くない。展覧会は多元的で、今見たものがつぎの瞬間にはひっくり返るような、絶えず変化するような、そういう場であってほしいと思う。
同様に教育者・保育者が「子どもってこうだよね!」「無限の可能性を秘めてるよね!」みたいなクリシェのために子どもが描いた絵や子どもの行為を並べ立てるのはおもしろくない。子どもの複雑さや子どもを取り巻く環境/大人の関わり方を批評的に考える場としての機能もまた、持ち合わせている。同時に子ども自身が次々といろんな表現/他者との関わり方を学習する場としても。
この本の中で、キュレーターは「メタ・アーティスト」なのでは?という見方も提示されている。アーティストの作品を、展覧会という大きな絵画の構成要素として扱う、というような。しかしそれでは面白くない。展覧会は多元的で、今見たものがつぎの瞬間にはひっくり返るような、絶えず変化するような、そういう場であってほしいと思う。
同様に教育者・保育者が「子どもってこうだよね!」「無限の可能性を秘めてるよね!」みたいなクリシェのために子どもが描いた絵や子どもの行為を並べ立てるのはおもしろくない。子どもの複雑さや子どもを取り巻く環境/大人の関わり方を批評的に考える場としての機能もまた、持ち合わせている。同時に子ども自身が次々といろんな表現/他者との関わり方を学習する場としても。
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