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2016/05/23

汚さ、祈り、物語のグルーヴ ー絲山秋子『ダーティ・ワーク』を読んだ

このあいだMother Terecoのスタジオに遊びに行ったとき、厚木までの小田急線で読もうと思って絲山秋子さんの『ダーティ・ワーク (集英社文庫) 』を買った。絲山さんの作品は学生の頃に『沖で待つ 』を読んで衝撃を受けて、ゼミ旅行で高崎に行ったときにご本人に一度だけお目にかかったことがある。そのとき、佇まいの背景にすっと通った筋と柔らかさみたいなものを感じて、言葉を扱い、物語を綴る人の佇まいのただならぬ感じに驚いた。


さて、この『ダーティ・ワーク』は、20代後半~30代の若者たちの人生がささやかに語られた群像劇なのだが、ん~!まずなにより前提知識なしで100%まっさらな状態で読んでほしい。なんのことだかわからないで読み始めたほうが、のめりこめると思うし、確実に面白いのでまずもって間違いなしです。面白くておもわず連続で3回読んで、それぞれ別々のシーンで鳥肌が立ち、目頭が熱くなった。

で、ここからはネタバレしながら書いていきます。

まず、あらすじ。『ダーティ・ワーク』文庫のリードを引用。

ギタリストの熊井望は、自分をもてあましながら28年間生きてきた。音楽以外に興味はなく、唯一思いを寄せるのは昔の友人。自分の分身のようにかけがえのない存在だったが、今はもう会えない。彼女が取り返しのつかないことをしてしまったから。様々に繋がる人間関係から見えてくる、ささやかな希望。ローリング・ストーンズにのせておくる、不器用な若者たちのもどかしくも胸に迫る物語。

ってこの文章!「様々に繋がる人間関係」とかネタバレだし、熊井が「昔の友人に取り返しのつかないことをした、、、」みたいなのだけが物語の骨子じゃないから!と思わずつっこみたくなった。こんな、現代の若者を描いたありがちな小説とかじゃないから!って言いたいんだけど、じゃあなんなのかというと言葉が見つからない

全部で7つの章からなるこの小説は、第1~3章までは、それぞれ独立した短編小説なのかな?って感じなのだが、第4章以降にだんだんとつながっていく。え、この人物とこの人物は過去に接点があったのか、とか、あ!この人ってこの人だったのか!とか。いや、冷静に考えたら、「オムニバスに見えて実は全部繋がってました系」の物語って、もはやそういうジャンルもので、この世にはごまんとある。しかし、『ダーティ・ワーク』の場合この構成があまりにも緻密で、多分このジャンルの中でもずば抜けて最高なのだと思う。もうこの緻密さの美しさだけで泣ける。

この物語を読んでいてしみじみといいなぁと思うのは、人称の変化だ。最初は「熊井はをした」という感じで三人称でひたすら語られていく。しかし章が進むにつれて、ほとんど前触れもなく会話の応酬のなかで一人称になったり、いきなり三人称にぐいっと戻ったりするし、かと思えばラストの章は「ですます調」の慎ましやかな一人称の語りで結ばれる。絲山さんの文体の特徴なのかもしれないけれど、状況描写からするりと会話のシーンには入るとき鉤括弧が使われないことがある。語り部と登場人物が同じグルーヴを共有しながら語ったり語られたりしてて、なんとも軽やかでここちいい文体だ。ローリングストーンズの曲のタイトルが各章のタイトルになっているし登場人物が音楽に関心を寄せているのも、納得がいく。

そして、何よりぼくが好きだったのは、この小説に散りばめられた、あっと驚くような突き抜けた表現のうまさだ。いくつか好きなシーンを引用させてください。

牛遊びしない?
なんですか、それ。
形容詞プラス牛。
えー、楽しい牛とかですか。
そうそう、いかがわしい牛。
悩ましい牛。
おびただしい牛。
小汚い牛。
おどろおどろしい牛。
輝かしい牛。
せちがらい牛。
思ったよりずっとその遊びは楽しくて、長く続いた。単調だけど、シーソーをしているみたい。いろんな牛が私の心に遊びに来て、いろんな顔をして去っていく。想像できない顔の牛が面白い。
(p.63~64 sympathy for the devil

「だってよう」
美雪は視線をそらした。
「だって何だよ」
「恥ずかしいもの」
そう言うと、床に正座した。自分のペースを失って、どうしていいかわからない彼女の様子がいじらしく思えた。
(p.79 moonlight mile)

母親は牛というよりも鹿に似ていた。父親は色白で、顔の表情がどことなくシュウマイに似ていた。しかしここでお父さんはシュウマイに似ていますね、などと言ったらどうなることだろう。
遠井が見舞いの言葉を選ぼうとしているうちに、彼女が話し始めた。最近の調子のこと。毎日違う症状が出て不安なこと。疼痛。骨盤の中を微生物が走るような感触、嘔吐、発熱、そして入院してから片時も離れない血管痛。
(p.80~81 moonlight mile)

「わざとらしくなかったか?」
「あんなに苦しんでるのにわざとらしいなんて思わないよ」
色っぽかったなんて言ったらまたティッシュの箱が飛んで来るだろう。
(p.95 moonlight mile)

もっと治れ、もっと根本的に治れ、彼は思う。彼女の腫瘍と一緒に自分の心配が消えうせるように、と彼は念じる。眠る牛にむかって念を送る。
(p.103 moonlight mile)

「辻森さんてさ」
「なんだよ」
「妖怪に似てるよね」
やっと笑った。
にゅいーんと笑った。
「なに妖怪だよ」
「レイキャビクマン」
「なんだよそりゃあ」
また笑った。
「すごく冷たいの。人を凍死させちゃう」
あと、花を食べて生きるの。
「ばーか、あったかいんだよ」
いきなり、ほっぺたが変形するほどべたーっと手を押し付けられた。
あったかい。
それに、がさがさしてる。
全然見た目と違った。
間違いを知るのがこんなに甘やかだなんて。
(p.144~p.145 miss you)

それは初秋の、一番美しい時間でした。傾いた日が、全ての色を少しずつ変えて行く、光に照らされたものだけが残り、見たくないものがだんだんに色を失っていく瞬間でした。
(p.196 beast of burden)

これを書いている間にまた読み返して鳥肌が立ってしまった・・・。引用だけではもちろん伝わらなくて、前後の文脈があってはじめてこの表現が強烈に輝くんだけど、素朴な言葉でありながらえぐってくる。

そうそう、この小説に出てくる登場人物は、誰も完璧じゃなくて、不謹慎なことを考えたり、あさましかったり、不健康だったり、嘘つきだったりする。そんなスレた感情を抱えた人間、つまりどこにでもいる人間に、物語のグルーヴがささやかに何かを祈ったり、美しい瞬間を見つけて驚いたりするシーンを運んできて、ぼくら読者は物語を読みながらその祈りや美に出会っていく。しかもその祈りとか美しさは、それを抱いた人が抱える不謹慎さや浅ましさと混然一体だからこそ独特だ。読み終わった瞬間にApple Musicでローリングストーンズの「Beast of Burden」を検索してかけて、それを聞きながら、『ダーティ・ワーク』という題の意味とは、人間のどこにでもある汚さと祈りのことなのかもなとぼんやり思ったら20~30分ぐらい鳥肌が止まらなかった。



はい、とにかく絲山秋子『ダーティ・ワーク』最高でした、という内容を、これから引越しをする本八幡に向かう電車の中で、つらつらと書き連ねていたのでした。

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