今年ももうすぐ終わるし、大学ももうすぐ卒業する。十何年か続いた「学校に通う」という生活ももうすぐ終わる。清々しい気分である。
さてところで、ある活動を通じて人びとに「生きられた時間」のその「終わり方」について、今日は考えた。「死」と「墓」と「喪」のメタファーで、「終わり」と「始まり」について考えてみる。その意味で、小此木啓吾さんの『対象喪失 ―悲しむということ』はとても素晴らしい参考文献。
失うこと、終わってしまうことへのより良い「喪の作業」によって、次の始まりを獲得することができる。喪とはつまり、哀悼、対象への愛情の認識、自己認識、発見、着想、アクションという過程のこと。ある時間への「喪の作業」を形式化することは、哀悼からアクションへの過程とその行為のデザインが可能。
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