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2014/09/08

美術展、子ども、参加 ーゴー・ビトゥイーンズ展 その2

森美術館で8月31日まで開催されていた「ゴー・ビトゥイーンズ こどもを通して見る世界」展に、ぼくが関わった「子どもキャプションプロジェクト」の成果物が展示されていた。

この展覧会については以前にこちらで書いている。→「子ども、複雑さ、意志 ーゴー・ビトゥイーンズ展 その1


想像していた「子どもがかいたキャプション(作品解説文)」というよりは、「こどもの感想つぶやき(まとめ)」というような印象だった。ワークショップ自体も、小学校の鑑賞プログラムと一緒にやったので、そういうアウトプットになってしかるべきだと思う。

今回のワークショップに関わって、その成果物を見て思うことは、ワークショップにおいて、子どもなど参加者は「共同制作者」なのか「サービスの対象者」なのか、ということ。

子ども向けのアートのワークショップにはいろんなタイプがある。ひとつは、アーティストの手法を体験・模倣・学習する機会。彫刻、絵画、音楽などさまざまであるがアーティストの特徴的な制作の手法を模倣させるもの。あるいは、簡単でだれでもできる敷居の低い工作。持ち帰れる飾りものや日用品を簡単につくることができる。美術館で「夏のこどもフェア」的なものがそうだ。(ここには結構多くの家族連れが集まるらしく、来場者数を稼げるという事情もあるらしい)そして、日常的に行われているのが展覧会の鑑賞ツアー。学校向けのプログラムで、学年単位で来館し、子どもたちに美術館のスタッフが作品の魅力を伝えるツアーを実施するようなかたち。

他にもいろんなモノがあると思うが、その多くは、アーティストの仕事/(主催者が考える)アートの価値を子どもに対してわかりやすく翻訳してあげるための手段/サービスだと思う。つまり、子どもは「お客さん」以上の立場には成り得ない。

唯一、アーティストと子どものガチンコ制作だけが、子どもを「主体的な」参加者であると捉え、新しい作品の共同制作者という立場で迎えている。それは作品制作のために、子どもが持つ楽しさ、稚拙さ、不安、一生懸命さ、悪ふざけ感、過剰さなどが合わさった質感が、作品のコンセプトをより強いものにし、目指すべきムードを演出するために必要なものである場合に限る。

今回の「子どもキャプションプロジェクト」は、作品ではなく展覧会という一つの物語/文脈/構成に、子どもたちがその楽しさ、稚拙さ、不安、一生懸命さ、悪ふざけ、過剰さなどをもって参加することができる、可能性のあるフレームだと思った。結果的に「子どもの感想つぶやき」のまとめのようなかたちになったが、ワークショップのしつらえ次第では、子どもたちが作品の資料から物語を構成し、自分たちの目で作品を解説するプロジェクトにもできたかもしれない(ものすごく時間とコストがかかることだけれど)。

子どもが大人に対して作品の意味を翻訳するということを起こしうるのが、ワークショップの本当のポテンシャルなんだと思うが、どうか。こうした子どもと展覧会が関わるプロジェクトの、今後に期待しつつ、自分にもできることをかんがえていきたい。


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