もう二週間前になるが、橋口亮輔監督の『恋人たち』を観に行った。トレイラーも見ず、職場近くのテアトルの看板だけで、下のコメント
"飲み込めない想いを飲み込みながら生きている人が、この日本にどれだけいるのだろう。今の日本が抱えていること、そして"人間の感情"を、ちゃんと描きたい。"
これを見て、あ、必見と思って仕事終わりに駆け込んだ。そして、その予感は的中した。ぼくはこの映画を観てよかったあーーーー!!!と思った。その理由は、ワークショップから生まれた作品であること、そこに自分がいると思えること、聞こえない相手へのモノローグの3つ。
映画を作るワークショップを、プロアマ問わず様々な役者の人たちと一緒に実践した、という話は荻上チキさんの「session 22」で知った。橋口監督にはそれ以前にプライベートでとても辛いことがあって、社会的に立ち直れないかもしれないとどん底だった時期に、人に誘われて始めたワークショップがカムバックのきっかけだったという。その内容の一部は、 橋口亮輔の「まっすぐ」というエッセイに詳しい。
ぼくも子ども向けのワークショップをつくる仕事をさせてもらっているけれど、このエッセイに書かれているような、他人の人生をえぐるエチュードをするようなものはまだできていない。本当は他人の人生を変えてしまうほどの磁力を持った場がワークショップなのだろうと思いながら、自分にはまだまだだと思うし、そんな責任も取れていない。
そんなみみっちいぼく自身と比較するまでもなく、橋口監督はその「他者の人生をえぐるようなワークショップ」に身を乗り出し、自分自身の人生をえぐりながら恢復し、映画に向かったのだろうと思う。そうしてえぐられ、恢復していった監督や参加者の人生が映画というバゲットにレバーペーストのように塗りたくられ、観客は苦味とともに希望を味わう。そのためのメディアとしてワークショップがあったのだ。ああ。
※以下、ネタバレ注意
そんなたくさんの人の人生が塗りたくられた映画のなかに、ああ、自分がいるなぁと、我々は感じざるを得ない。愛する妻を亡くした若い男、旦那と姑との生活を送る主婦、やり手のゲイの弁護士の3人が主人公なのだけど、彼らが他人に対して耳を閉ざすこと、情けなとわかりながら行動できない悔しさ、幻に救いを求める滑稽な姿・・・役者のえぐられた人生は、観客の人生も、えぐっていく。
そしてクライマックスの一連のシークエンスは、3人の主人公が、耳を閉ざしてしまった恋人たちへのモノローグへとつながっていく。「飲み込めない想いを飲み込んでる人たちの"人間の感情"」が、やりきれない状況のなかで、そしてそれぞれに聞こえない他者に向かって吐露するシーンは涙なしに観られなかった。
他にこの映画の良かったところは、懸命に生きる人の滑稽さが、どうしようもなく笑えてしまうところだ。水曜日の映画デーで、男女ともに1100円で見られるテアトルには仕事終わりのいろんな年齢の人が集まっていて、随所で笑いが起きていた。温かみのある劇場の雰囲気も、最高だった。
以下、笑えたセリフ集
「ほら、静電気ないんだよ」
「そりゃそうだ」
「ほんとやだ〜」
「いいものいっぱい入ってる。そうだね。自然ってすごいね」
「あれ、回んないなこれ」
「それが今の旦那なんだけど」
「先生、泣いてくれてるんですか〜?」
そう、裏切りや理不尽さ、やりきれなさのなかで傷付いた重たい人生は、ふとした笑いで軽やかになってしまうのだ。ぼくが一番笑ってそして泣いた黒田の言葉「笑うことは大事だよ」に、そうだよね、と思うのだ。
今の時代感とか、黒田の名ゼリフ集とか、語り口はいくらでもあると思う。未見の方はぜひ。観た方は一緒に飲みましょう。
"飲み込めない想いを飲み込みながら生きている人が、この日本にどれだけいるのだろう。今の日本が抱えていること、そして"人間の感情"を、ちゃんと描きたい。"
ー橋口亮輔
これを見て、あ、必見と思って仕事終わりに駆け込んだ。そして、その予感は的中した。ぼくはこの映画を観てよかったあーーーー!!!と思った。その理由は、ワークショップから生まれた作品であること、そこに自分がいると思えること、聞こえない相手へのモノローグの3つ。
映画を作るワークショップを、プロアマ問わず様々な役者の人たちと一緒に実践した、という話は荻上チキさんの「session 22」で知った。橋口監督にはそれ以前にプライベートでとても辛いことがあって、社会的に立ち直れないかもしれないとどん底だった時期に、人に誘われて始めたワークショップがカムバックのきっかけだったという。その内容の一部は、 橋口亮輔の「まっすぐ」というエッセイに詳しい。
ぼくも子ども向けのワークショップをつくる仕事をさせてもらっているけれど、このエッセイに書かれているような、他人の人生をえぐるエチュードをするようなものはまだできていない。本当は他人の人生を変えてしまうほどの磁力を持った場がワークショップなのだろうと思いながら、自分にはまだまだだと思うし、そんな責任も取れていない。
そんなみみっちいぼく自身と比較するまでもなく、橋口監督はその「他者の人生をえぐるようなワークショップ」に身を乗り出し、自分自身の人生をえぐりながら恢復し、映画に向かったのだろうと思う。そうしてえぐられ、恢復していった監督や参加者の人生が映画というバゲットにレバーペーストのように塗りたくられ、観客は苦味とともに希望を味わう。そのためのメディアとしてワークショップがあったのだ。ああ。
※以下、ネタバレ注意
そんなたくさんの人の人生が塗りたくられた映画のなかに、ああ、自分がいるなぁと、我々は感じざるを得ない。愛する妻を亡くした若い男、旦那と姑との生活を送る主婦、やり手のゲイの弁護士の3人が主人公なのだけど、彼らが他人に対して耳を閉ざすこと、情けなとわかりながら行動できない悔しさ、幻に救いを求める滑稽な姿・・・役者のえぐられた人生は、観客の人生も、えぐっていく。
そしてクライマックスの一連のシークエンスは、3人の主人公が、耳を閉ざしてしまった恋人たちへのモノローグへとつながっていく。「飲み込めない想いを飲み込んでる人たちの"人間の感情"」が、やりきれない状況のなかで、そしてそれぞれに聞こえない他者に向かって吐露するシーンは涙なしに観られなかった。
他にこの映画の良かったところは、懸命に生きる人の滑稽さが、どうしようもなく笑えてしまうところだ。水曜日の映画デーで、男女ともに1100円で見られるテアトルには仕事終わりのいろんな年齢の人が集まっていて、随所で笑いが起きていた。温かみのある劇場の雰囲気も、最高だった。
以下、笑えたセリフ集
「ほら、静電気ないんだよ」
「そりゃそうだ」
「ほんとやだ〜」
「いいものいっぱい入ってる。そうだね。自然ってすごいね」
「あれ、回んないなこれ」
「それが今の旦那なんだけど」
「先生、泣いてくれてるんですか〜?」
そう、裏切りや理不尽さ、やりきれなさのなかで傷付いた重たい人生は、ふとした笑いで軽やかになってしまうのだ。ぼくが一番笑ってそして泣いた黒田の言葉「笑うことは大事だよ」に、そうだよね、と思うのだ。
今の時代感とか、黒田の名ゼリフ集とか、語り口はいくらでもあると思う。未見の方はぜひ。観た方は一緒に飲みましょう。
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