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2015/11/24

物の語り、石の語り

子どもの遊び道具について日々考えている。道具も玩具も「物」であり、0~4歳ぐらいの小さい子どもの遊びを見ていると、物を投げたり鳴らしたり転がしたり並べたり、物を使った遊びのなかに、物と対話しているように感じるときがある。その対話が楽しくなるためには、物がより多くのことを子どもに語りかけ、また、子どもの話(行為)を良く聴く(受けとめ、リアクションする)、というのが重要なのだ、と思う。

「物語」っていう言葉って、もしかしたら「物が語る」というか「物の語りを聴く」ということなのかもしれないと思う。こんなことを考えていたら、一つ思い出すことがあった。

小学生のとき、猛烈に打製石器と磨製石器にハマった時期があって、学校から帰ってマンションの裏山に入り込んで石をコンクリートに打ち付けて割ったり、ガリガリ削ったりして、それで木を削って遊んでいた。

そのとき、同時に「堆積岩」と「火成岩」についても習っていた。火成岩はマグマが冷えて固まったもの。堆積岩は水などの流れによって運ばれたものが固まってできたもの。そういう知識があったから、石を拾い集めているときに、それらの石が辿ってきた時間に思いを馳せた。

これが、ぼくにとっての「物の語りを聴く」という原初体験だ。


ただ、「物の語りを聴く」ために別に知識は必要ないはずだ。触ったり、投げたり、いじくりまわすことを通して物と語り合う、とはどういうことか。さて、もう少し考えてみよう。

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