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2010/09/13

「児童館の新住民史」によせて

2009年度に東大泉児童館にて実施された、アーティスト北澤潤によるプロジェクト「児童館の新住民史」。構想におよそ9ヶ月。実施期間5ヶ月。それからさらに6ヶ月後の今、プロジェクトは一冊の美しい本になろうとしている。

「児童館の新住民史」は、児童館という場所にもともと居る「旧住民」と、新たに現れた「新住民」を対置させ、その二者の " 間 " にそれまでとは少し違う新しい文化を紡ぎ出していくことを目指していた。

北澤は当初より、「そこにいなかった人が " 新しく居る " だけで、その場所は変化するはず。そのことを実証したい」と言っていた。またこの「そこにいなかった人」として児童館に居ることになった「新住民」を、「その場所の日常に埋没せず、その場所に " 次の日常 " をもたらす人びと」であると規定した。

日常に埋没せず、"新しく居る"ことは、その場所に埋め込まれた役割に当てはまることなく、新たな役割を提示し続けるタフな作業である。例えば児童館には、「子ども」、「大人」の二者が役割がすでにあり、「大人」の中にも「職員」と「ボランティア」がある。この中で「新住民」は無償で子どもや職員と関わるのだから「ボランティア」に一番近かったといえるだろう。「ボランティア」は「職員」の仕事を助け、子どもの遊びをサポートする奉仕者である。つまり、職員、子どもから期待されることに応じることがその役割だ。しかし、「新住民」はその期待に抵抗し、そうではないアイデンティティを求め、その場所になかった役割を獲得するアクションのための準備を始めた。

その準備が" 児童館を観察し「手記」に記す " という行為であった。北澤いわく「児童館の新住民史は、児童館の日常を観察し、" 日常を見直す " なかから見えてきた何かをカタチにすることで、その日常を変えていくプロジェクト」。手記を書く事を通じて何かが見えてくるだろうと想定していたようだ。それは、観察することではなく、子どもや職員との別の関わり方であったのだろう。

果たして、「次の日常」は見えたのか。この問いには、「新住民たちが予期しなかったかたちで見えていた」と答えるべきだろう。手記を書くという行為自体が、新住民のアイデンティティとなり、それを模倣する子どもたちが現れる。その時点で、「児童館の日常を観察する人達が居る」、という新しい日常はすでに現れていた。

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