「完全避難マニュアル」の制作で、Port Bの高山さんとmixi上でアイデアを交換している。
ぼくたちの提案に高山さんは、
「ものすごくソフトに、優しく、ルールや遊びを楽しむことを共用されるような閉塞感を感じる」
とコメントしてくれた。すごい。こういう違和感、ぼくもどこかで覚えていたはずなのだが、言葉にできずにいた。ぼくの中に、この閉塞感が内在化されていたのだ。危なかった。それをこのタイミングでつついてくれたことに対してどう応答するかが鍵だけど、打破したかった何かが少し、見えてきた気がする。
異質なものが「共存」することの面白さを見せるなら、その場を楽しめない人が居合わせることも重要。その人の嫌だな、苦手だな、という態度・ふるまいによって、その人がその楽しみを享受するか、その場がより排他的なものになるか、あるいはその場がその人の気質によったものに変質するか、そのどちらかだけど、場が変化することとそのプロセス自体が面白いのだ。
ぼくに用意できるのは、それら変化の「可能性」だけで、ぼくが変化そのものを作り出せるわけではないということを自戒しておく。
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