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2011/10/08

接続回路のイメージ

「接続回路」ということばが好きで、ぼくはこれを好んで使っている。しかし、何と何を接続する回路なのか、どんな仕組みなのか、それがよく見えていないから、今日はそのことを少し考えてみる。


イメージでは、雲と雲の間にパイプを置く感じだ。雲Aの氷晶を、雲Bに移動させる、パイプ。目に見えるモノの移動を想像している。


なぜ「接続回路」ということばが重要なのか、というと、ある特定の領域で世界が閉鎖されることを恐れるからであり、絶えず行き来し、具体的な移動が行われる複数の世界をイメージしているからだ。それはすでに、ネットワークということばで解決されているのかもしれないが、ネットワークから排除されている人々もいるし、自分だってあるエリア(佐々木俊尚さんは「ビオトープ」と呼んでいたかな?)に入り込めずにいる。例えば、量子力学のエリアとか、どこかで接続しているはずなのに、入り込めていない世界がある。複数の世界を行き来することは、アイデンティティを硬直させず、ぼくたちの日常を分解し、複層化させ、編集できるようにしてくれる。


その「接続回路」を通って移動するのは、ぼくたちの想像なのか、具体的な身体なのか、念を記した物なのか。そのパターンによって回路の形態も変わってくるだろうし、移動の方法も変わるだろう。(お金さえあれば)どこにでもいけてしまう交通を手にした今、遊牧民生活は可能であり、(デバイスさえあれば)どこの状況も見れてしまう現在において、想像上の遊牧民になりうる。お金のないぼくたちがいかにして「接続回路」を手にするか、これが重要だ。




メモ:「念を記した物」誰が?誰のために?

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