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2014/04/03

わからない重さ、わかる軽さ

ことの終わりが、いくつも、同時に、目の前に現れた3月から4月。2014年度が始まって3日経つけれど、終わりを整理しきれずにいる。

新しい時間を前に、ほとんど白紙の未来が茫々と広がっていて、こんなにも白紙は人をたじろがせるのかと思うほど白紙。

いや、やるべきことはたくさんあるのだ。石神井、中村橋、光が丘、雑司が谷、水戸、丸亀、前橋、奈良・・・いろいろある。ただ、お金のこととか、人と楽しく働いていくためのやり方を学ぶこととか、そういう見通しが立っていないまま再出発をしてしまっていいのか、悩んでいる。

ここ1、2年の、無自覚な空回りと横暴さと、人への無神経さが、招いてしまったいくつもの終わり。さて、やるべきことをやろう、と身体を動かそうにも、驚く程に元気が出ない。

やってしまったことを悔いていて、このさきのことも不安で、たじろいでいて、お金のことも仕事のことも、これまでの経験を活かしてうまく回していける、という自信もなくて、こんなに失敗をしてしまって自分にはもう何もできないんじゃないか、という絶望というほどカッコよくない、みっともなく、いじけたようなモサモサが、元気が湧いてくるところにドサッと重たく蓋をしている。

ということなのだと思う。ということが、わかるだけで、少し気持ちが整理される。蓋になっているモサモサが、少し軽くなる。

わかる

わからない

わからないということがわかる

わからないということがわからない

わからないということがわからないということがわかる

といういくつかの段階があって、何かがわからないときには、何がわかっていないのかがわかっていないんだなぁ、ということを確かめてから始めるといいのかもしれない。そのことに気づくために、いろんな人と話をして、モサモサを軽くし、ついには消し、元気を取り戻していかなくては。















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