言葉とか物語とか人間の身体とか動きとか魂みたいなものとか命みたいなものとか、そういうものを単線的な時間じゃなくて行ったり来たり方々に散らばったりする、日々生きてる時間感覚とは全然違う時間の中で体験させてくれるのが演劇や小説の力だなと思ったけど、いや、違うよなと。
こういう作品を全身全霊で作っている人たちがいて、人々の自己顕示欲とか、浅はかな甘えとか、思慮のなさとか、そういうものがあると同時に、人間の肉体は生きてて生き生きできたり死んだふりができたりするのだ、ってことを『再生』では目の当たりにした。ただ肉体があって、動いたり叫んだりするという事実だけでなく、それを何かに見立てたり不意に感情を動かされたりするわれわれ観客の存在があることも、事実として浮彫りになるんだけど、その事実を目の当たりにしたことがなんだかやたらとグサグサきて、あの迫り来る何かは全く言葉になる気がしない。
『わが星』の最後のセリフ、「あなたには私がどんな風に見えているの?」という問いに対して「光ってる」と答えたそれは、メタファーじゃなくて、光っているというか、光を反射してそれを目が認識してるから見えている、というただただ事実で、そうであること、をただ肯定しているだけだった。
物語を通して、真実でも現実でもなく、事実と出会い直す感じって、なんだろうなーわかんないなー。
ここ数週間で出会ったどんな作品も、人の力が結集して、惰性や甘えがなく、キレッキレの仕事がなされていた。魂を捧げた仕事があって、そうでなくては物語は人の心を震わせない。そういう仕事を僕もしなきゃと思って、部屋に帰ってまず片付けをした。
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