ページ

2011/10/19

経験に"問"をしかけるために

子どもの経験に"問"をしかける。あれは一体なんだったんだろう?と問い直すときが、何度も何度も訪れるような、マルチプルな経験をのこす。子どもに関わるものにおいては、そういうワークショップ、アートプロジェクトがいいと思っている。

そのためには、その経験に"快"があったほうがいい。楽しかった、気持よかった、面白かった、興奮した、そういうたぐいのポジティブな感情だ。でもそれだけじゃいけない。

山本さんのプロジェクトを通じて思うのは、子どもの意志、自分で考えることが必要だということだ。彼らが選択した経験であることだ。しかし、そこには親の意志や先生の意志が少なからず介入する。親、先生、児童館職員、子どものまわりにいる大人の、マルチプルな経験をのこすためのネットワークがいる。

自分で選んだことが、楽しかった、面白かったとしたら、それはまた思い出したくなる経験になるだろう。ただ、それは誰かや何かへの"憧れ"であっていいのかな、とは思う。ファッションに憧れる、ショーに憧れる、あるいはそこにいる大人に憧れる。そういう大人になりたい、そういう業界に行きたい!と思った時点で、ブルデューの言う再生産の構造に組み込まれるんじゃないかな、と思う。感動は自分でつくった何かに対してあるべきで、大人は憧れようとする子どもの視線をはね返すか、煙に巻くほうがいいだろう。しかし、子どもに受け入れられると大人は嬉しいのだ。それはとても難しい。


ところで、「マルチプルな経験」のヴィジュアル・イメージは、『エヴァンゲリヲン新劇場版・序』の「ラミエル」だ。忘れているときは正八面体をしていて、外部の刺激(敵の攻撃)によって、思い出す(反撃する)ときにかたちを変える。そんな感じだ。








0 件のコメント:

コメントを投稿