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2011/10/12

『Referendum ー国民投票プロジェクト』オープニング集会

Port B『Referendum ー国民投票プロジェクト』オープニング集会に行ってきた。

去年『完全避難マニュアル 東京版』のスタッフをさせてもらっていたけれど、今年のPort B はまた違う。震災と原発の問題に端を発し、「政治」と向きあうプロジェクト。靖国神社の桜の木の下に埋まる死者の話と、一度も使われずに廃炉になったオーストリアのツヴェンテンドルフ原発の話でこの集会は幕をあけた。

「国民投票」あるいは「直接民主主義」という題材で質疑も血の気の多い感じだったし、豊島公会堂という会場の雰囲気もあったんだろうけど、運動の時代にスリップしたのかと思った。いや、本当に運動の時代に再び突入しているのかも知れない。

このプロジェクト約一ヶ月の期間中、東京と福島の中学生の「声」をあつめるキャラバンカーが、東京と福島の各所をめぐり、そこで昭和の、日本の夢の時代を生きた巨匠たちの話を聴くフォーラムを開き、観客にはある「投票」をさせる、という。まだなんだか分からないからこそ、体験してみたいと思うのは、「まだ生まれていない人たちと死んでしまった人たちの『声』を聞く」その方法の模索へと向かっているからだ。ハンス=ティース・レーマンの「政治の境界は"時間"である。政治が統治できるのは"生きているもの"だけ」という言葉に従って考えて、政治の統治の外側にいる人からも「声」を集めるための仕掛け、ということなのか?「"政治の時間に"まだ生まれていない人たち」の表象としての中学生なの?すると、死者を暗喩するものは?

わからないことだらけのこのプロジェクト、しかしこのオープニング集会は面白かった。ぼくがここで思い出していたのは、大学の授業で聞いた、古代ギリシャの直接民主制の議会の場の話だ。古代ギリシャの都市国家では、住民全員が広場に集まり、ある議題について大勢で叫び合うという場面があったそうだ。そこには意見を言う順番も何もなく、ひたすら怒号が響きあう。しかし、その広場の轟々とした"うねり"のトランスの中で、ある一つの合意へと向かっていく、というような話だった。クラブみたいだな、と思っていた。(うろおぼえ)

ぼくたちは個人でありながら、同時に複数の「声」を宿した身体である。(山本高之さんの《CHILDREN PRIDE》も、この視点で見ることができる)  なぜなら、いろんな人の意見や考えに影響されながら生きているし、それは他者の声を宿して生きることでもあるからだ。

キャラバンカーがいろんな「声」を拾い上げていくところまではなんとなく想像できる。インタビューやフォーラムというかたちで拾い上げられた「声」が集まり、古代ギリシャの広場とは違う、結論に至らない、変な形の"うねり"が、ウェブ上でテキストになって可視化されるんじゃないかなー、というのも期待している。そして更に楽しみなのは、きっと、観客や出演した人、個人の身体が変わるんだろうな、ということだ。宿していた「声」をシャッフルされたら、それは身体が変わるということだろう。これは自分で体験してみないと分からない。楽しみだ。



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