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2011/11/07

プラクティカルな子ども

山本さんのプロジェクトを通じて、自分で考えた価値体系をもって他者を占い、表彰し、路上に繰り出して自分の考えを社会に伝える、という経験をした子どもたちが、たしかにいる。それはメタファーでもなんでもなく、事実。

山本さんを招待し、ぼくが子どもに対してやったことは、新しい体験をさせ、新しい世界の見方をあたえた、ということもできる。だけど、何よりも彼らの行動を変えた事のほうが大きいように思う。

児童館でいつものように遊びに来ていて、なんとなく「占い教室」や「トロフィー工作」に参加して、がっつり小屋やトロフィーをつくることになったり、外に出て「パレード」をすることになったり。(もちろん裏では職員さんたちの手厚い協力があって成り立っているのだけれど) 最初は、「ちょっと覗いてみよう」というぐらいに思っていたかもしれない。なにげなく選んだ行動だったのだけど、最後にはプロジェクトを担う主体になっていた。

そう、彼らはまぎれもなく、プロジェクトのメンバーだった。最後には交換不可能な個人だった。いつものように遊びに来た児童館で、気がついたら、すごく小さな"実際の"社会、政治、経済に参与していくことになっていた。

2011/11/06

4つのシーンの続き



「終わってからいろんなことに気がつく」ということをわかっていながら、本番中にぬかりなくできたかどうか。

まずはじめに観たい「シーン」があって、そのために事を起こす。その「シーン」を成立させるために必要な「素材」をあつめなくてはいけないし、「場所」を確保しなければいけないし、その「シーン」の続きまで想像しなくてはならない。「シーン」を中心に、前後の時間を広く想像し、行動し、形にしていくのだ。

6月から動き始めた山本高之プロジェクト、ワークショップ・シリーズ。4つのプロジェクトがすべてクランクアップ。おつかれさまでした。4つの「シーン」の続きを、これから。

2011/10/27

いいと思ったら、まぜかえす

開進第一小学校の校長室にて
《まちのみなさんありがとう》の撮影が完了した!
(http://jidokan.net/blog/2011/1026-998/)

昨日のCAMPのトーク〈実践と判断〉にて、

「表彰式がうまくいって、喜びと喜びで終わってしまったら、その解釈で止まってしまう。例えば、警察の人の『うわ、でかいな...』とつぶやいた微妙な顔を、彼(表彰した子)には忘れないでほしい。」

というような内容を語っていた山本さん。いくつもの解釈のレイヤーがあって、そのどれかにかちっとはまってしまうのではなく、もっといろんなことを考えられる可能性を、彼の作品とその体験はもっている。


今日の最終日は学校の校長先生に「いろいろな話をしてくださってありがとうございます賞」を届けにいったわけだけど、届けたHくんと山本さんは、終わったあとの帰り道、こんな会話をしていた。

山「校長先生、いつもどんな話してくれてんの?」
H「え、わかんない」
山「わからんの?わからんかったら、『いろんな話しを...ありがとうございます賞』あげんでもよかったんじゃないの?」
H「えー...」

表彰できてよかった、と安心しているHくんのなかに、新しい疑問を生む。「あぁ、たしかにあれでよかったのかな?」とHくんが思ったかどうかはわからないけれど、こうして、経験を複層化・多面化している。山本さんの作品をみていると、あるいは本人と話をしていると、いくどとなくまえぜかえされる。ほんとうにラミエルみたいだ。