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2013/12/26

大きな文脈、規制、OSの設計

12月23日(月・祝) 

アサヒ・アートスクエアで開催されていた山城大督さんの個展「VIDERE DECK」に行く。「時間」を主題にしていたこの展示、オートマチックでループされる12~13分の時間のなかで、子どもが世界を認識する過程、他者に伝えること、刻まれる時間などが描かれる。エモーショナルな、小さな世界とその肯定感はとてもここちよい。敷かれたカーペット、そしてどこから入ってもいい時間のループ。時間とは、直線的につづいてくものではなく、ひとつの円環であり、放射線状にのびる形象なのだなぁ〜とぼーっと感じ入る。

ただ、正直ぼくはこの展示には既視感をおぼえてしまった。どこかで観た/聞いたような感覚というか。見終わって思ったのは、なんかもっとやばくて狂気を感じるものを期待していた。

あと、なぜ今この時代、この場所で、このアーティストの映像や時間、小さな生活についての展示をやる意味があるのか。その言葉がものたりなく感じた。アサヒ・アートスクエアのディレクターの坂田さん、あるいは運営委員会のみなさんの大きく出たステートメントを読みたかった。(というか、それがなかったので、なんだか業界内の報告会のようで居心地が悪かった。)

今、この時代に、この実践は何を問うているのか…。その大きなコンセプト/思想/文脈を語る勇気が、アーティストを扱う場には必要なんだと改めて感じた。


12月24日(火)

この日は児童館へ。前澤Pと、萌ちゃんと、縣さんと4人で児童館の工作室にいくと、イベント開催のためにいつもの居場所を追われたゲームホリック男子たちがうようよと集まっていた。

「はろー」といつもぼくとカードゲームの対戦をして遊ぶ子に声をかけると、「おう、うっすん」と元気がない。聞けば、明日からカードゲームの持ち込み・使用が禁止されるそうだ。理由は盗難があったから。翌日に緊急子ども会議が開催され、そこでゲーム禁止について審議するという。

「これでまたひとつ規制が増えた…」と嘆く子どもの姿に、ぼくはとても悲しくなってしまった。

「新しい大人が来るたびに「◯◯禁止」規制が増えるし、「あいさつをしなさい」みたいな標語も増える。そういうのがほんとにウザい。空気ワルくなるし。だから最近みんな児童館つまんないって言ってるし、実際人も減ってるよ」

と言うのは小5女子。「うっすんだって、ボール握るの禁止にするじゃん」と言われてはっとした。あれはドッジボールを楽しくするために、それはやめて、と言ったのだが、その真意(ボール握らないほうがドッジボールが楽しくなる)というのはあんま伝わってなかったんだなぁ…。

で、4人でその女子グループの話を聞いていると、児童館への不平や不満がこんこんと湧いて出てくる。まぁ実際どっちもどっちというところもあるんだけど、この状況は全然いいとは言えない。職員さんと子どもたちの和解というか、相互に許し合って、いい児童館を一緒につくろうと約束しないと、この状況は変わらない。



12月25日(水)

この日はアージの理事会+企画コーディネーター会議+忘年会。

理事会では、来年度から着手する人材育成事業の内容についてと、自由な活動と小さなリスクを許容する「寛容性の空間」をつくるためのルールや合意の場の形成をしなければならないということを話した。そのためにプログラムを組んでいく。

子どもたちが自由に活動をするための、子どもと親、地域住民、児童館職員などそれぞれが合意していく場。そのうえで、子どもたちが自由に素材を使って創作を楽しめる環境をつくる。これはいわば、合意の場があり、ルールを生成し、素材の開放・企画立案を可能にする"OS"。そこに様々な表現の技法をもちこむ"アプリケーション"の導入。あるいは、立法・行政・司法のミニマルで創造的な形であるともいえる。

企画コーディネーター会議では、おのおのの現場で感じていた「毒」をばーっと吐き出した。児童館(あるいはその背後にある社会)が子どもにかけてしまっている規制のこと。「居場所」とその「排他性」のことなど。

来年の企画もまた、一筋縄ではいかないだろうと思う。








2013/12/23

キラキラ、ダラダラの質、見せるもの

放課後アートプラン関連企画オープン児童館「放課後体験ツアー」「中高生クッキングバトル」の2つのイベントが無事終了した。イベント終わって深夜まで並木くんとセバと飲む。セバが、言語の構造からみる日本語ラップの魅力について語ってて、それが面白かった。

昨日の昼間は、ゆう杉並にいって中高生主催の「アクティブフェスタ」に行ってきた。レッド・ホット・チリ・ペッパーズの『By the Way』のコピーや、ライムスターの「ウワサの真相」の元ネタになってるCreamの曲とかを演奏する高校生たちのライブが超かっこよくて、驚いた。高校生たちが放つキラキラをたっぷり食らった。

何よりよかったのは、ゲームサークルの子たちがスマッシュブラザーズの大会をやっていたり、鉄道の会の展示があったり、NERDな子たちの輝き。鉄道の会の展示には、どこかの電車を見に旅行にいったときの写真が展示されていて、彼らの青春の記録に胸を打たれた。

ゆう杉並では、高校生たちが自分たちで自分たちのためにイベントをやっていた。「これをやりたい!」という気持ちが集まっていた。しかしおとといの「中高生クッキングバトル」は構造が全然違う。これは職員とアージスタッフが強い思いをもって実現し、そこに中高生たちに乗っかってもらったかたちだ。いわば彼らをお膳立てしてステージにあげ、小学生や大人に向かってパフォーマンスさせている。「ちょっとめんどいな」と思っていた子もいると思う。当日はテンションぶちあがってたけれど。

児童館では、何もやりたくない、ダラダラしたい、めんどくさい、という気持ちが渦巻いている。そこで「何かやろう!」と持ちかけても、「えーやだ」となるに決まっている。

このことをどう考えるかがアージの企画のキモ。どの児童館に行ってもこの状態だから。

何もしない、ダラダラするということはダメなことなのか…?というのがひとつ。何もしていないということはない(息はしている)のだから、このダラダラの質、というのが問題だと思う。

もうひとつは、何かやろう!と呼びかけなくても人間の行動を喚起する手法はあるということ。やろう!と言われなくてもやりたくなる環境というのがある。たとえば、イベントが終わったあとの工作室は、余った食材が山盛りになっていて、それを使って男子たちがこぞって料理をつくっていた。材料を開放することで、つくりたくなるし食べたくなる。

あとはやったことのないことへの不安感をどう減らし、手を出しやすくするか。ドッジボールは面白いけど、話し合いは面白くない(面白くないものしか経験したことがない)。やったことのない初めてのことにどう取り組むかは人類の課題だし、それこそが創造性だと、アージでは考えている。

そして、そうやって子どもらのモチベーションを上げる過程をつくっていくことと同時に、お客さんにどう見せるか〜というのも大きな問題。もっと映像のクオリティ上げるとか、彼らの日常の振る舞いを見せるものに変える「枠組み」を作っていかなければならない。

しかし、その専門性はぼくたちマネジメントチームがもつべきものではなく、外注するべきかなぁとも思う。演出とオペレーションは分けたほうがいいと思うし、その点は悩み。

2013/11/29

ティーンエイジ、過酷な夜、夜のツアー

最近考えてるアイデアなんだけど、実現できるかわからないけど書いてみる。


まず企画の背景。

児童館で小学校高学年〜中高生を中心に話を聞いていると、けっこう彼らの夜は過酷なんだなぁということを考えざるをえない。「お母さんが働いていて11時まで帰ってこなくて、そこからモスバーガーを食べに行くんだぁ」とか「もう5日連続モスバーガーなんだけど」とか。児童館の閉館時間が終わったあとも家に帰らずに公園でたむろしてたりとか、ゲーセンに直行したりとか、そんな光景も目にする。

家が居づらい、とか、ちゃんとご飯をつくってくれてないとか、家庭環境の難しさに出会うのだ。聞いた話では、給食を食べに学校に行っている子もいるらしい。1日に1食、給食だけを食べている。その食べ方が異常だから保健室の先生が対応したら、その事実がわかったそうだ。

こんな話はもしかしたら見えていないだけで巷にあふれているのかもしれない。映画『誰も知らない』は20年以上前の実際の事件をモチーフにしているけれど、ああいうことはそれから至る所で起きているのだろう。程度の軽いものも含めて。

寂しいし、お腹も空いているし、親とうまくいってなくて家にはあんまりいたくないし、でもずっと友達と遊ぶわけにもいかないし・・・。家にいることが我慢することになっちゃってるのかもしれないなぁと思う。


で、課題。

この微妙な夜の過ごし方を変えていくことができたらいいのにと考える。退屈しない。夜出歩いていい。人と関われる。あわよくば一緒に御飯が食べられる。


ここで企画の参考例。

ぼくが敬愛しているアーティストグループ「Mammarian Diving Reflex」がとてもおもしろいプロジェクトをやっているのを思い出した。『Nightwalk With Teenagers』というシンプルなタイトルのプロジェクト。夜の散歩をしよう、というこれ。(詳しくは、MDRのプロジェクトを経験して育ち、自らプロジェクトをつくるようになったYoung Mammalsの1グループ「The Trontonians」が主催しているみたい。詳細はこのブログに。http://www.thetorontonians.blogspot.ca/p/nightwalks-with-teenagers.html

10代中頃の少年少女たちが、ある街の夜の散歩ツアーを企画する。地元の子達が組んだツアーを、他の街のティーンエイジャーたちや一般の人たちに参加してもらう、というプログラム。

この内容を読む限り想像できるのは、若者の目線を知るのは大切ですね、みたいな教訓めいたもの。でもこのプログラムが提供しているのは多分その視座に限らない。コンセプト文にも書いてあるが、10代の少年少女たちと大人との間にあるバリアをぶっこわすことがねらいになっている。

(プロフィールに「dance on the street, start fights with drunk guys, take photographs, draw penises, ・・・」などと書かれていて、この「The Trontonians」がワークショップ時代のストリートカルチャー/ヒップホップを担ってる感がすごい。)

そもそも10代の少年少女たちが微妙に社会の「ヨソモノ」として扱われていること。そして夜の街を出歩くというネガティブに見える行為をツアーで体験することで、その奇妙な魅力と高揚感を味わえることなど、いろんな演劇的な仕掛けがしてあるだろうな〜と思われる。参加してみたすぎる。



で、提案。

この『Nightwalk With Teenagers』に「夜警」「防犯」みたいな意味をつけて、東京でもできないか、ということ。練馬にも夜出歩いてる少年少女たちはちらほらいる。彼らをオーガナイズしてこのプロジェクトのメンバーになってもらって、企画をつくることで夜の時間がひとつの枠組みに変わる。一緒にご飯食べるのも企画の途中に入れる。さらに地元の人にそのツアーに参加してもらえれば交流のきっかけにもなる。コンビニで出会った時に、わけわかんなくて怖い他者じゃなくなる。

もちろん夜の世界は不思議なので、予想だにしないリスクにあふれているんだろう。でも、なんかできないかなぁ…。

ひとまずの目標はトロントにいってこのプロジェクトを体験したいということだ。(というか彼らのプロジェクトのことを聞きに、ぼくはこの6月にドイツに行ったのだ。まるでおっかけだ。)

2013/11/27

記号消費、ショッピングモール、ネオ公民館

今日知り合った地元密着系カフェの経営者の方から聞いた、お客さんでくる若いママたちの態度がすごい話。

お弁当持ち込んで何も注文しないわ、子どもがキッチンに入り込んでも叱らないわ、他のお客さんの迷惑になっても謝らないわで、やりたいほうだいなんだとか。

「そういうの注意しないんですか?」と聞くと
「怒らせると集団でつぶしにかかってくるからねぇ…」との答えが。

「え!?なんで!?」と理由をきくと、どうやらツイッターやフェイスブックでやたらめったらひどく書くらしい。たぶん「あのカフェは子どもをもつ母親に優しくない」みたいな感じなのかなぁ。そこに「私もそうでした」とビンジョウされて「それはひどい!」と共感を集めちゃったときにはもう炎上。お客さんが近寄らなくなっちゃう、ということがあるそう。共感マーケティングのダークサイド、といったところなのかな。

で、さらにおもしろいのが、そういうお母さんほど有名人の子育てに関する講演会や、「情操教育」を謳ったコンサートなどにせっせと足を運ぶとか。きっと"知育玩具"とかも買いまくってるんだろうなぁと想像する。(でも、造形ワークショップとかやってもあんまり興味を示さないのだとか)

「正しい子育て」という記号を追いかけ、それを子どもに体験させることでちょっとした安心感を得る、終わらない記号消費なのかもしれない。そういう記号消費の体験が子どもを育てているのが実態なのかもしれない。

でも、子育てってうんちにまみれたりげろ吐いたり、人間のプリミティブな部分と向き合うことに必然的になるんじゃないのかなぁ?そういう記号消費の裏には、子育てのしんどさとか、ある種の"ファッション化"した子育てのあり方とか、あるんだと思う。考えさせられる。

結局、ショッピングモール的な匿名文化がそれを育んでるんだろうなぁと感じる。とここまで書いたところで、突然『思想地図β』のショッピングモール特集のことを思い出したので、さっそくamazonでポチった。

歯止めの効かない「消費」の敷衍、世界のフラット化に抗うことはきっとできない。そんな郊外で必要なのは、ショッピングモールの仮面をかぶった複合的な「ネオ公民館」なのかなぁと思う。

それは例えば、1階がカフェ、地下がパーティーホール、2階に保育所・学童保育・高齢者のデイケアセンター、3階がワークショップスタジオみたいな感じの。

SHIBAURA HOUSE」のコンセプトはそれに近いものを感じる。民間企業がこんなかっちょよくて近未来的な空間をつくるのが容易でないことはわかっているつもりだけれど、可能性を信じてみたい。




2013/11/18

遊び、メディア、自治 ―YCAMコロガルパビリオンにて


YCAM10周年記念祭で設置された「コロガルパビリオン」。これは、ナナメに伸びる床やミニマルな山やジャングルジムでできた抜群のアスレチック感に加え、マイク、カメラ、LEDなどさまざまなデジタル機能が埋め込まれた公園型パビリオン。

遊び方を「習う」のではなく、子どもが身体をフルに使って遊ぶことで「生み出していく」というのがコンセプト。「子どもあそびばミーティング」というワークショップを通して、子どもによる新しい装置や使い方の提案、YCAMのテクニカルチームによる実装がなされ、子どもの意見によってアップデートされていく。

この映像をごらんいただければ、コロガルパビリオンがどんな場所か、一目瞭然。


Korogaru Pavilion from YCAM on Vimeo.
「コロガルパビリオン」
山口情報芸術センターに隣接する中央公園に設置された仮設の半屋外型メディア公園。斜面や飛び降り台といった身体的な要素と、照明や音響といったメディア的な要素が分け隔てなく存在し、相互に影響しあって子供たちが新しい遊びを創出するための基礎となります。遊具の使い方を習うのではなく、自ら考え創造しながら遊ぶという公園です。
http://10th.ycam.jp
http://www.facebook.com/YCAM10th


空間としては、去年の「コロガル公園」の検証と建築ユニットassistantが設計に加わったことで格段にパワーアップしていた。建築の特徴としては、二つの円形の空間があり、走り回る「速い遊び」とよじのぼる「ゆっくりな遊び」といった遊びの速さ、光の入り方、ウチとソトなどが対比された構造になっている。



面白かったのは「子どもあそびばミーティング」を通して、2つに分かれた空間をつなぐアイデアがいろいろ生み出されていたこと。片方でスイッチを押すともう片方から突風が噴き出る仕掛けや、それをモニタリングできる仕掛けなど、見えない2つをつなぐデジタルなメディアとフィジカルな遊びがリンクする。

そもそもデジタル=メディアではなく、人と人、人とモノ・コトを媒介するモノ自体が「メディア」と捉えることができる。その意味で言えばお金とか法律とかもある種のメディアになる。(商店街で展開されていた「LIFE by MEDIA」のプロジェクトは服や特技といった貨幣以外のモノを交換することで場が成り立つものだった)

コロガルパビリオンでは、その「法律」すなわち「ルール」にまつわる部分がとても興味深い。この公園の大きな特徴として、プレーパークと同様の「自分の責任で遊ぶ」「それ以外は自由」というルールを採用し、それを承認した上で入場させている。この責任の所在が全面的にYCAM側になってしまうと、危機管理が厳しくなり、子どもの遊びの自由さ/創造性を制約することになる。うらをかえせば、個人の責任で行われる遊びは創造性と自由度が高い。

もちろん喧嘩は起こるし事故や怪我もある。そういう諸問題に対応しつつ、子どもの遊びの可能性を拡張していくために「プレーリーダー」の存在がある。彼らが媒介になって子どもの遊びづくりをサポートし、またそれが他の子にもシェアされ、ゆるやかに連帯していく。もちろん、遊びだけでなく、喧嘩が起きた時の仲裁や、トラブルが発生したときの対応など、子どもたちが自分で考えられるように促していく。プレーリーダーはそこで生み出された遊びやルールのデータベースとして機能しているようにも感じた。(毎週1回、鍋を囲みながら会議をしている彼らの影の努力があってのこの機能だけれど)

プレーリーダーがサポート役となって、さまざまな遊び・ルールが生み出されていく。そこに「子どもあそびばミーティング」を通した公園機能のアップデートがある。これによって、自分たちの遊び場を(大人の協力を得ながら)自分たちでつくる、という「自治」が展開されているらしい。自分たちがよりよく遊ぶために、装置や企画をつくり、法をつくり、仲裁の仕方/されかたを学んでいくこの場には、行政・立法・司法のプリミティブな芽生えがあるのかもしれない。




更に面白いことは、会期の終盤になって、本物の行政を動かすための「運動」が生まれ始めているということだ。コロガルパビリオンはYCAM10周年記念祭における仮設建築として施工しているため、12月1日の会期終了とともに無くなってしまう。それを「署名運動」によってコロガルパビリオンを存続してもらおうと運動を起こした女の子がいる。




小学3年生の彼女は、署名用紙をお父さんに作ってもらい、YCAMのコピー機で印刷し、公園に設置している。周りの友達や来場者に呼びかけ、署名を集めている。これまでコロガルパビリオンの内側/遊びの中で経験されてきた「自治」がその枠を飛び出し、ついには本物の行政を動かすかもしれない。

こんな風に、子どもたちが自分たちの遊び場を(大人の協力を得て)自分たちでつくりだす、というコンセプトは「冒険遊び場」から生まれ、歴史は長い。しかし、メディアセンターが教育普及の一環でこの取組を始めた、というところに新規性がある。公園の新しい価値を問いなおすと同時に、メディアセンターや美術館自体の公共性のあり方を問い直す実践になっていた。

ぼくらが取り組んでいる《放課後アートプラン》においても、この事例が参考になる部分は少なくない。ルールや使い方を子どもたちとともに決めること。子どもたちにとって、そのほうが楽しい遊びができる!という実感があること。子どもたちのこんなことやってみたい!という「意志」と、自分で考えてつくる!という「責任」が喚起され、それを大人のサポートによって実現させていくこと。"環境づくり"がポイントになっているぼくらのプロジェクトにおいて、このコロガルパビリオンはひとつの重要なモデルケースになる。


2013/10/31

児童館で企画をつくる 《放課後アートプラン》

今週は《放課後アートプラン》のミーティングウィークであった。石神井児童館、中村児童館、光が丘なかよし児童館を日々訪問し、子どもたちから集まったアイデアシートと、各児童館の意向を掛け合わせたプランの方向性を協議する。

香川に行って「芸術士」の活動を観て一番強く感じたことが、子どもが自分(たち)で何かを作りたくなって、それができる環境の必要性だ。何か刺激を受けて、自分の気持ちが動いて、何かをやりたい!と思わせる/誘発させる要素があること。あと、実際それに挑戦できる環境になっていること。

あるテーマに則して、子どもたちがつくりたいものを作れる環境に、少しずつ変えていく。参照できる資料や自由に使える素材などリソースがあって、子どもたちが自分で何かをつくって共有する、という活動が日常になる。その活動の文脈に合わせ、同じようなリソースで、次元の違う作品をつくるアーティストを招聘し、作品をつくる様を見せたり、共同制作をしたりする。そうなったら理想だなぁと。

このベースとなる環境の設計がポイントだ。例えば、子どもたちが自由にマンガやイラストを描いて本したりデータにしたりできて、さらにはネットでの発表や展示もできる。

児童館には「子どもが自分たちでモノや企画をつくる」という要素が足りない。工作教室からクッキングまで、大人が用意したものを言われたとおりに組み立てる、というパターンが多い。児童館の工作室が、何らかのかたちで自由な活動を解放する空間になることで、創造性は伸びていくはずだ。

工作室を整備して、日常の創作活動を温めること。これはアージのコーディネートの第一歩になる。これから各館のテーマに即して工作室の整備をすすめるのと、作家を選ぶのが始まっていく。楽しい時間が動く。




2013/10/27

香川へ その1

10月25日(金)から3泊4日で香川県へ。「芸術士派遣事業」のリサーチを中心に、瀬戸内国際芸術祭、そして丸亀市猪熊弦一郎現代美術館と回っている。

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まず初日は「芸術士とこどもたち」展。保育所・幼稚園・こども園にアーティストを派遣し、子どもたちの創作活動を創出する事業の報告展を見て、事務局の太田さん、市役所の担当の山下さんへのヒアリング。


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2日目は瀬戸内国際芸術祭の小豆島・坂手港エリアへ。graf、dot architects、UMA design farmといったクリエイターたちが拠点を構え住民たちとゆるやかに協働しながら、豊かな小豆島の生活や食文化が考現学的アプローチから来島者へ紹介していく。劇団「ままごと」のお散歩演劇『赤い灯台』では、港町を巡りながら一つの物語を経験する。

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3日目の今日は丸亀市へ移動。丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の「大竹伸朗 ニューニュー」展へ。来年夏からの「拡張するファッション」展の巡回先であるこの場所を、担当キュレーターの古野華奈子さんに案内していただく。

とってもとっても刺激的で、本当に幸せなリサーチ期間だった。

ぼくは去年の10月にNPOを立ち上げて1年、これからどう経営を成り立たせていくか、本気で動かなければならない時期に来ている。そして、NPOの限られた収入方法の中で、どうやって経営していくか、暗中模索しているところ。というか、児童館という公共施設に介入するという事業のあり方は、極めて難しいということがよくよくわかってきたところ。そして、そのための実力やセンスが自分にはほとんど無いのだということも。

将来への不安が募るなかで、何をどこから手をつけていいやら…と思い悩みながらのこのリサーチ。明確な解決策が見つかったわけではない。わかったことは、希望をもって、この困難を楽しみながら、しぶとく、ひたむきに続けていくことでしかない、ということ。

この「楽しむ」ということが、本当にむずかしい。そして「楽しむ」ためには、その方法を学ばなければならない。真面目な話でつまんないかもしれないけど、人間は何かの楽しみ方を、少しずつ学習しているのだと思う。

「芸術士」の活動は、子どもたちが「表現すること・つくることの楽しみ方」を学ぶための環境・世界観を創出する仕事だと思った。そして事務局の太田さんは、この活動を広げるために、策と希望と何よりも楽しさをもって挑んでいる。

そして、「ニューニュー展」を通して見る大竹伸朗さんの姿は、執念をもって、驚くべきものをつくるために何十年も実践しているものだった。何より、つくることを楽しむことと、見るものを楽しませることが一体になった制作の姿勢を感じた。

まずはこの感動を記す。







2013/09/09

「社会参加」という言葉について

ずっと前から、この言葉には魅力を感じつつも違和感を禁じ得ない。「居場所づくり」という言葉もそう。子どもをはじめ、社会的弱者を孤独にせず、社会における”自己有用性”みたいなものを感じさせてあげようじゃないか、という大人の妙な恣意を感じるからだ。パターナリズム(温情主義)に基づいちゃったら、自発的な参加はありえないだろう。だからといって、これに代わる概念を思いつくわけでもないから、ぼくなりにこの言葉と向き合ってみる。


「社会参加」のフェーズ

「社会参加」…とりわけ「子どもの社会参加」「中高生の社会参加」について、仕事を通してぼくは考えている。児童館は彼らの放課後、つまりプライベートの時間のための場所なわけだが、公共施設であるからにはパブリックな場所でもある。この公私混同した状況が児童館の魅力であり難しさである。

「安心して遊べる場所を提供する」。これは児童館の一義的な役割である。このことが目的なのであれば、大人の見守りのもと、怪我や事故や事件を防ぎ、子どもは私的な欲求(ドッジボールしたい、ただだらだらゲームをしたい)を満たす場を提供することで児童館や放課後の遊び場の役目は終わる。

もう一段階高い次元に、「遊びを通した社会参加の経験を提供する」という目的がある。例えば、子どもがお店やさんを運営する「えんにち」やお化け役や小道具係になって客を驚かす「おばけやしき」などがこれにあたる。これは大人のファシリテーションのもと、子どもたちがある活動を通して普段そんなに仲良くない友達や知らない子と関わる機会、あるいは地域の大人という知らなかった他者と関わる機会を提供する。このとき、子どもは私的な欲求を越えて、多様な人々が交じり合う”社会”を構成する一員となる。

音楽の「バンド」を例にとって考えると、バンドメンバーと練習をしたりおしゃべりをしたりして過ごす時間はフェーズ1。ライブイベントへの出演を通して他のバンドと共演する場がフェーズ2だ。フェーズ2までいけば、音楽という共通項を通して、普段関わらない別の学校の子、あるいは年齢の異なる大人と場を共有することができる。仲間内でだらだらやることを越えて、他者に向けた表現を展開すること。これがある種の”社会参加”だとする。


「趣味の環」の限界

で、これこそが”社会参加”だ!とすると何が悲しくなっちゃうかというと、「音楽」という文化はハマればハマるほど、その文化の円環に埋没しちゃうと考えるからだ。いわゆる「音楽っぽいもの」の域を越えない。趣味の環に閉じる。すでにつくられてしまった円環のなかでの”社会参加”は、かりそめのものでしかないんじゃないか、というのがぼくの違和感だ。

本当は音楽って演劇とか美術とか文学とかにもつながる通路を持ってるし(というか芸術はなんだってそうだし)、それを通して人間の生きることを考え、あるいは新しくつくりかえることもできなくはない。もちろんそういうガチな表現活動へと展開することもアリだ。

「唐突につながってしまう」という社会参加のあり方

ぼくが考えてみたいのは、唐突で(最初は)無責任な社会参加のあり方だ。それはたとえばこんなかんじだ。

“ある日偶然、ミュージシャンを名乗る男に出会う。ボイスレコーダーを渡され、いくつかの声を録音する。楽しくなって遊んでいると「今日撮った声を、ぼくの曲に使ってもいい?」と聞いてくる。「いいよ」と言ってしばらく経ったある日、ラジオから自分の声が音楽にのって流れてきた…。”

これはあくまでたとえ話だが、ただ遊んでいただけ(日常)だけど、その行為は別の文脈に乗った瞬間に別の価値(芸術)に転換し、見知らぬ他者のもと(社会)に届けられていく。このミュージシャンの男が使う「芸術」というワープホールが、子どもの日常とその外側だと思っていた社会を裏側からぐるんと接続する。(アーティスト・イン・児童館はこんなようなことを考えたいと思って始めたプロジェクトで、その今子どもたちと職員の力でアーティストを召喚し、ワープホールを開けるための方法を考えているところだ。)

こうして、はじめは唐突な出会いからはじまった、ごくごく周辺的な社会参加の経験だが、次第にレコーディングから編集、楽器をつかった演奏、演奏会へとだんだんと踏み込んでいくことになればいい。(必ずしもそうしなければいけないわけではない)そして、演奏会の観客には子どもの親や友達もいれば、ミュージシャンのファンや巷で興味をもった見知らぬ他者も訪れる。

つまり、「社会参加」というからには、「予期せぬ他者」(ミュージシャンだったり、それまで関わったことのない観客だったり)との何らかの出会いが必要だろう、と思っているんだと思う。もちろん、セキュリティの問題があることは充分承知のうえで、それでもなお社会参加には必要だ。見知らぬ他者の存在が。さもなくばこのグローバリゼーションのなかで、子どもたちは大人が用意した”かりそめの社会”に埋没しちゃうんじゃないか、という危機感を覚える。


(おまけ)オリンピックと子ども

話は変わるけど、2020年に東京でのオリンピックの開催が決まった。もちろん、世界最大の祭典が生きているうちに自分が住んでいる街で観られることは、とても嬉しい。ぜひ新しくなった国立競技場に足を運んで、400メートルハードルを生観戦したい。


ただぼくが不安なのは、世界に向けて東京がいい顔するための、大人が考える”元気”の象徴として、子どもが使われるんじゃないか、ということ。(現に招致のためのプロモーションビデオには、悲しくなるほど”笑わされた”子どもたちがたくさん映っていた。)いやいや、元気とか文化とかってそういうんじゃないから。かりそめの元気の中に子どもを閉じ込めないでよ。私的な欲求がつもりつもったところに、一人ひとりの子どもの元気とか狂気とかがあって、そういうものが噴出されるのが表現だし、それはときに芸術だったり変なことだったりするわけで、そういうぞっとするものを回避して、何が元気だ、何が夢だ。オリンピックとパラリンピックが、多様な、見知らぬ他者への想像力を培うための祭典であるように。ぼくも微力ながらその当事者として関わっていきたいと思っている。関わることができれば、だけど。

2013/08/26

「東京で子どもと暮らそう」アサヒ・アートスクエア(2013.8.24)

8月24日(土)に行われたアサヒ・アートスクエアでのロングパーティー「フラムドールのある家」にて、パフォーミングアーツの制作をされているNPO法人alfalfaさんの山口さん、辻さんと一緒に「東京で子どもと暮らそう」というテーマでトークをしてきました。みなさん、貴重な機会をありがとうございました。

山口さんが先日出産をされ、辻さんが現在妊娠中ということで、「これから子育てがはじまっていくけど、アートマネジメントは子育て環境をつくるために何ができるんだろう」という問題意識から立ち上がったこのトーク。「ベルリンやライプチヒの事例の話をぜひ」ということでいただいた機会だったのですが、いろいろ話していくうちに「東京で、アートNPOがどう子育て環境をつくっていくか、そのためにドイツの事例をどう参照するか」という、ぼくにとっても本質的なお題へと深まっていきました。

で、結構印象にのこったので、メモ的に話したことや思ったことを書き起こしてみます。

=====


「東京で子どもと暮らそう」臼井隆志/NPO法人アーティスト・イン・児童館 from Takashi Usui


まず、東京の状況を考えてみる。

最近さらっと読んでみた『データでわかる2030年の日本』という本から、人口減少時代にあって、東京の人口はほとんど減らない(2010年1300万人→2030年1270万人)。しかし、子どもはまぁそれなりに減る(18歳以下221万人→177万人)。

一方で、非正規雇用者の割合は年々増えている。現在では25歳から34歳の男性の20%、女性の40%が非正規雇用ということで、経済成長!みたいな時代の気運でもないので、この数値は上がることこそあれ、減ることはないだろうと。

そう考えると、「非正規雇用で共働きの夫婦が子どもを育てる」というのが夫婦のモデルとしてデフォルトというぐらいの考え方でいかないと、幸せな子育て環境なんてつくれない。共働き夫婦にとって学校が終わったあとの放課後の保育施設/遊び場の存在は安心という意味でとても大きく、需要はますます高まっていく。少子化にもかかわらず。

というのが前提としてある。

で、保育/福祉厚生施設をみてみると、児童館、公民館、学童保育、子ども家庭支援センター、児童相談所…いろんな施設がありますが、ぱっと見どれも似たような雰囲気というか、かわりばえがしないし、あんまりオープンな雰囲気でもないから初めて行くのはちょっと億劫、、というところがある。

この辺りは、上野千鶴子さんの言う「コミュニティ/アソシエーション」の区別を援用して考えると、「この地域のヒトはこの施設に行ってください」というのが現状で、これは地域のコミュニティベースの考え方。でも、現代では「コミュニティ」よりも「アソシエーション」(地域ではなく、趣味や関心を共有する人の集まり)によって社会が構成されていると言える。アートとかパフォーマンスが好きな人が、アサヒ・アートスクエアに集まる、みたいな。

そう考えると、施設ごとにテーマ性や活動の特色を出して、アソシエーションによる人の集まりを促進したほうがよいのではないかと考えてしまう。人間は多少遠くても、自分が行きたい場所には足を運ぶ。小学生まではコミュニティベースだけど、実際、中学生は別の地域の児童館に自分で電車や自転車に乗って移動するような、アソシエーションベースの放課後活動がもう始まっている。

と、そんなふうに考えてみると、ベルリンのユースセンターや、ライプチヒの「子どもレストラン」「子ども絵本工房」などは、放課後の保育施設的な機能と同時に、子どもたちに創造的な社会参加活動をさせる機能を持ち合わせている。それぞれ「音楽」「料理」「絵本」といった具合に。まさに子どもや若者たちは自分の関心に合わせて施設を選び、活動を選ぶことができる地域環境ができている。

しかも、ドイツでは、こうした施設は指定管理ではなく、市民団体がつくりたい施設の計画を考え、行政や企業や財団にアプライして運営資金を助成・寄付してもらうことで運営を成り立たせている。ボトムアップで多様な施設が生まれている。

日本では、多様な業者が運営を担う指定管理者制度の導入がつぎつぎと広がっている。行政がつくる均質な施設から、多様化していく気運がある。そんなとき、アートNPOがつくる児童館、学童保育、公民館などがあっていいはずだ。そしてそこにはいろんな創造的なアクティビティが生まれるだろう。

実際、指定管理者の入札にはたくさんのハードルがあって、そう簡単にはいかない。また、テーマと特色といったところで、美術館や劇場では、遠方から来る人は多いけど、地元の人は全然集まらない、という例もあるし、地元の人と、ちょっと遠くからくる人のバランスを整えるのはとても難しい。移動時間をどう考えるか。いろいろ課題もある。

でも、「もっと施設が面白くなればいいのに」というのは、今児童館や公民館を運営している人たちも、そして子育てをする人たちや子どもたちも、多くが思っていることだと思う。この非正規雇用/フリーの時代に、市民活動的に立ち上がる芸術団体が児童館の運営を受託する、という可能性も、全然無いわけじゃないのだ。




























2013/08/11

文化と福祉が隔てられてるのなんでなの

ドイツにいって驚いたのは、福祉的な役割をもつ「ユースセンター」は正確には「ユースカルチャーセンター」で、文化の施設だったということ。文化とは福祉である。多様な人が表現しあい、自己と社会を形成することを支援していく。これが文化事業であり、福祉事業である…という大きな前提がある。

翻って思うのは、日本ではなぜ文化と福祉にはこんな大きな隔たりがあるんだろう、ということ。「文化」とひとことでいっても伝統芸能から大衆音楽、オタクカルチャーから現代美術までいろんな領域があるけど、タコツボ化してる印象だし、その中でゴニョゴニョとやりあってる感じ。一方で「福祉」はというと、子どもや高齢者をケアするというのは必要なことなんだけど、取り囲んで甘やかすみたいになっちゃってない?と疑問を感じる。

いろんな人が多様に表現して自己と社会を形成していくのは「文化」でも「福祉」でも全然変わらなくて、相互に溶け合っているべきと思う。

もちろん、面白くてカッコイイ福祉/文化の実践はたくさんある。大泉学園にある「つくりっ子の家」はまちぐるみで精神障害者と生活し働く環境をつくっているし、浜松の「アルスノヴァ」は重度の知的・精神障害者の生活から生み出される表現を、アートとして鑑賞し楽しめるものに転換している。

こうしたカッコイイ事例に共通するのは、本来ならケアすべき対象になってしまう人の創造力を信じ抜いていることだ。彼らはケアされなければ何もできない存在である…という諦めは皆無。障害というレッテルを貼らずに、彼らが社会に提示する新しい問い、新しい価値がある、ということを信じ抜き、そして実践していると思う。

残念なのは文化の方で、そういうのを障がい者系アートプロジェクトね、はいはい、みたいに眼指している感があるし、かくいうぼく自身にもそういうきらいがあることだ。残念すぎる。

福祉と文化が交じり合っていることが「普通だよねー」みたいにしていくには、福祉に従事する人が感じる創造力を諦めた感/違和感を集め、文化に従事している人が感じてるタコツボ化に対する違和感を集め、織り合わせていくことから。

事業としてやろうと思ったら超大変なので、自分の周りだけでも今のこの福祉と文化の断絶が滑らかに交じり合うようになったらいいな〜と思う。

違和感を集め、織り合わせる作業はリサーチ。




2013/07/22

子どもの文化環境、風穴、空気の入れ替え

自分が考えていることを、ばーーーーっと吐露したくなることがあって、このブログはそういうときのためにあります。考えがまとまらないとき、仕事のやり方に迷っているとき、どばーーーーっと言葉にすると、ふっと突き抜けるときがあったり、なかったり。

まず、いまやってるNPOの仕事で「子どもの放課後の文化環境をつくる」と言っているのだけど、具体的には何をどうやって!?という話。児童館にアーティストを呼んで、そこから作品が生まれるようにする、というのはこれまでやってきた活動だけど、この活動をインストールするだけの、合理的な仕組みがまだない。ぶっちゃけていうと文プロのプロジェクトとその予算と児童館職員のみなさんの良心におんぶにだっこで企画をやらせてもらってただけなのだ。これまでの恩を返すためにも、よりよい児童館運営に貢献したいし、文プロの「NPOを育成する」というミッションに叶うように自立したい、と思ってる。でも、どうやって?というところであがいてあがいて、という今。迷いもあるし、失敗ばっかりで、自分でも大丈夫かなと心配になる、ということは周りにも不安を蔓延させているのかもしれない。

大局を考えると、昨日の参院選の結果を見ても、自民党の改憲案を見ても、国の教育方針が右寄りになって、教育はますます学校偏重になっていきそうな気がする。このあいだドイツに行ったけど、ドイツは学校が昼前で終わるから、放課後の教育環境の充実は必須。いわゆる生涯学習とか社会教育とか言われるような場所や施設がたくさある。もちろん児童館も劇場もその一つ。日本は授業時間がどんどん延びていて、習い事に通う割合も増えている。学校が終わっても「時間割」は続く。塀に囲われて、やることなすこと指定されていく。そうなったら、放課後ののびのびした遊びと異質なものと出会う自由の時間はどこへいくのか。児童館は、塀と塀の間にある、習い事と学校と家の、ごくごくわずかなスキマになりつつある。そのスキマからどこに導けるか。子どもを囲う塀に風穴を開けられんのか。

が、児童館以外にも放課後の行政サービスはたくさんあって、学童保育や授業後の教室や校庭を開放する「放課後子ども教室」、ほかにも区民館や図書館も、「放課後の居場所」だ。この中で、通う義務がなく、なおかつ「子どもの放課後の居場所」に目的が特化しているのは児童館だけだ。図書館は通常の図書貸出業務+子どもの居場所。放課後子ども教室は通常の授業+放課後の居場所、というように「+放課後」というのが施設の基本。そのなかで児童館が何を担えるのか~というのも気になるところ。

でも、これは小学生に限定した話で、児童館の対象年齢は0~18歳なので、「未就学児とその母親(0~5歳)」と、「中高生(13歳~18歳)」という対象もある。というか、今後はこの2極がメインになろうとしている。

普通に考えたら、この幼児と中高生対象の施設って、おかしなことになる。中高生が全力でバスケで大暴れしている横で、ヨチヨチたちが遊んでいるってこと…!?なんてカオス。幼児向け、中高生向け、と時間を区切って運営するならわかるけど、それを同じ職員が企画をつくって運営する、っていうのも大変だ。

オランダも日本と同じように、学校が夕方までガッツリ。でも、中身がぜんぜん違う。誕生月で学年が変わるからたえずクラスの人が入れ替わるし、授業も時間割にしばられないプロジェクトベースなものばかり。ぼくが会った子は今、みんなで演劇をつくるプロジェクトの最中らしい。学校が解放区的にうまく機能している印象。もちろん、オランダの教育システムにも、保護者がたくさん協力しなきゃいけない、とか、学校の先生が忙しすぎて鬱になりがち、とか、いろいろ大変だという噂も聞く。

日本でも三鷹市などが「コミュニティ・スクール」を推奨して、地域住民が学校運営に参加するシステムをつくりだしているみたいだ。NPO法人アフタースクールは、放課後子ども教室のなかで「市民先生」として住民による授業を実現した。大工さんが秘密基地つくったり、生花の先生がめちゃかっこいい花の生け方教えたり。学校が地域コミュニティをつくり、地域コミュニティが学校をつくる。この理念は素晴らしいし、ぜひもっとよい実践をつくりまくってほしい。

しかし、「学校」という枠組みとそのオルタナだけでは、子どもたちのほとばしる欲求は満足されない気がする。図書館でも、放課後子ども教室にしても、大人が子どもに何かを教える/見守るという構造は変わらない。ぼくが子どもの頃に嬉しかったのは、大人として扱ってもらえるふとした瞬間であり、子ども向けに用意されたものでない文化に触れたときだった。例えば、ゴジラ映画の制作の裏側を知ったときで、近所の大学生にエロのことを教えてもらったときで、ミシェル・ゴンドリーのPVに震えたときだった。ぼくを「子ども」として閉じ込める塀に裂け目をつくり、そこから吹き込む風に触れ、その向こうに広がる別の景色を見た時だった。

「子ども向け」のあらゆるサービスは、時に彼らを「子ども」の枠組みに閉じ込める。子どもに向かうのではなく、子どもが向かう先を目指すような、そういう時間をどうやったらつくれんのかねえ。と、このことをうまく言えずに、ここまで来てる。というか、本当に面白いものは、子どもも大人も震えるのだ。 エロとか、ミシェル・ゴンドリーとか。「対象」を定めて、そのカテゴリーの人だけが楽しめばいいのか、いや、そうではないだろう。

とにかく、放課後という草原が、どんどん目的ごとに区画整備され、自由な余白を失っていく。空間的にも、時間的にも、そして空気的にも!!!!子どもが遊ぶ声が騒音になることや、アレルギー、食中毒、まちなかをうろつくナイフを持った若者、切りつけられたとウソをつく子ども、インターネット犯罪、個人情報の漏洩。あらゆるアラーム鳴りまくりの厳重警戒区域になってる。

そんななかに、ボスッと風穴を開けて、空気を入れ替えたいと思う。表裏をひっくり返すように、厳重警戒区域を一瞬だけでも虹色レインボーにしたいと思う。

最近ぼくは貧乏人のくせに子どもがほしいと思っていて、だけどこの空気の中で育てんのはなんかやだ、と思う。ほとばしる命のかたまりが、この空気の中でブスブスしてしまうのは耐え難い。


と、こう書くと「なんかやだ」がモチベーションってことになるんだけど、実際そう。でもそれじゃぁ共感してもらえないし、建設的じゃない。「こうしたらもっとよくなる」という理論の組み立てが必要なことはもちろん、なにより自分の気分が虹色レインボーを求めてなければそうはならないのだ。

あああ、なんかもっと楽しいことしたい!!!!がぼーーーん!!!!

2013/07/10

ドイツの児童館のこと

ドイツの児童館のこと調べてみて面白かったのは、ドイツでは学校がたいてい昼過ぎで終わること。だから放課後の遊び場は子どもにとっても大人にとっても必須。遊び場をつくるNPOがたくさんある。

そういうNPOが行政や財団企業から補助金をもらって、児童館を運営していることほとんどみたい。日本の指定管理者制度とは違う。



で、10歳〜22歳ぐらいまでを対象としてるのが児童館というか児童館に「青少年センター」で、バンド、ダンス、DJ、グラフィティなど多様な表現を学ぶためのワークショップに参加できる。ワークショップを経験した子は、スタジオで自主練して、フェスやパーティーに出演したり、自分たちで企画したりする。

















青少年の自立支援が目的で、それを「バンドやダンスでステージに立つ」という形で体系化している。館ごとに「パンク系」「ヒップホップ系」など特色があるので、趣味に合わせて選べる。偏らないようにベルリン市内の館+公園で同時開催フェスをやったりしてる。



22歳ぐらいと上限がぼんやりしてるから、大人も利用できる。館内にカフェがあってビールも飲める。10代前半の子たちにとっては、カフェでジュース飲みながら20歳以上のバンドマンと知り合える空間て魅力的だ。


















このカフェがキモで、見に行った冒険遊び場にも、チルドレンズ・ミュージアムにも、青少年センターにも、カフェがあって近所の人が飲みにきてる。ビールを。子どもをケアする施設というより、子どもを中心としたゆるやかな公共圏を創出している。

※1 ぼくらが行った日はFETE DE LA MUSIQUEという国際市民音楽祭で、各地の遊び場でパフォーマンスが行われていた。http://www.fetedelamusique.de/berlin/

※2 写真は見学したユースセンター Jugend und Kulturzentrum spirale。現在ウェブサイト改装中なのかな?http://www.spirale-kulturzentrum.de/index.php/Home.html

※3 外観だけ見たユースセンター Naunyun Ritze。ここはヒップホップ系。http://www.naunynritze.de/

2013/05/18

解除するには「笑い」が必要


中村児童館でボランティア

今日は15時から18時まで、中村児童館でボランティア活動をした。ボランティア活動、っていう言葉自体がかなりへんてこりんっていうか、ほんと好きなように遊んでいただけだった。

今まで、なにかしら別の目的を持ち込んでいた自分にとって、児童館のボランティアという経験は意外としてなかったことに気づいたし、その視点で遊んでみるといろんなことに気がつく。

たとえば、

職員さんはコマやファイヤースティックなどの大道芸の練習を積んでいて、かなり上手い、

とか、

大人が率先してコマ回しとかやってると、子どもが真似したがって、みんながやる。で、最初にやってた大人はすっと抜けて、別の部屋で、別のことで何かを焚きつけて、また次にうつってる

とか、

いつもピーピーうるさい元気すぎる野鳥のようなあの子は、色彩感覚も抜群にいいが、ダンスも上手いし天使のように楽しそうに踊る

誰も大人がいない工作室では、5年生が3年生からカードゲームのカードを巻き上げようとしてる、

とか、

ぼくが隣にいても、気づいてないだろうとグイグイ攻撃する、

とか、

そういうナメた空気が醸成される要因は何かありそうだ、ふーむ

とか。

アージのスタッフとしては、「プログラム」とかいって理屈をこねることよりも、現場の「空気」をよくよく読み込むことを重視すべきだ。当然ながら。

あと、やっぱり快快の企画などで過去に一緒にイベントをやったことがある子とは、少し関係性が違う。共有しているモノが違う、っていうかそりゃそうだ。信頼関係や共通の思い出から、新しいなにかをつくろうよ!という空気が生まれる。そういう意味では、「祭り」はやはり必要だと思う。

Y時のはなしには出演していなかったけど、Nadegata の映画に出てたTくんとはちょっと特殊な、2人だけの遊びがあって、

ぼくがTをつかまえて、両腕をつかみ、片足を胴に巻きつけて「ロック」をする。
「なんだよ!」とTがいうと、ぼくは質問をする。たとえば「今日一番うれしかったことは?」とか。でそれが面白いと「ピンポーン」といってロックを外し、つまらないと「ブブー」といってロックをきつくする。もうこの遊びを続けてかれこれ2年か…w 

会うとかならず「は?だれだよおまえ、さわんなよ」と減らず口を叩いてから、「ロックしてみろよ」と挑発してくる。変なやりとりだよな。



今日の「ロック」の質問。

う:「今一番ほしいものは?」

T:「えー、うんこ」

う:「は?なんでほしいものなんだよ。」

T:「え、友達になげたい」

う:「は?」

T:「友達に投げたいの!」

う:wwww 「ブブー!」

T:「まじかよ」

う:「はい、今一番ほしいものはなんですか」(ロックをキツくする)

T:「えー、ちんこ」

う:wwwwww「は!?ちんこ一個あるだろ!」

T:「え、だってもう一個ほしい」

う:wwwww「ピンポーーーーーン!」

はーうける。理由の一個一個に創造性が見受けられるから、この遊びは彼とやっていて楽しい。

2013/05/17

廃棄/モノづくり/コミュティ その2

東京芸大でのレクチャー「アートコミュニティの形成 ー廃棄/ものづくり/コミュニティ」の第1回目へ。東京都美術館「とびらプロジェクト」のオープニングレクチャーでもあり、ミルグラフから出版される『クリエイティブリユース ー循環するモノ・コト・ヒト』の収録講演でもあるこのイベント、午前の部に産業廃棄物を取り扱う株式会社ナカダイの中台澄之さん、午後の部に「ファブリケーション」の世界的なネットワークをつくるFabLab Japan代表の田中浩也さんの登壇でした。

その1では、ナカダイさんのレクチャーについて書いてて、そして後半は、午後1時から「リペア・デザイン」と題して、FabLabの田中浩也さん。ぼくが通っていた大学の先生でもあって、「626」というカフェをぼくが所属していた加藤文俊研究室と、田中浩也研究室で協働運営していたことがありました。ちょうどその2008年ころ、FabLabの活動を知ったそうです。

「WebからFabへ」というコンセプト。ブログやSNSを通じて「総表現者時代」と呼ばれて久しいが、言葉や情報だけでなく、モノづくりの領域まで民主化しているといいます。それは、PC上で設計したものを、3Dプリンターやレーザーカッターで切り出し、それを組み合わせることで、例えばiPhoneケースからイスや机まで、まるで工場でつくったようなクオリティで作り出せてしまう。


「ホモ・ファベル(=工作人)」という言葉にも使われている「Fab」は、「つくる・組み立てる」ということを意味しています。

で、田中さんが主宰している「FabLab」というのは「市民のためのデジタル工作室」ともいうべき場所で、世界各地にFabLabという名称の場所がたくさんある。先進国の都市だけでなく、インドの西側、道路も舗装されていないし電気もろくにまわっていないようなところにも、FabLabはあるといいます。http://fablabjapan.org/

そこで、小学生がインターネットの電波を受信するためにレーザーカッターと木片をつかって作った「Fab-Fi」は、その村の各家々で使われている、というエピソードが示唆的だったのは、必要な分だけつくりだすことができる、ということ。工場だと、1000とか10000とか生産して、それを全部使いきらなければなりません。

また、面白かったのはアムステルダムのFabLab(http://fablab.waag.org/)のことで、もともと古くなった邸宅をアーティストがスクウォット(不法占拠)してFabLab的活動をしていた場所を行政が認め、今では市民の仕事後の溜まり場になっている、という。「リペア・カフェ」と題して、家庭で不要なものを持ち寄って別のモノにつくりかえるワークショップなど、まるで部活のようにいろんな活動が展開しているみたいです。

中でも注目したのは、高齢者や障がい者の人たちから”使いにくい日用品”についての意見(というか不満)を聞き出し、その人が必要としている者をつくりだす、という活動。「リモコンにボタンが多すぎて困るのよ!チャンネルと音量の上下と、電源の3つだけでいいわ」という意見に対して、本当にそういうリモコンを3Dプリンターとaudinoでつくりだしてしまう、みたいな。

「クリエイティブリユース」に則した話では、「リペア」という言葉が使われていました。樹脂や木材から新しくつくりだすことだけではなく、すでにある役目を終えたものを、別の用途につくりかえる。紹介されたKevin Byrdのテーブル(http://blog.ponoko.com/2011/09/29/designing-for-exhibitions/)は、元の状態に戻すのではなく、別の面白さを付け加えるというFab的な文化を象徴していました。

面白いなぁ、と思うのは、この活動がまるで大人たちにとって「遊び」のようだ、ということ。みんなで集まってワクワクしながらものをつくって、自分の生活を面白くしていくこと。自分でつくったものを人に見せたり使ってもらったりするのは素朴な喜びに満ちてる。自分でつくった食べ物とかもそうだけど。

そうやって醸成されていくのは「文化」なわけで。人の溜まり場が生まれ、そこからモノゴトが生まれ、人の生活が少しづつかわっていく。遊びの欲動が集まると、文化になるんだ…。と感じ入ってしまいました。

で、田中さんがFab的な活動の一つの課題としてあげていたのが、日本の「製造物責任法(Product reliability)」。メーカーが製造した物は、解体をしてはいけない、という法律があることでした。

実際、インドネシアのFabLabで作られていた、「寝たきりのおばあちゃんに寝返りをさせるためのベッド」などは、日本の壊れた洗濯機から抜き取られた部品が多く使われていて、日本の製品はそういう部品の宝庫だそうです。そういう行為を、田中さんは「ハック」と呼んでいました。

PL法のロジックは、製品の解体の過程で人が怪我をしたり、万が一人命を落としたりした場合、メーカーが責任を取れないにも関わらず、メーカーのせいにされても困るから、ということ。

このことに対して田中さんの提案は、メーカーとユーザーというコミュニティの中で、責任を相互に承認し、解体したり改造したりする「自由」の領域を確保する、のがよいのでは?と言うことでした。

たしかに、子どもの怪我は、常にそこで遊ばせた親の責任でもあり、子どもの責任でもある。子どもと親とが相互に責任を承認しあっていれば、問題はない。まぁ子どもの問題の場合は、間に学校が入ってきて教師の責任を親が問い詰める、ということはよくある。だから難しいのだけど。

そう、ここでもう一度面白いなぁと思ったのは、「遊び」から「文化」へと発展していったものに対して、「制度(法)」が書き換えを迫られる、ということ。生活をよりよくしたい、という欲動が集まって文化が生まれ、活動が広がる。それを制度が抑圧するか、放ったらかしにするか、あるいは整理するか。

「遊び」から「文化」が生まれ、それに突き上げられるようで「制度」が書き変わっていく。抑えきれない楽しさや面白さへの欲求が躍動し、社会の空気はおろか、制度まで書き換えていく。これがムーブメントってやつか。

そしてこの草の根的な活動の繁殖が社会を変えていく構造は、最近の傾向でもある。人びとの欲求は集積し、ある種の文化の様相を成す。ここで考えたいのは、「制度」の応答力を高めていくことです。「行政はいろいろうるさいからだからもう民間で自由にやればよくね」ということでは、ヤバイ。

何がヤバイかというと、行政が嫉妬してそういう自由を刈り取りに来るから。そういうムーブメントの面白さを行政がよりよく理解し、よりよい市民社会のために応答し、制度を守るのではなく書き換えていく力こそ、この変化の時代に問われていると思いました。

次回、明後日の講演がたのしみです。



2013/05/14

廃棄/モノづくり/コミュニティ その1


東京芸大でのレクチャー「アートコミュニティの形成 ー廃棄/ものづくり/コミュニティ」の第1回目へ。東京都美術館「とびらプロジェクト」のオープニングレクチャーでもあり、ミルグラフから出版される『クリエイティブリユース ー循環するモノ・コト・ヒト』の収録講演でもあるこのイベント、午前の部に産業廃棄物を取り扱う株式会社ナカダイの中台澄之さん、午後の部に「ファブリケーション」の世界的なネットワークをつくるFabLab 鎌倉主宰の田中浩也さんの登壇でした。モノがぶっ壊れていくプロセスと、構築されていくプロセスの話がシンクロして、面白くて、もう前のめりで話を聞いていました。

「使い方を創造し、捨て方をデザインする」と題して、最初は中台さんのレクチャー。株式会社ナカダイは産業廃棄物の処理や再利用を手がける会社で、廃棄や埋め立てのほかに、在庫品のリサイクルショップへの卸など事業内容は多岐にわたります。(株式会社ナカダイ website http://www.nakadai.co.jp/

その中で、特に話題を集めているのですが、いらなくなったモノの可能性を引き出す「モノ・ファクトリー」「マテリアル・ライブラリー」「工場見学」などの活動です。(その様子はAXISの「ナカダイの産業廃棄物日記」に詳しいです。http://www.axisjiku.com/jp/column_nakadai/

ぼくも昨年の4月に工場見学をさせてもらいに行ったのですが、とにかくモノの量が圧倒的。シャンプーが1t入ってたプラスチックのケースとか、鉄の塊とか、破砕したガラスの山とか…。終末処理場感がたまりません。

産業廃棄物の処理の工程を、一般の人にもわかりやすく解説していきます。ガラスは色別に粉砕して、ラベル(紙)や、キャップ(アルミ)や、針金などの不純物を取り除き、100%ガラスにして溶かして再利用する。プラスチックも同様。木材はチップにし、紙は溶かしてすいてトイレットペーパーに。処理の過程で出た、もうリサイクルできない残渣は、1000度以上の焼却炉で焼かれるか、山を切り開いてつくった埋立地に埋めてられます。毎日30tの廃棄物が工場に集まるということで、その写真一つ一つも超ダイナミック。

今回一番響いたのは、中台さんの「モノの最後は埋めるとき」という言葉でした。様々な廃棄物の活用方法があるけれど、それはモノが埋められるまでの時間を延ばすことなのだ、と言います。リサイクルの資源となるのは半分ぐらいで、あとは全部不純物。モノファクトリーで活用されるマテリアルは全体の0.1%ぐらいだ、と言います。廃棄されたもののほとんどは、埋め立てられる運命にある。

児童館でも毎日ゴミが出てて、有料だったり、紙の分類が厳しかったりする。しかし、とりあえず言うとおりに分類しているけど、それがどういう運命を辿るものなのか、子どもも大人もよく知らない。

中台さんの言う「捨て方のデザイン」をぼくたちが生活に取り入れていくために有効な方法は、ゴミの物語を可視化し、身近にそのプロセスを体感することではないかと思いました。分類され、破砕され、またより分けられ、最後に埋め立てられるゴミたちの物語。写真で見るよりも、ミクロなスケールで体験できるようにしておくことはできないのでしょうか。

例えば、公民館や学校などに、小さい破砕機と埋め立て地とかがあって、ゴミがどのような運命を辿るのか、どれぐらい捨てると、どれぐらい埋め立てすることになるかがわかるようになっている、とか。

しかし、それをやるためには許可が必要で、産業廃棄物処理法という法律をしっかり守らなければなりません。中台さんは、これを義務教育のなかで教えるべきだ、と言います。確かに、私たちが「捨て方のデザイン」を実践するためには必要な基礎知識かも知れません。ちょっとよく勉強してみたい。

ある人にとってはいらなくなったものでも、他の人にとっては価値あるものかもしれない。一つの役目を終え捨てられたものを、一直線に埋め立ててしまうのではなく、別の可能性を多方向に広げていく。このことは、「福祉」における「ソーシャルインクルージョン」と共通した考え方であると思います。それは子どもや高齢者や障がい者の生活方法を限定して、閉じ込めてしまうのではなく、何らかの社会的実践につなげると、普通の大人には考えもつかない新しい魅力を引き出すかも知れない。まるで「マテリアルライブラリー」に並ぶモノたちのように。

しかしまぁ「ソーシャルインクルージョン」と銘打った活動は、「弱者を社会に包摂します」という政治的なアクションの色合いが強すぎて、ちょっと圧迫感を感じてしまう、というのが正直なところ。「クリエイティブリユース」という言葉も同様に、その言葉が使われなくなるぐらいごく普通の文化として、日常的実践へと馴染んでいくべきです。

中台さんのお話と、続く田中浩也さんのお話は、圧倒的な量の廃棄物を前に、われわれはそれを使うこと、修繕することを日常の実践としてやっていくべきだ、こうすればできる、という力強い提案でした。

もっともっといろんなことできるっしょ!というヨッコイショ感が、とってもエネルギッシュな中台さん。第三回「産廃サミット」が、9月に赤坂のPlus株式会社のショールームで行われるようです。「廃棄物を言い訳にしないデザイン募集」というコンペティションも行われています。6月18日〆切。ご興味のある方は応募されてみては。

(その2へ続く)

諦められない面白いこと

今日は、『Y時のはなし』のDVDの編集をお願いしている鈴木佐衣子さんとミーティング。時間はかかっているけれど、少しずつ少しずつ、形になっています。

昨日は、「アートコミュニティの形成 廃棄/モノづくり/コミュニティ」のレクチャーにいってきて、ナカダイの中台澄之さん、FabLabの田中浩也さんの話を聞いてきて、知的興奮にあふれたのち、こどもまつり終了後の三原台児童館の打ち上げにおじゃましてきました。

レクチャーの知的興奮のことはまた後日書くとして、なんで三原台の打ち上げに混ぜてもらったのかというと、お世話になっているカバちゃんと話したかったからで。カバちゃんは、ぼくが初めて東大泉児童館にいったときに担当職員だった方で、あと3年で還暦を迎える超ベテラン職員。その彼に、最近の心境の変化を報告しなきゃ、と思って。

館長から、先日の館長会でのプレゼンには「横文字」が多くて、カッコつけるな、と注意を受けました。それに付け加えてカバちゃんからは、「臼井くんの言葉を、児童館の言葉に翻訳しないと、伝わらないしもったいない」と。ぬあーーーーたしかにカッコつけてたっていうか、なんかもうまとまらない方向性をとりあえずつくろった借り物の言葉になってたかも…!と思って、ぬあああーーーー!と内心思いながら。

それでも、なかなかどうして諦められないことがある。から、いまこの活動をしてる。それはなにかというと、ぼくは子どもの遊びの風景がつまらなくなってしまうことが、たまらなく哀しい。

子どもだけで遊べる場所が少なくなって、大人のサポートが必要だから、公共がその役割を担おうじゃないか!と言って40年ぐらいまえにたくさんつくられたのが児童館。大人が率先して面白い世界に子どもを誘う、まるで異界の門だった児童館に対して、幼心にぼくはそのトキメキを憶えている。

しかしまぁ世間の目は優しくなくて、個人情報、アレルギー、トラブル、匿名のクレームなどなど、楽しいことしようっていう気持ちを萎えさせる波状攻撃は、ソフトに、しかし確実に、チクチクと、職員たちのやる気をそぎ落とし、いろんなことを「できない」構造へと取り囲んでいった。

でも、ぼくは、ナメんなって思われるかもしれないけど、職員と、子どもと、保護者と、地域の住民とが「そういうことやったら面白いかもね」という予感を共有していって、もし何か起きたときは責任を共有しようと相互に承認し合いながら、モクモクと面白い出来事が沸き上がって弾けて散らばっていく様を見たい。どうしてもそれを諦められない。若いねとか言われても!知らんわ!確かに若いけどもう26だからそこまで若くもないわ!

大人が面白いことを諦めて、子どもがその姿をみて、あーあと思いながら、世界の広がりはゲームの中だけで感じられる。全然夢とか希望とかなくね?

別に夢や希望をもってみんなで頑張ろう!みたいな気持ちはない、っていうか一つの理想や夢をみんなで共有する時代は完全に終わって、それぞれ見てる夢が違う時代になってるので、みんなで頑張るって行っても方向性バラバラで、まとまったとしても一時的じゃんそれは。でも、一時的にでもぐわっと盛り上がる瞬間をやっぱり美しいと思ってしまうし、その盛り上がりが冷めた夢の跡には、次の予兆がどこかでもう始まってるし。

とにかく「面白さ」というのは、予想を超えたことがおきたときに生まれるもので、はっとする驚きの中にこそある。しかしまぁ悪い方に予想を超えると怪我とか事故とかトラブルとかになっちゃうんだけど、「こんな面白いものに出会えると思ってなかった!」という予想を超えていく躍動感が、子どものいる環境にあってほしいものです。

もうもはや「遊びがつまんなくなってなんちゃら」とか言ってる場合じゃなくて、考えるべきは「文化」のこと。それは狭義の映画やら演劇やら音楽やらのことではなくて、人との関わり方や、働き方や、生き方のこと。40年前にできた社会システムは老朽化してるんだから、それにしたがって生きてたらしんどくなるのは必須。でも法律とか制度とかは簡単には塗り変わらない。でも空気は変わっていく。湧き上がる欲動というか、民意というか、人びとのあんなことやこんなことをしたいという気持ちがつくる文化のほうが健全なわけで、法律とか制度はそれを抑止するべきものではない。そのエネルギーによい流れを与えるもんだろう。

児童館というのは、もろもろの制度と、子どもたちの遊びの欲動と、ちょうどその狭間にいる。制度の側に立って子どもを規制するか、子どもの側に立って制度を批判するか、そのどっちでもある。だから面白いし、そのへんてこなポテンシャルを、諦められない。

はーなんか熱くなって書いてしまいました。ちゃんちゃん。







2013/05/07

予測不可能を想像する

明日は朝から児童館館長会。区役所での会合は、年に何回かしか参加できないから貴重な機会。

日頃から、現場の館長さん、職員さんの理解と共感がなければぼくらは児童館で活動することもできないわけで、ただただ受け入れてもらえていることに感謝しています。

区と協働できるようにNPO法人をつくり、遊び場をもっと面白く創造的にするプログラムをつくってきました。しかし、一過性のイベントになってしまい、継続しないこの感じ。根本的に事業の体質を変えていかなくてはと思っています。

これまでは、ぼくたちが「子どもたちがこんなことをしたら、新しい芸術表現になるんじゃないか。児童館の面白さが表現できるんじゃないか」ということを考えて、児童館に提案してきました。しかし、それは企画の押し付けになっていたことも否めません。

これからは、企画を構想する段階から、子どもたちや職員の方々と一緒につくっていきたいと考えました。だから、今年度実施するのは、企画をつくるための企画です。

子どもたちのひらめきを誘発する環境をつくり、実現のための道筋をつくる。「ある体験をしたら面白かったから、次はこんなことやってみたい」という、発展的な循環をつくる。

出来上がる企画は、ともすればアートになるかもしれないし、全然アートっぽくならないかもしれない。アージで実現するものもあれば、児童館ごとにできちゃうものもあるだろうし、必ずしも実現する必要もない。現状とは違う未来の姿や、ありえるかも知れない可能性を、想像することが変化のはじまりなわけで。

もっと面白い遊びが欲しい。面白い大人に出会いたい。生きてくための知恵が欲しい。放課後の子どもたちはみなそう思っているはずです。彼らの見えない欲求を引き出すことから、プロジェクトを考えたい。そのほうが、大人の頭で考えたものを子どもに押し付けるより、予測不可能でいい。

児童館は、まだまだもっと面白くなる。東京都児童会館も閉館し、こどもの城もなくなっちゃうけど、それでもそのオルタナティブな機能はもっと意義をもつ。今年のアージのプロジェクトが、ちょっとでもその一助になれば。



2013/05/06

ゴールデンウィーク、空港へ

5日からりのさんが3ヶ月ヨーロッパへ行く、というのもあって、ゴールデンウィークの後半はりのさんの実家でのんびり過ごしました。ここ3年毎年香川県にワークショップをしに行っていたけど、今年はそれはなし。


3日は代官山のUNITで、やけのはらさんのリリースパーティ―へ。Brandit Brauer Frickのライブ以来だから1年ぶり。あんまりクラブとかにいくわけじゃないんだけど、UNITは一番言ってるハコかも。


やけさんのラップは、「オレはネクストレベル目指すぜ mother fxxker!」的な激しい自己主張ではなくて、出来事をひたすらに描写することで個人の生きることとそれをとりまく環境とが混ぜ合わさった爽快な物語を歌いあげてる感じ。

その一方で、

「普通じゃないものに今でも夢中さ」

とか、

「こんな毎日になんて名前をつけよう?こんな瞬間になんて名前を…」

とか、

名前のないものや、わからないものへの愛に満ちてる。決してメインストリームではないけど、いろんな面白い挑戦をしていて、今後も目が離せないやけのはら氏。

でも、べつに個人の感情を激しく吐露するラップも嫌いじゃなくて、最近観た『サイタマノラッパー2』のラストでは号泣してしまった。


群馬のとある町を舞台に、女子たち5人が高校の頃のラップグループを復活させようとする話なんだけど…

HIP HOPに憧れて、「Say Hoooo!」って言ったり、「◯◯生まれ、ヒップホップ育ち!」って言ったりして、大きなステージに立つ夢を見て…みたいな青春ストーリーなんだけど、20代も後半になり、友達は多額の借金かかえてたり、働いてたソープ店がつぶれたり、お父さんが市長選に落ちたり、ことごとくうまくいかないことつづき。郊外の閉塞感のなかで、途方にくれたなかで、最後に轟く女子たちのラップがたまらない。


そんで昨日は成田空港に見送りに。そこでふと、なんでぼくは一緒にヨーロッパに行かないんだろう?と疑問を覚えてしまった。ぼくはまだ世界のいろんな面白いモノを知らないのに、なぜそれを知ろうとしないんだろう。いい機会なのに。



さすがに3ヶ月も行く必要はぼくにはないけど、別に、何かにとらわれる必要もないのだ。毎日出勤しなきゃいけないわけでもない。書類仕事やミーティングなどいろんな約束事はあるけれど、やる気次第で自分のペースで片付けていける。いろんなことできる可能性があるのに。



さて、5月頑張るか。




2013/05/04

IDEA R LAB、岡山は玉島へ




4月27日土曜日、連休のはじめの日。岡山は倉敷市、玉島へ。目的は、大月ヒロ子さんが代表をつとめる「IDEA R LAB」に行くこと。ここは、「クリエイティブリユース」のための情報プラットフォーム、実験室、レジデンスです。たった一泊の旅だけど、目の覚めるような素晴らしい経験の数々でした。


「クリエイティブリユース」とは、廃棄物を創造的に活用することです。それは日常的にぼくたちがゴミと呼ぶものから、家屋のようなゴミと呼ぶにはあまりに大きなものまで、廃棄・焼却の道を辿るものを「素材」と捉え、新しいモノを生み出す活動の総称です。(くわしくはこちら! IDEA R LAB「クリエイティブリユースとは」 http://www.idea-r-lab.jp/?p=48

この「クリエイティブリユース」のための活動拠点として、大月さんのご実家だった場所をリノベーションして生まれたのが、「IDEA R LAB」というわけです。


大月ヒロ子さんとは、2年前に出会って以来、度々お世話になっています。大阪の大型児童館「ビッグバン」をはじめ、様々なミュージアムのプロデュースを手がけています。そんな大月さんが世界各地の「クリエイティブリユース」に関する施設についてリサーチをされていて「それをまとめた本を出したい」というお話を伺ったとき、何か関わることができたらと思い、出版社ミルグラフの富井雄太郎さんをご紹介させていただいたのが最初のきっかけでした。(その本は、この8月刊行予定!millgraph.com


倉敷に行くのは、ほぼはじめて。新倉敷駅からバスですこし移動し、玉島中央町のバス停を降りて、お餅屋さんの角を曲がって歩いてゆくと、黒く輝く焼杉の壁に囲まれ、大きなガラス窓が構えられた建物に出会う。そこが、IDEA R LAB。


中に入ると、卓球台のテーブルが置かれた、白い空間が広がる。ホワイトボード塗料の壁面を使えば、ミーティングが活発になりそうだし、これだけの広さがあれば立食パーティーにも最適。入って左側にはレジデンスとなる畳の部屋。まるで旅館。ぼくもここの2階に宿泊させていただきました。そして右側にはかつて蔵だった空間が、使われるのを待つように佇んでいます。

IDEA R LABやその周囲には、もともと大月さんのご実家で管理されていた土地があり、大月さんはそれらを引き継ぎ、有効に活用していこうとしています。近所の元熱帯魚店を資材を並べた「マテリアル・ライブラリー」にしたり、ラボの裏手の庭を「コミュニティ農園」にしたり、ラボの周囲、というか玉島には、人の手によって生まれ変わるのを待っている空間がたくさんあるようです。こういう場所を活用して何かやりたい気持ちを持った人が集まる場にしていくことも、IDEA R LABのビジョンに含まれています。


玉島の街を大月さんに案内していただき、近所のギャラリー遊美工房、和菓子屋さんの松寿園、酒蔵、漁港などなどをめぐりました。かつて北前船の漁港・卸の街として栄えた玉島には、300年、400年前からあるような古い蔵や家屋がたくさんあり、観光の資源として保存されたり、過度に演出されたりすることなく、日常の中に息づいています。なかには放ったらかしにされていたり、取り壊しの準備にかかっているものもありましたが、その自然な様に時代を超えたような錯覚を憶えました。




「人がたくさん来てくれるから、仕事以外のことでむっちゃ忙しくて」と楽しそうに話す大月さんは、ラボにいても、地域のめぐっていても、様々な方に挨拶をして笑い声を交わしていました。そんな生活を垣間見ると、思わず東京での仕事/生活と比較してしまいます。



街を巡ったあと、お昼に食べたのは、魚市場で買った、水揚げしたばかりの「手長ダコ」。塩でぬめりをとり、ぶつ切りにして醤油で食べたらもう最高でした。そんなわけで昼からビール。野生のクレソンのサラダを添えて…。他にも、小フグやメバルやネブト、シャコやカニやタコやイカ…。瀬戸内海に面し、野菜も採れて、玉島の食文化は超絶豊かです。



夕方からは、図書館で資料を調べたり、川沿いを海までチャリで移動したり、のんびりと過ごしました。海岸沿いには巨大な工業地帯が広がっていました。大きな通りにはマクドナルドやモスバーガーが並ぶ典型的な「郊外」の姿も。


夜は、近所の和菓子屋松寿園の亀山さんに連れて行ってもらって、倉敷の飲み屋さんへ。焼きシャコや筍の天ぷら、あこうの刺身など。。。はー、贅沢きわまりない。



ちょうど今、東京での仕事を今後どうするか悩んでいて、東京とは別の生活/仕事のあり方を探し始めようとしていたぼくにとって、ここで見たものは希望でした。



それは、空き地や空き家、余ったモノや自生する食材などなど、想像力をかきたてる様々な「余白」の姿です。玉島の街をめぐっていると「これそのまま壊しちゃうんじゃなくて、こんなふうにしたら面白くない?」と、湧いてくるフラッシュアイデア。それを具体的に提案し、共感する人をあつめ、活動をつくりだすのは大変だし時間がかかるけど、何かのきっかけで人が集まり、できていきそうな気がする。



そこで思い浮かべるのは、東京的なやり方とはまた違う、自生的な活動の姿です。東京でも、「こんなことしたら面白くない?!」という共感のもとに、フリーランスのクリエイターたちが集まり、様々な活動が生まれています。一方、この玉島で何かやるためには、近所に住むおじいちゃんおばあちゃんや子どもたちと関わらざるを得ず、興味や趣向や持っているスキルも全然バラバラで、何かを生み出すには時間もかかるし、東京的なやり方ではうまくいかないかもしれません。しかし、だからこそできる、へんてこで懐かしい活動の有り様があるはず。そう考えると、妙に興奮します。



ぼくが活動している練馬は、東京の住宅地で、クリエイターが集まる文化拠点でもなければ、豊かな「余白」があるわけでもない、過密な郊外住宅地です。渋谷よりも生活感があるけれど、玉島よりも都市化している。中途半端な都市です。その中途半端で野暮ったい感じが、ぼくは好きなんですけどね。

しかし、過密な郊外住宅地では、よりよい生活をつくろう、という自治のマインドが共有しづらくなり、安全管理を目的とした無機質なルールやタスクになってしまっているような気がします。自由にのびのびと使える空間・時間を生み出すには、その「無機質なルール」を使いこなして行く必要があります。



自生する要素にリズムをつくりだしていく玉島の活動と、無機質なルールをほぐしていく練馬での活動の相互作用を、うまい具合につくりだしていけないか、と、今考えているところです。

2013/04/21

2013年度のはじまりによせて

アーティスト・イン・児童館2013…

2008年から始まったこの活動も6年目に突入です。NPO法人になって2年度目。ここから気持ちを新たにスタートしていく所存です。

これまで、児童館にアーティストを招待し、彼らの活動のマネージメントをすることを仕事とし、そのプロジェクトをもって事業成果としてきました。「こんなコンセプトで、こんな作品が生まれましたよ」と。しかしそれはアーティストのコンセプト/作品であり、ぼくらの仕事の成果ではありません。

ぼくらの仕事は本来、アーティストのような存在が児童館に必要であると訴え、それに共感してもらい、よりよい活動のための施策・組織・予算をつくり、協力を呼びかけ、実施し、評価し、次につなげていくことです。そうして、子どもたちを面白い大人にしていくことです。


今年度は、そうした仕事をこなすために、今一度立ち止まり、振り返る必要があると考えています。そもそも児童館という場所はどのような歴史的背景を持ち、どんな現状にある場所なのか、とか、たくさんある「子どもの居場所づくり」にはどんな事例があるのか、そもそもそれって一体なんなのか、とか、知らないことやぼんやりしている部分がたくさんあります。また、そこにアート/創造的なスキルをインストールすることの意味はなんなのか、「子どもの創造力を養う」といえば聞こえはいいけれど、それっていったい何なのか。

なぜ、なにを、どうやって、どうしたいのか。

これまでは、児童館という空間のなかで子どもたちとアーティストが出会い、面白い!と興奮するような言葉、形、振る舞いが生まれてゆく。ただただその瞬間だけを求めていたように思います…興奮の一瞬にたどりつくまで、ぐるっと回り道をしてみようと、そういうわけです。

なので、今年は、これまでのようなアーティストを招待する事業を封印し、リサーチに徹します。地域における子どもの居場所としてあるべき空間のイメージをあぶりだしていきたいなと。

もちろん大きな野望を語る以前に、恥ずかしながら書類仕事やミーティングの設定などマネジメントの基礎の基礎ができていないので、そのへんの基礎体力作りも兼ねています。(むしろこっちがメイン)。


教育であれ、「居場所」であれ、遊びであれ、現代の子どもたちはあらゆる場面で大人の意図に左右されながら生きているように、ぼくは感じています。大人は未来の社会に向けて子どもを教育していきます。しかし、未来が大人の想像どおりになるかどうかなんて誰もわかりません。予測不可能な事態、絶対安全だと言われているものの崩壊…

今を生きる子どもたちには、大人が便宜的に想定した社会を盲目的に目指すのではなく、枠組みをかいくぐり、面白いと思う方へ、未知なる方へと逸脱する「術」を身につけておいてほしいと思っています。その「術」は、まさにぼくも学びたいと思っているところ。試行錯誤の中でそれが何かを探っていく段階として、今年度を位置づけていきたいと、そういう所存です。

がんばります、ほんとにまじで。









2013/03/22

小さな声、大きな意志



昨日は練馬まちづくりセンター「まちづくり活動助成」の公開審査会へ。イベントのタイトルは、「ねりまちコレカラ集会」。午前中に各団体の成果発表をして、午後はワークショップとディスカッション(「白熱教室」)という一日。なかなかハードでとてもつかれたが、学ぶものが多かった。



「まちづくりマインドマップ」ではまちづくりにおける様々な「課題」(小学校の空き教室が増えるけどどうする?アニメのまち政策は豊島や杉並のほうがうまくいっているのでは?など)に対する解決案や考えを参加者がふせんで書き込んでいく。「まちづくり年表」や「まちづくり活動マップ」などもあり、練馬におけるこうした活動の「歴史」「地理」「課題と可能性」などが可視化されていく。

それらの情報をたたき台に、審査委員長の小泉先生と、まちづくりセンターの中島さんが司会となって、参加者の声をひろいながら、議論のポイントをまとめていく。小泉先生のコメントはどれも冷静で、それでいてポジティブで、ユーモアもまじっている。(先生のイケメン力がかなりすごい。)



この日出会った方で感動したのでちょっと紹介。西大泉児童館をベースに活動をしている「おとあーと研究室」。メンバーの大貫さんは、鳥のように可憐な見た目なのに、生後1ヶ月ちょっとの赤ちゃんをかつぎ、3歳と2歳の姉妹を連れて、会場に来ていた。「どっこい生きている」というキャッチコピーがぴったりの、たくましいお母さんだった。アーティスト・イン・児童館のこともよく知ってもらっていて、すごく嬉しかった。なにかつながれたらいいなぁ~。

今日は偶然Facebookで知って参加した「児童館・月イチ連絡会」。児童館職員があつまり、「児童館の”エヴィデンス”を提示するには?」をテーマに議論を重ねてきた会議で、今回はちょっとオープンにしようってことでオブザーバーとして参加させてもらった。

「児童館の価値をどうやったら社会に伝えられるか?」というところがポイントで、児童館がつくりだしている子どもたちの関係性や”自己肯定感”を数値にする、とか、子どもの変化の過程をエピソードにして提示するとか、様々な方法が議論されていた。

会場は「こどもの城」だったのだけど、ここは来年度末に閉館を予定している。児童館の総本山とも言うべき「東京都児童会館」「こどもの城」という渋谷にある2大拠点が閉鎖するということは、児童館史の節目を表していると言わざるを得ない。

そんな背景もあって、かなり切迫した雰囲気で議論が行われているように感じた。笑いや冗談も交えつつ、「児童館の価値をなんとか表現しないとヤバイ!」という参加者の方々の熱意をひしひしと感じ得た。

どちらも、個々の小さな現場の知恵を、社会の諸問題に接続し、それらを解決するための「政策提案」に結びつけようとしていた。練馬まちづくりセンターで言えば練馬区役所の「練馬都市計画マスタープラン」、児童館で言えば厚生労働省の「次世代育成支援行動計画」。

財団が中間支援的な役割を担い、小さな現場の声を、大きな意思決定につなげていくプラットフォームを形成している。こうした場が有機的に機能する(大きな意思決定の内容を変える)ためにはインパクトが必要。それは、爆発力みたいな類のものではなく、小さな現場の声を結びつけるというネットワークの具体性とか、わかりやすいさ、みたいな話なのかも。

2013/03/16

別の夢を見る子どもと出会う







‎3月16日(土)、17日(日) 「小金井アートフルアクション!」のシンポジウムに出演させていただきます。16日は、東京学芸大学でデザイン教育を実践されている正木賢一先生と。17日は、多彩なゲストのシンポジウムに。今年度の《Y時のはなし・イン・児童館》や《放課後メディアラボ》の活動紹介、児童館という場所の可能性について話をする予定です。

お時間があるかた、アートフルアクション!にご興味をお持ちの方、ぜひぜひご来場ください。なお、16日は13:45から山本高之さんと、Art Center Ongoingの小川希さんのトークも!こちらオススメです。

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3月16日(土)session 7 [16:00-16:45]

放課後のユートピア
―児童館というコミュニティ

 臼井隆志(NPO法人アーティスト・イン・児童館理事長)
 ×正木賢一(東京学芸大学准教授/NPO法人アートフル・アクション理事)

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3月17日(日)session 12 [18:15-20:15]

アートが学校にはいるとき
―芸術文化活動と地域社会の今後

[挨拶]稲葉孝彦(小金井市長)
 港大尋(作曲家/ピアニスト)
 臼井隆志(NPO法人アーティスト・イン・児童館理事長)
 鎌田尚子(小金井市立南小学校図工科教諭)
 鉄矢悦朗(東京学芸大学准教授)
 正木賢一(東京学芸大学准教授/NPO法人アートフル・アクション理事)
 森司(東京アートポイント計画ディレクター)
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ということで、今プレゼン内容を考えているところ。明日の1時に小金井、ということは12時には電車に乗らなきゃ。

プレゼン内容を考えるにあたって、これは話したほうがいいかな〜と思っているのは、こういうふうに子どもと何かやりたい、と考えるようになったきっかけのこと。よく聞かれるし、自分でもなんだったけってよく思うから。

以下、回想。

高校2年生の頃に腰痛で走れなくなって(陸上部だった)、そのころまでは大学でも陸上を続けたいと思っていたけれど、腰痛で限界を知って、それまで好きでいつかやりたいと思っていた映画製作の仕事を目指そうと思った。それで、美大に行こうと決意した。

子どものことを考え始めたのは高校3年生のとき。友達と将来なりたい仕事の話をしていたときに

「おれは慶応の法学部にいって弁護士になる」とか
「埼玉大にいって先生になる」とか
「立教の経済にいって銀行で働く」とか

立派な将来を語っていて、すげーオレ具体的にそんな将来像ないわ…って思ってビビったんだけど、そのとき強烈な違和感を抱いた。わかるけど、なんかそれってほんとにお前の言葉なの?って思うような、変な感じ。

なんか大人たちが想定したわかりやすい「未来」とか「社会」とかいう幻想が憑依して、彼らにそういう言葉を語らしめているような、そんな気がしてすごく不安になった。

みんな将来の夢語るときは、ゾンビになっちゃうんだ!おれはこんなふうになりたくない!いやだー!みたいに思って、当時の彼女に友達の批判を言っていた。(今思えばよく聞いてくれたよなあんなきつい話…)。

で、その頃だ。子どものことを考え始めたのは。彼らにそういう幻想が憑依していったのは、一瞬ではなくきっと長い時間をかけて、だ。これは何か幼少の頃に原因があるのかもしれない…。ん?ていうかもしかして、これが「教育」の成果なのか・・・!?と思って、がびーーーーん!!!!!と頭の中で何かが炸裂したような感覚になった。

自分の意志や欲望が、社会のそれにハッキングされて、意志を失った言葉が身体を支配していくような、そういう恐怖を感じた。これは、そうじゃない子ども、つまり、自分の意志を持ち、社会の期待を裏切って、別の夢を見る子どもに出会わなければ、出会いたい、と思ったのが高校3年生の頃だった。(自分自身が17歳とかで、不安定きわまりないにもかかわらず)

子どもたちが何か「共通の夢」を見させられようとする。これが「教育」なるものなのか。もしかしたらそうかもしれない。「別の夢を見る」そのためには何か方法が在るのかもしれない。

そう思っていたときに出会ったのが、アートだった。美大に行こうと思っていたぼくは美大受験のために予備校にかよったのだけど、そこで出会ったヘンテコな人たちはヘンテコで、出会ったことのない変な欲望を持つ人達だった。今でも一緒に仕事をさせてもらっている西尾美也さんは、このとき予備校の先生をしていた。変で面白いな〜と思ったけど、自分がアーティストになる、というのはなんかちょっと違った。で、そんな気持ちで芸大の先端を受験したら落ちた。超落ち込んだしふてくされた。(ちなみに半年後に慶応大学の環境情報学部のAO入試も面接までいって落ちた。)

浪人していた年、ビル・ビオラの個展が森美術館でやっていた。1人で初めて美術館に行った。人間が水に飛び込む姿を逆再生していたり、大量の水を浴びるのをスーパースローで再生したりして、人間の身体を幻想的に描き出す作家で、その作品にずいぶんと見入ってしまった。そこに「別の夢を見る」そのための方法のヒントがある気がした。しかし、それは答えではなかった。

アートって超面白いけど、なんだか「インスタレーション」とか「サイトスペシフィック」とかっていう美術用語がすでにあって、その文脈をズラしたり更新したりするためのもので、具体的に教育に介入してる印象はあんまりなかった。

教育系でワークショップを実践している団体や個人のもとで、ワークショップのお手伝いをいろいろとさせてもらった。目的と方法を完璧に落としこむ、戦略をそこで学んだ。いま思えば、ここで進行表の作り方や、企画の立て方、目的と方法の一致のさせ方など、かなり実践的な事を10代のうちから学ばせてもらっていた。今でもお世話になった方々にはすごくすごく感謝している。

しかし、そうした経験のなかで思ったのは、「子どもってこういうもの」っていう想定をすでにしていないか?ということや、「ワークショップ」というイベント自体が美術館や特定のスペースで開催されていて、保護者が電車や車で子どもを連れてこないと子どもは参加できない。つまり、子どもが自分の意志でワークショップを選択しているとは必ずしも言えない。大人の都合の中で展開していて、ぼくがびっくりするような「別の夢をみる子ども」には出会えないのだ。そういう子がいたとしても、変な奴として変なやつ扱いされている。アートだとか表現だとか、変なことに価値がある場所なのに・・・!

子どもが自分で選択して行ける場所で、なおかつアートというか表現活動が入り込めそうな場所…ということで自分の経験を思い出したり人に相談したりしているうちにいきあたったのが、児童館だった。

このとき、大学1年生。1年浪人してるから、20歳になる年。

あれからもう6年。

「20歳のころからやってる方法なんて、もう通用するわけないじゃん。別の方法に変えるべき時期なんだよ。そういう時期って一気にくるんだよ」

と、今日りのさんに言われた。変化しなければならない。ここで変化できなければ、終わるだろうな本当に。

で、「別の夢を見る子ども」には出会えたのだろうか?

うん、たくさんいるなぁと思う。彼らが描く絵や、書き間違えた言葉や、時折言う大人味たいなこと(を言おうとして変な言い回しになってること)を聞くと、ほっとする。ああ、こういうところにいくつもの別の夢がある。早くから社会が見る夢に憑依させられてる子どももいて、大変そうだなと思うけど、まだ取っ払える。一度取っ払ってから、あえてその夢に乗ってみよう、と思うならいい。

彼らがみている別の夢は、社会が未だ必要だと思っていない、未知なる知性。そこに形が与えられ、社会的な知性になっていく変化の過程をみること、つくりだすことが、アージをやっている喜びだ、というとなんか抽象的だけど、うまく言えないから難しくいうとこういう感じだ。

さっき「アートって…」と批判めいたことを描いたけれど、アーティストも別の夢を見て、そして社会にそれに共感し、協働する人と共に、未知なるものを新しい知性として提示する。だからぼくはアートを尊敬しているし好きだ。

子どもとアーティストの方向性は同じだよね、ってみぃちゃんが昔言っていて、すごくはっとした。はたから聞いたら耳タコな言説かもしれないけれど、質の違う響きだった。

あーなんかこの感じ、うまく伝えられないかなぁ。
明日のトーク、うまくいくかなぁ。