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2010/12/29

12/29 移動・複数化可能な「時間」


時間とは叢(くさむら)である。
—移動可能/複数化可能な植物の集合体としての公共圏


児童館の遊戯室を定点で観測し、そこに流れる時間をぼくたちは把握することができたとして、しかしそれは建築的な空間の時間であり、個人のあらゆる時間を把握するものではない。

時間とは、地から天に伸びる塔ではなく、様々な植物が伸びる叢である。塔としての時間の発明は、近代以降の産物であり、大きな物語に依拠するものであった。しかし、それはもはや有効期限の切れたシステムである。大きな物語に対して、小さな物語が叢をおりなす風景を現代だとして、私たちは叢としての時間を発明し、植物としての個人の時間を、叢の中に作っている。twitterのタイムラインは、まさに小さな物語の集合を示しているといえるだろう。

小さな物語たちは、互いに寄り添い、影響しあいながら叢を形成している。私たちは寄り添いの関係の網目の中に生まれ、小さな物語を形成し、誰()かと寄り添い、誰()かを産み落としていく。

しかし、個人の時間としての小さな物語は、植物のメタファーでは捉えきれない。私たちは「移動可能」であるからだ。私たちは隣り合う植物を選ぶことができ、また突然誰かに選ばれることもある。

さらに、私たちは個人で複数の時間を持つことができる。それはアイデンティティの問題でもあるといえるだろう。家族と過ごすときの私、友人と一緒にいるときの私、一人で論文を書くときの私、恋人といるときの私はそれぞれ別人である。それぞれ、友人や家族との共同作業によって生まれる時間軸である。またこれは個人からコミュニティのレベルに単位を引き上げて考えても通用する。

「移動可能」かつ「複数化可能」な物語を、私たちはいかようにもカスタマイズして生活することができる。

2010/12/25

12/23 PSP、手紙、訪問者

静岡はどまんなかセンターで起こった事件。いつものようにたむろしていた中学生からPSPが奪われて、それが宅急便で東京の某所に送られてしまった。それを取り戻すために、鈍行列車に乗り込み、片道4時間半の旅に出た4人。


憧れの秋葉原に行って、コスプレのお姉さんと話したり、ちょっとエロい店覗いたり、冒険をした彼ら。「アニメがたくさん書いてあって怖い」としきりに言っていた。


清澄白河で降りて、SNACに行く。ここで、ナデガタの友達である快快の篠田さんと遠藤一郎さんが、忘年会をやっていて、そこへのプレゼントとして「PSP、手紙、訪問者」を届けたのだった。


移動すること。構築するべきはフレームではなくルート。構築に先行するのは、躍動。ランダムな躍動の軌跡のあとに意味が加わると、それはルートとして、跡を歩く人のために役立つ。一見ランダムに見えるルートを整理し、プログラムする一つの手法があれば、とか妄想している。


思いも寄らないまさかの衝撃。「お前なんでここにいんの?しかも何してんの?」
安直な言い方だけど、彼らにとってはかけがえのない体験になるはず。

2010/12/21

12/19 Instant Scramble Gypsy

Nadegata Instant Partyプロデュース
『Instant Scramble Gypsy』

目当ては、その作中に登場する「どまんなかセンター」。

今回のリサーチのメンバーはなんと中村児童館のおなじみしげと、児童館担当職員のちえちゃんと、祐斗の彼女のカズキ。しげ、祐斗、あんどーなつといえば、ココ数年児童館を牽引してきたトリオで有名だが、この日はちょっと異例のメンバー。

アーティストが児童館をリサーチするのの反対で、児童館のメンバーがアーティストをリサーチするいわば「逆リサーチ」が起こったのだ。この日の事はぼくのフィールドノートに着々と綴られている。


ところで『24 OUR TELEVISION』の時も思ったけど、ナデガタの作品はどうしてこんなに切ないのかな。イカれたコンテンツで空間が満たされてて、カオス状態なのも面白いんだけど、なぜだろう。それぞれ一生懸命やっているからなのだろうか。それを遠くで眺めてる気分だからだろうか。「どまんなかセンター」に居ると、まるで映画でも観ているような、そんな気分になってしまう。



最近『リリイ・シュシュのすべて』を観たせいなのか、「どまんなかセンター」に入り浸る中学生をしげが外に連れだしているのを、ぼぉーっと見入ってしまった。


みんな「ほんと、今日来てよかった」と言っていて、NIPのみなさんも「来てくれてよかった」と言っていて、ぼくはとても嬉しい気持ちになった。しかし、この日起こっていたことが、後に大きな影響を及ぼすことを、今はまだ誰も分かっていないのだ。

2010/12/19

12/18 ウィンターステージ

中村児童館に通い始めたのが去年の「ウィンターステージ」からだから、この日でちょうど1年。去年も出演していたパフォーマーたちが、研鑽を積んでまた出演していた。メンツがいれかわっていたりして、1年経ったことをのんびりと実感。

AIRS in Nakamura Children's House from Takashi Usui on Vimeo.


この日のエアーズはAKB48『ヘビーローテーション』。すごかったよ。

2010/12/18

12/17 前進

この日、2012年春に大きな目標が定まった。
まだ確定したわけではないので詳しいことは言えないが、これは、大きな前進である。

「遊びと美術」というような言い方で自らの活動を語っているが、しかしこの2つは似て非なるもの。「美術」と「遊び」が2本の線だとする。この2本が最も近づくフェーズとして、児童館という場所、もしくはアーティスト・イン・児童館という時間がある。スレスレまで近づいた後、一方は美術へ、一方は遊びへとそのベクトルをまた変えていく。美術の線が向かう先が、この日少し定まった。

美術を児童館に手繰り寄せ、遊びを美術へと手繰り寄せる。その後双方を、元あった場所へと放つ。

12/15 レッツ・リサーチ・フォー・トゥモロー

この日はNadegata Instant Partyが中村児童館へ。

山城さんとあんどーなつ、山口とちえちゃんとぼくの5人でミーティング。最初、お化け屋敷のための素材撮影をしよう、という話をしていたのだが、あんどーなつから「それは二番煎じでは?他のことをやっちまったほうが面白いかも」と提案。さらに「オープンミーティングに影響を受けまくって、面白いアイデアがどんどん出てくるんだ。<児童館で花嫁体験>とかね」と、とんでもないアイデアを提示。これはNIPとぼくらにプレッシャー。

ひとまずラーメンを食べに駅前へ。中崎さんと合流して、「てっぺん」でラーメンをすすりながら来年のプランをぼんやりと聞く。児童館という枠組みの中でNIPがホストになるという構造なのだが、面白くなるかどうか、まだわからん。もっと議論がしたい。そのプランのイメージと現実の状況のギャップを埋める方法をこれからつくっていくと、なにか見えてくるはずだ。

児童館に戻ると、取材の下見に来た読売新聞社の竹井さんが電話をしている。児童館職員とNIPの二人に紹介。「竹井さんが欲しい画を撮るために、ぼくたち喜んでパフォーマンスしましょう!」と中崎、山城。あちゃーと思いつつ、普段遊戯室にあるマットを工作室に移動してみることに。

中学生を集めてみんなで声を掛けあってマットを運ぶ。もっと苦労するかと思ったのだけど、なんの苦労もなくすんなりと工作室に収まってしまった。あれ?なんでもなくね、これ、、、みたいな反応が一瞬で帰ってくる。「なにがしたいのかわかんないよ」とヒロシに言われる始末。



NIPメンバー含む数人がゴロゴロしはじめ、しばらく工作室はだらだらと過ごす変なラブホみたいになっていた。「どうですか?このぼくたちが最近手がけているリラクゼーション・アート!」と山城さんは竹井さんに問かける。いや、これでいいのだ。この態度こそNIPだ。それで結局竹井さんは児童館を後にし、また来てくださることに。2月の制作発表の日にまたご連絡しなければ。

この日、ふうがはひたすら柔道の話をしていた。この間の世界選手権で触発されてやたら柔道をしたがっていたのだ。それに対して山城さんが応えた。

「よし、工作室で柔道やろう」
「ふ、服つかんでいいすか」
「あたりまえやんか」

白熱した柔道の試合が始まる。狭い工作室だからアブナイのなんの。みんなでマットを囲んで、やんややんや。まるでストリートファイト。ヒロシ、しげ、とっきーも参戦して、大盛り上がり。しかし山城さんが強い。ぱっぱっぱと一本をとってしまう。

ひとしきり試合をしたあと、遊戯室に紙とペンをもって集まる。お化け屋敷の会議が、此処へ来てはじまった。ディズニーに行った思い出の話とか、今度の花嫁体験の話とか、富士急の話とかを交えながらアイデア会議は進んでいく。

やっぱり身体でコミュニケーションしたからなのか、ある種の清々しさみたいなものがあった。この後予定があって、この場を一足先に出て行ったのだけど、山城さんは身体でコミュニケーションをして、あいつらから無駄な熱を抜いた後、まるで部活後にだらだらするような雰囲気で話し合いを始めた。あいつら中高生にとって、「話し合い」というのは運動の後の「憩い」であるのだ。それは何かをしたあとのぼくたちの「飲み会」のように。計算してかしらずか、大人の憩いと中高生の憩いの方法を重ねあわせたNIPのコミュニケーションの術には本当に脱帽した。

そんなこの日のレポートはこれ!↓↓




2010/12/14

12/13 終わりのデザイン

今年ももうすぐ終わるし、大学ももうすぐ卒業する。十何年か続いた「学校に通う」という生活ももうすぐ終わる。清々しい気分である。

さてところで、ある活動を通じて人びとに「生きられた時間」のその「終わり方」について、今日は考えた。「死」と「墓」と「喪」のメタファーで、「終わり」と「始まり」について考えてみる。その意味で、小此木啓吾さんの『対象喪失 ―悲しむということ』はとても素晴らしい参考文献。

失うこと、終わってしまうことへのより良い「喪の作業」によって、次の始まりを獲得することができる。喪とはつまり、哀悼、対象への愛情の認識、自己認識、発見、着想、アクションという過程のこと。ある時間への「喪の作業」を形式化することは、哀悼からアクションへの過程とその行為のデザインが可能。

2010/12/12

12/11 第3会オープン・ミーティング

小沢剛さん、山本高之さん、両アーティストの想いのこもった言葉を聞かせてもらいました。感動しながら話を聞いていました。なんと来場者は90人越。




全3回の「オープン・ミーティング2010」は昨日で終了いたしました。ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。ミーティングの内容は現在書き起こし中です。公開方法は検討中ですが、これまた新しい挑戦になりそうです。

どうぞご期待ください。

2010/12/11

12/10 見ることと教育、と図工(以外)


 見 る こ と と 教 育 、 と 図 工 ( 以 外 ) 

山本高之さん出演のトークを聴きに行ってきた。山本さんは昨日の夜自転車に乗っていて転倒し、顔に怪我を負っていてサングラスで登場していた。視線の非対称性が、場を不安にさせる。ねらってやっていたのかな?司会の成相さんの「みうらじゅんさんです」には笑ってしまった。

トークの内容は、クロード岡本少年が美術家や批評家に「天才少年」、「豆マチス」と絶賛されジャーナリズムのネタになったという話から、「子どもの感性は豊かである」という信仰を疑う内容になっていた。ワークショップというフレームの起源の話にもなっていた。山本さんの作品については「ワークショップ」なのか「教育」なのか、子どもを搾取しているだけなのかどうなのか、そんな議論が交わされた。

「問題点は多々出たと思うのですが、具体的にはどのようなことをお考えですか」という質問に対して、成相さんと星野さんが具体的な提案を返せていなかったことが気になった。「感性」への既存の考え方を崩してほしい、とか、先生たちに自分で考えてほしい、というのは期待であって提案という形にはなっていなかった。学芸員や研究者という立場でも美術の外側の現実に介入していくクリエイティブな実践は可能なはず。

「アートとの最初の出会いは、なんだか強烈で分からないものであってほしいと思っていますね。」

山本さんのこのセリフには説得力があった。山本さんの作品制作というわかんない体験に対して、大人になるについれてこうかな?こうかな?と自分なりに回答をつくりだしていってほしい。自分で考えられる大人になってほしいと彼は語った。そういう想いを持っている彼だからこそ信頼できる毒の強い作品をつくっている。

なんだかわからない、すごく困る体験を、子どもたちは作品制作の過程ですることになる。でもそれは、ワークショップやそれにまつわる教育の場に子どもを行かせる大人がいるから可能なのだ。大人がそういう既存の概念が解体される場(例えば美術館のような場)に自ら足を運ぶ場合、そのような人たちは解体されることへの「慣れ」を持ってしまっている。解体されることや揺さぶられることを望まない大人を、どうやって揺さぶるか。そこに作品の新展開が期待できそうだなと。

ところで今日はオープンミーティング最終会。「児童館」という場所の可能性と問題点を美術館と学校と照らして考えられたらいいなと 。「児童館」では、すべてが「遊び」になってしまう。遊戯性の高い美術は、その異質さを保つことができるのかどうか。小沢さんならどうする?山本さんは先生的な手法は通用しないかもよ?そんな話。

2010/12/10

12/09 芸大博士展

 芸 大 博 士 展 

この日は西尾さんの博士展の設営を手伝いに、上野の芸大美術館へ。謝礼金も出る、アルバイトだった。

『Self Select in Nairobi』の写真をひたすらピンで打ちつけていく。その数、40枚。

展示の設営は、結構苦労する。ある見せ方はパッとイメージできても、それを実現するための壁、道具、工具、出力形式、機材までは想像できない。これをササッと頭の中でリストアップできるといいなと。

この日西尾さんは、松戸から手持ちで運んできた脚立を使っていた。電車の中でいろんな人に見られたことについて、西尾さんはこう言う。

「モノを運ぶっておもろいよね、アフリカだとみんな自転車に大量にモノを積んだり、背負ったりするのが普通やのに、日本やとこんな小さい脚立運んでるだけで「何を運んでんねん!」という顔してくるやん」

あぁ、たしかに大きな荷物というのは日本では歓迎されない。コンパクト化されたものを持ち歩いたり、他の人(運送会社とか)に頼んだりする、誰かのサービスが内在化されている。「運ぶこと」「移動すること」の意味がアフリカとはやはり違うのだ。このことについて考えてみると、もうちょっと先が見えてくるかも知れない。

西尾さんの論文も読める、この展覧会は2010年12月12日(日)〜12月24日(金)まで。
博論の発表は12月14日午前10時から11時。日比野克彦さん(東京芸術大学教授)と苅宿俊文さん(青山学院大学教授)が聞き手になるそうです。注目。


東京藝術大学 大学院美術研究科博士審査展
会期:2010年12月12日(日)-24日(金)
月曜日休館
午前10時~午後5時 (入館は午後4時30分まで)
会場:東京藝術大学大学美術館
東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程の最終審査を一般公開いたします。 本展覧会は、博士学位の修得を目指す学生達にとって最終関門であると共に、 大学院在学中の集大成としての作品、研究を発表し、今後、作家・研究者として活動していく上で、 出発点となる展覧会でもあります。
観覧料:無料
主催:東京藝術大学
問い合わせ:美術学部教務係
〒110-8714 東京都台東区上野公園12-8
TEL:050-5525-2122ハローダイヤル:03-5777-8600



2010/12/09

12/07 迷子

「完全避難マニュアル」のドキュメントミーティングに参加して、ちょっとほろよいで寝てしまい、そのまま寝過ごして気づいたら清瀬だった。

清瀬は保谷から3駅離れた駅で、距離でいうと10キロくらい。雨も降っていたし、急に寒くなっていたけど、雨の日のタクシーは嫌いなのでぼくは根性で歩くことにした。駅近くのコンビニに直行して、大きいサイズのビニール傘と、キレートレモンを買って喉に流した。

しかし、清瀬から保谷の間、住宅地が延々と続き街灯も少ない。暗くて怖い。道もまっすぐなのがないし、iPhoneの電池が切れて地図は確認できなくなり、くねくね曲がってまた同じところに出るし、不安は募る一方。しかもお墓の塀の上で何かがひらひらと動いているのが視界に入るし。あれは多分、人を呼ぶ手の動きだ。恐怖のあまり傘を持って30分ほど爆走した。いやはや怖かった。


人間というのは不安になると自分の位置情報を把握したくなるものだ。街に落ちてるあらゆる情報で、それを把握しようとする。電柱に書かれた住所とか、車のナンバーとか。それに付随して家の表札とか病院の案内とか、いらない情報まで目に入ってくる。車のナンバーが多摩ナンバーだったり、「幸町」を「しあわせまち」と読んで「そんなまち現実にあるのか!?」と無駄に不安を募らせたりしながらひたすら歩き続けた。

街の音や雨の音がいやに大きく聞こえ、あらゆる情報が視界に飛び込んでくる。あんなふうに視覚と聴覚ががばーっと開いた状態になるのは久しぶりだった。それゆえに見えてしまった揺らめく“手”なのかも知れないが。

保谷の駅が見えたときは奇跡のようなうれしさだったな。帰ってきてから玲ちゃんがつくってくれたうどんが異常に美味しかった。

2010/12/07

12/06 ドキュメントの水面

蓮沼昌宏さん、林立騎さん、郷田真理子さんが三人でやってる「くそ勉強会」に参加させてもらった。超面白かった。こういう「勉強会」みたいのって、つまらない話が多くて退屈な場合が多いけど、今回のは違った。面白かった。

映画と演劇と美術と教育の「時間」の話をたっぷりした。「別」の時間を付け加えることが公共性だという話にはドキドキしてしまった。

そんな興奮が覚めやらぬまま、ワインとビールでぼーっとしながら茗荷谷まで歩いていると、山口さんから電話。

「臼井くん、今文京区にいるでしょ?わたし、後ろにいるよ」

ホラーかと思ったら、ほんとにいて、手を振ってる。そうだ、彼女の実家このすぐそばじゃん。駅までの道が分からなかったから、送ってもらった。女の子に送らせるってどうなの、って思いながら。

さて、今日とても考えたのは、「ドキュメント」とはつまりは水面を作るようなものなんじゃないか、ということ。地上から見ると美しい水面に見えるが、水面下ではもっと多様な生き物が生きていたり、残酷な廃棄物のたまり場になっていたり、見えない世界が拡がっている。水面下に引きずり込むタイプのドキュメントと、美しい水面として見せるタイプの2種類のドキュメントがあるんじゃないか。その両方を、うまくできないか。

これから、蓮沼さんから借りた『鏡の歴史』を読み込んでみる。

2010/12/06

12/05 カメラに依って

今日は東京都写真美術館に「ラヴズ・ボディ ー生と性を巡る表現」展を見て、「松戸アートラインプロジェクト」へ。帰ってきてからはみそ鍋を食べて、卒論を進めている。

 ラ ヴ ズ ・ ボ デ ィ 

「ラヴズ・ボディ」展は、タイトルの語感がいいので、前から気になっていた。友人からの評判はそんなによくなかったけど、最終日に行けてよかった。素晴らしかった。身体をヌードやエロスの表現だけでなく、あらゆる政治的、法的、権威的な「視線」にさらされるモノとして捉え直す試みだった。それらの「視線」や関係性の集積を表現するのに写真というメディアの有用性を訴えている展示でもあった。あらゆるものに規制され、規定され、それでも愛し合っちゃう人間って何なんだろうね、とそんな事でも呟きたくなるような、そんな作品たち。


 松 戸 ア ー ト ラ イ ン プ ロ ジ ェ ク ト 

その後、珈琲を飲んでから松戸へ向かう。西尾さんや石幡さんが参加している「松戸アートラインプロジェクト」の会期中なのでした。細かい内容については割愛するが、こういうアートプロジェクトに行っていつも悲しい気持ちになるのはなぜなのだろう。みんな頑張っているのはわかるのだけど、何かが悲しい。

「地域系アートプロジェクト」とか言うよく分からないことばが使われているけど、それを言ってしまった瞬間に、美術の「毒」がすっかり抜けてしまう。美術って何?表現って何?という辛辣な問いかけはすでになく、美術いいでしょ、なんかこういう感じ。いいでしょ…となってしているように見える。行く宛のない創作物たちを見ると、悲しくなるのだ。単純に、足を運んだのに、ガツーンと頭を揺るがされるような、面白いものに出会えない悲しみでもある。(この「創作物の行く宛」については、今考えていることがあるので、また明日にでも。)

なんだか少し前まで、「アマチュアリズムで行けるぜ!」とか考えていたけど、もはや無理。情報デザインからドキュメントまで、プロの参与が必要だって。アマチュアでも誰でもアートはできます、なんて幻想。フィクション。ファンタジー。



しかし、しかし、このプロジェクトにアーティストとして参加している村上慧くんの作品は理屈ぬきに面白い。彼の「家」とそれを作った理由。力抜け過ぎてていい感じ。高校の後輩なのだけど、今後が楽しみ。


 み そ 鍋 

まぁそんな取り留めもないモヤモヤと一縷の期待を持って帰ってきて、でもどうしてもモヤモヤが晴れなくて池袋をうろうろしているときに、無印の大きな土鍋を見つけてしまった。以前から美味しい鍋を食べたくて土鍋を探していたので、思い切って買うことにした。3300円。マッカリに帰ってみそ鍋を仕込み、食べているうちにテンションは徐々に回復。


 カ メ ラ に 依 っ て 

ご飯を食べてから、明日の卒論に向けて作業。evernoteで作った昨日のフィールドノートを見ていて、ふと思ったことがある。



ぼくは児童館に居て、中高生達と関わっているけれど、そんなに「児童館マジで大好きです!!」というわけでもない。この間の音楽祭の時も、高校生のバンドや小学生のダンス教室の発表を見ていて、恥ずかしい気持ちになったり、いたたまれない気持ちになったりするほうが大きくて、現場に乗れずにいる。むしろ引いてる。「うわー」って感じで。何もしないでただその場所に居るとき、ぼくはそんな感じなのだ。

でも昨日、コンパクトカメラを手にビデオを撮っていて、その映像を家で見ながら気付いた。映像に写っている彼らは懸命で、でも滑稽で、ぼくはそれを愛おしいと思っている。「カメラで撮影をする」というアイデンティティを持って、カメラに依って彼らとの距離を測り、安定できる場所を模索するのだろうなぁ。カメラに依ってぼくは彼らと関わることができるわけだ。

さて、明日はそのあたりも告知含めて話そうかな。

2010/12/04

12/03 飲みに行く


大泉学園のスターバックスで珈琲を飲みながら論文を進めていた。関係性のモデルとして以前から考えていた「向き合う」「寄り添う」という2つのモデルを文章化できたことに少し満足しつつ、少し早めの時間に店を出てポラン書房に行くことにした。

奥さんと会話をすると25日に落語の会をやるらしく、クリスマスなのになんで?とか話したり、最近の活動のことを少し話したり、そんなことをしながらお店の中をめぐる。この日は最高気温が23度という異常気象な日だったわけだが、店先の特集コーナーには12月を象徴する絵本が沢山並んでいて懐かしい気持ちになった。ポーランドの仕掛け絵本と『考現学入門』を購入して店をあとにした。

買えなかったエンデ全集に後ろ髪を引かれつつ、電車に乗って中村橋に移動。おジョーと待ち合わせをして、恵比寿の写真美術館で開催中の『ラヴズ・ボディ』の招待券をもらった。二人で中古ゲームショップに行って、DSのコーナーに並ぶゲームについてあーだこーだ言いながら、あんどーなつと待ち合わせの18時まで、時間をつぶす。

おジョーと別れてあんどーなつと落ち合う。「トロッコ列車」という行きつけのコジャレた居酒屋に入り、ビール2つとカキフライと豚の角煮を注文した。ここの店員さんは、シャイなんだけど明るく振舞うことを精一杯やっている、感じのいい人だ。少しだけ高めなのが難点だが、料理は美味しい。

疲れ気味のあんどーなつと飲みながら、先日のオープンミーティングのことを話した。おもむろにカバンから封筒を取り出し、

「一通だけ後から届いたんだよ。西大泉児童館の秋山館長から。」

と、アンケートを渡してくれてた。秋山さんはぼくが児童館のリサーチを始めた2007年にかばちゃんの相方として職員をしていて、次の年に西大泉児童館の館長になった女性。秋山さんはそれ以前にも西大泉で職員としてかばちゃんと組んでいて、かばちゃんが移動してその後相方を務めたのがあんどーなつだった。

そんな秋山さんのアンケートからは、あの場を面白がっていたことがひしひしと伝わってくる。なんだか分からないけど、奇妙に高揚した感じがそのふであとから伺うことが出来た。

「あの場所で、職員の価値観ではできないことができるかも…っていうふうに、胸がざわついた人たちがたくさんいるとおもうんだよ。その空気を感じた」

と、あんどーなつ。

その後Nadegata Instant Partyの話になる。巻き込む対象は、しげじゃないんじゃないか?と話したり。「しげはもうスタッフだから。中村児童館の職員だからね。風雅とかいいんじゃないか。」あんどーなつは風雅をしきりに押していた。ぼくはあいつのこと、廊下とかではふざけるけどステージ上では恥ずかしがって出来なくなるタイプかと思っていたのだがそうではないらしい。パフォーマンスするのが大好きで、放っておいたらずぅーっとネタをやってるようなタイプなんだって。
ぼくは、しげじゃないとしたら、ひろしやたくやなんじゃないか?という。ひろしはむちゃくちゃ頭がキレるし、中村中出身じゃないから、また別のネットワークを持っている。たくやは優しくて昔からの馴染み。あるいは野田さんが力を発揮して、女子たちをそそのかすとか、そんなふうにナデガタが中高生をどんなふうにいじるのか、いろんなパターンを想像して楽しんでいた。

「ナデガタ、特に中崎くんにまだ「職員」としか思われていない気がして、オレはもっと話がしたいんだよ。基本的に彼らがどんなにヤバいことをしようが受け入れるつもりだし、あんまりやばかったらそりゃぁストップかけるしさ。山城くんも中崎くんも、なんだか躊躇してるんじゃない?」

「オープンミーティングの時だって、「大人の遊びしてみぃひん?」っていう呼びかけに、奴らは一瞬エロいこと考えたわけさ。地域の人達だって、エロいこと妄想してざわめき立つ奴らみて、「全くこの子たちは」ぐらいにしか思わないでしょ。児童館にエロいこと持ち込むぐらいの、そのぐらいのことしてもいいと思うんだよ。おれとかちえちゃんが「ちょ、ちょっと、ここは児童館だから!」って突っ込む演技するからさ。そのぐらいでいいのに、山城くんは「っていうのは<仕掛ける側>になろう、っていう意味で」ってフォローしちゃった。もっと悪ふざけしていいのに。」

たしかに、山城さんも中崎さんも躊躇がある気がする。なんだか『24 OUR TELEVISION』以降、少しずつ毒が抜けてきた気がするのだ。やっぱり美術館が舞台になると、毒素の強いことができるのかなぁ?アートの制度に守られたところのほうが、彼らは力を発揮するのかなぁ。

「今年の2月のナデガタのプラン発表は徹底的にふざけようね。正装してさ、プレスもたくさん呼んで、「2011年のプランが決まりました。やってみなければわかりません」みたいな、何も決まってないのをポジティブに行ったりしてさ、その後の宴会でしげが泣いたりして、「ほんとやってよかったです!」みたいな盛り上がり見せちゃって、それで実は何も決まってない、がーん…みたいな感じとかさ、面白いじゃん。」

たしかに面白い。でも、児童館っていう場所はすべてが遊びになってしまう。ナデガタはこれまで、遊んじゃいけない場所で遊んでたから面白かったのだ。遊んでいい場所で遊んでも面白くない。例えば、児童館という遊びのための場所で、ガチなことをする。ホームレスの宿にするとか、なんかそういうガチなことしたら面白いんじゃないかとも話した。

なんだか安藤さんとたくさん共有できた気がする。来年、24 OUR TELEVISIONを超える、ガツーンと強烈な作品を作ってほしい。

「ついぞびっくりしたことがない人間なんだよ。ナデガタはおれのことびっくりさせてくれるんじゃないかって、本当に楽しみなんだ」

それはぼくも楽しみだ。

2010/12/03

12/02 打ち合わせ

三脚を2台担いで家を出て、新宿で時里くんに渡す。先週のオープンミーティングの撮影で使ったもので、彼の大学から借りていたのだ。荷物の受け渡しは毎回大変。こんなとき心底車がほしいと思う。

新宿から埼京線と京浜東北線を乗り継いで、南浦和で下車。西口の喫茶店で小沢剛さんと打ち合わせ。以前お会いしたときタバコを吸っていたイメージがあったので、気を使って喫煙席で待っていたら、タバコは吸わないそうな。

「もらいタバコを時々吸うぐらいだよ」

なんだか納得させられた一言だった。なるほどね、そういうことか、と。具体的にどうというわけではないのだけど、彼の作品と人柄のつながりがふと見えた。

打ち合わせは、打ち合わせというよりも僕の個人的な興味を次々と質問していった感じだ。美術館をどう捉えているのかとか、ノッポさんのこととか、子どもの頃のこととか、作品のことや、図録や作品集などの出版のこと、税金の使い方のこと…。

「アーティスト・イン・児童館」を作るときに、小沢さんの『相談芸術』シリーズを参照していたこともあって、彼への興味はやはり尽きない。「昭和40年会」のようなコラボレーションワークも多く、快快や安野太郎さんなどとは世代を超えた、「西京人」では中国人、韓国人、日本人の国境を超えた活動を展開している。彼の柔軟性とコミュニケーション欲をぼくは見た気がした。

でも、「具体的に絵を描いたり彫刻を作ったりはしていないけど、根底にあるのは美術の制度とか、"描くこと"なんだけどね。」と彼は言い切っていた。そこをぜひ語ってほしい、と話した。

山本さんと小沢さん、二人が顔を合わせるのは9日後。アーティスト・イン・児童館というプログラムが持っているネットワークが人を集め、一同に顔を合わせる日になる。


2010/12/02

12/01 ついに

昨日の朝からずっとつくり続けてきた2011年度の事業計画書。いつだったか、ふと「展覧会をやりたい」と思い立って、事務局に提案して、名古屋で山本さんに話して、松戸で西尾さんにも話して、高円寺で野田さんにも話したな。そんな経緯が形になった書類だったわけだ。

なぜか六本木アートナイトの打ち合わせに巻き込まれ、森ビルの49階に上がるはめになって森アーツセンター内に入って企画の交渉に参加したわけだが、なんとかうちの事業計画書を渡し、来年はメディア展開を充実させたい、その一環として展覧会をやりたいのだ、ということは伝えることができた。突っぱねられると思っていたこの提案を、受け入れてもらえたことに驚いた。

来年はゴツコーンと大きいのを打つ。「美術館はいらない」とか「美術の制度から自由になる」という流れから降りて、ぼくは美術の制度に乗る。

2010/11/30

11/28 水戸芸術館「アンサンブルズ・フェス」

オープンミーティングの翌朝、もぞもぞと起きて東京駅からバスに乗り込み水戸へ移動。

大友良英「アンサンブルズ2010 共振」のオープニングイベント「アンサンブルズ・フェス」へ。展覧会場のいろんな箇所で、即興演奏やセッションが始まる、フェス。山本精一、山本達久、テニスコーツ、梅田哲也、七尾旅人、カヒミ・カリィ、そして大友良英。

美術館の中でパフォーマーが台車に乗ったり歩いたり、移動しながら即興や予定していた曲を演奏する。演奏する人の奇妙な身体性を浮き彫りにする異質な風景がところどころに立ち上がっていきます。しかし、徐々に観客が地べたに座り「客席」をつくりはじめたところから、異質さが薄れていきました。ぼくたちは音楽の消費の仕方を知っています。体を揺らしたり、手拍子をしたり。それをし始めた瞬間に、美術館であるにも関わらず音楽を消費する空間になってしまったように思いました。美術をもって、僕達が知っている音楽の消費方法を解体しようとしたのかなぁ。もう少しラディカルな解体が観たかった。

展覧会はまだ見ていない、と言っておきます。繊細な音たちの集合はきっと素晴らしい体験になるはず。もう一度行こうと思っています。

大友良英「アンサンブルズ2010-共振」 
欧文表記:
Otomo Yoshihide "ENSEMBLES 2010: Resonance"
会期:2010年11月30日 (火)~2011年1月16日 (日)
開館時間: 9:30~18:00 *入場は17:30まで
会場:水戸芸術館現代美術ギャラリー
休館日:月曜日・年末年始12月27日 (月)~2011年1月3日 (月)
*ただし1月10日(月・祝)は開館、翌11日(火)休館
入場料:一般800円、前売・団体(20名以上)600円
中学生以下、65歳以上・障害者手帳をお持ちの方と付き添いの方1名は無料

2010/11/29

11/27 オープンミーティング第2会

西尾美也さん、北澤潤さんをゲストに、中村児童館でアーティスト・イン・児童館のこれまでの検証をしてきました。

児童館的な活動の在り方と、即興的で偶然を取り込んでいく余白のデザインをするアーティスト・イン・児童館のノウハウの共通点を見いだせたことは大きな成果だと思います。

なんだか有名になってきたこのプログラム。北澤くんの学童保育時代の先生が目黒区の児童館の館長になっていて、今度はアーティストとして北澤くんに出会いなおしたり、本番中にもいろんなコメントをもらえたりして、本当に充実したイベントでした。

しかし、トークイベントというメディアの機能はぼくもよくわからなくて、あれはやはり政治的な場だったり、キャンペーンだったりするわけです。新しい言説を生み出すような場所には成り得ないと思います。広報活動の一環としては、もちろん重要なわけですが。

しかししかし、飲み会では皆満足した様子で、とても楽しそうでした。いろんな言葉が交わされたこと自体に満足したのかなぁ。コミュニケーション欲が満たされたということでしょうか。ぼくはやっぱりもっと手応えのあるパフォーマンスがほしいです。ビジュアライズされた、あるいは言葉を超えた表現が児童館のような場所から生まれる光景を見たい。

2010/11/27

11/26 完全避難マニュアル いよいよフィナーレ

『完全避難マニュアル 東京版』および「フェスティバル/トーキョー」が、今週日曜日にいよいよフィナーレを迎えます。

ぼくが関わっていた新大久保駅の「避難所」は今日が最終日だったわけですが、んー。
フィナーレとか言って、まだまだ終われないでしょ、こんなんじゃ全然わくわくしない。このプロジェクトは多分会期が終わってからが本番で、こんなに拡散した状態で終わってしまったら、批評も深化も生まれない、和やかな企画になってしまう。

そんな感覚です。今。

あと二日、行けるところは行ってみてください。
http://hinan-manual.com/

2010/11/26

11/25 インタビュー記事

今日はあんどーなつ氏の遊び化学実験室に遊びに行ってきました。ニ回に一回は行くようにしていて、毎回行くと楽しいです。いろんな遊びを知ることができます。

公共施設の会議室で、大人が集まってケタケタ笑いながら遊んでいるって不思議なんだけどね。

そして、東京アートポイント計画のウェブサイトにインタビュー記事をアップしてもらいました。「越境する遊びと美術」というタイトルです。
http://www.bh-project.jp/artpoint/essay/index.html

2010/11/25

11/21 名古屋へ

11月21日、オープンミーティング第3会のゲスト、山本高之さんに会いに、名古屋へ。8月にあいちトリエンナーレの展覧会を見に行って、それ以来。


12時に山本さんと駅前で集合。おすすめのうな丼を食べて(タレは少し甘め)、コンクリートの像がひしめく珍スポット「五色園 大安寺」へ。


これまでの作品や制作活動にまつわるいろんな話を聞きながら、「いやぁ、これはすごいね、なんか不安になりますねぇ、再評価の必要がありますねぇ」とか言いながら像のまわりを歩いて行きます。2m50cmぐらいのでっかい像で、顔の無表情さったら可笑しいのです。それを何十体とつくるのだから半端じゃないなと。


「創造性ってリスクを伴うけど、それでもやるの?」

アートが市民も参加できるものになっていく過程とか、その事自体への違和感や彼の疑問が、作品に反映されていると思いました。まるで社会の制度とそれに対するぼくたちの振る舞いを映し出す鏡のような。


不安だったり、すっきりしなかったり、わからなかったりするものがあることは、体験としてポジティヴなんじゃないか、という彼の指摘にはいたく共感しました。


アートなんて、たしかにお金持ちや一部の有識者のものなのかも知れません。少なくとも美術のメインの文脈は「ラウドマイノリティ」によってつくられています。

でもぼくは、人びとがアートのように空っぽなものを勝手に誤解して使っているプロセスが好きです。

2010/11/23

11/20 泉太郎「こねる」展

神奈川県民ホールギャラリーでの泉太郎個展「こねる」。
この日は快快のパフォーマンスも公開制作もあって贅沢な日。でも美術館で参加型パフォーマンスしようとすると無理がある気がする。そもそも演劇や音楽とは、観客が作品に臨む態度が違う。



散らかってて、汚くて、笑えて、おすすめです。ぼくたちが世界をどうやって体験し、把握しているのか、その鏡みたいな作品群。

11月27日まで。http://www.taroizumi-koneru.com/

2010/11/20

11/19 避難所/北海道からの来客

新大久保駅の避難所のスタッフをしてから、タイ料理屋トンタイへ。美味しいから皆連れていきたい。

マッカリに戻ると、北海道から中村絵美が来ていて色々話す。鳥取でのレジデンス、本当におつかれさまです。いろんな使命を、勝手に背負わされている大変な世代であることをぼくたちは自覚し始めています。


北海道には、少なからぬ縁があって、昨年死んだ祖父の骨は小樽に埋まっています。明治期に仙台から北海道に渡り、開拓に従事した大工の棟梁の一人がぼくの母方の高祖父で、小樽新聞社のような現存の建物も作っています。

文化人として僻地に渡り、その場所の生活に馴染もうとしても馴染めなかったであろう彼らの生活を思いながら、ぼくも北海道で生活してみたいと思いました。レヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』のようです。

2010/11/19

11/18 ロゴマーク


アーティスト・イン・児童館のロゴマークを作りたくなってきた。なので、その相談もかねてデザイナー濱くんともつ鍋を食べに行きました。





「マリオの土管」
「風穴」
「凸」
「鍋の蓋」
「交差点」
「冬虫夏草」

これらがこれから生まれるロゴのキーワード。楽しみである。

2010/11/14

11/13 ことばのかたち/関わり方/また会えるはずだよ


ことばのかたち工房
 今日は高校生が来てくれました。さすがエリート高校のボランティア部。高校一年生なだけあって、楽しみ方を分かっていたようです。子供な部分と大人な部分が不自然に同居する彼女たち、とても面白い時期だなぁと思いました。そしてこの日は初めて、工作室での実施をしました。ちょっと奥にある部屋なので、子どもたちは今日「ことばのかたち工房」をやっているということがあまり分からない様子でした。でも、ギャルたちは集まるし、面白い少年たちは来てくれたし、充実していましたよ。

中村児童館
 12時ころに抜けだして中村児童館へ移動。今日は「あきまつり」だったのです。ナデガタ山城さん、野田さんが中村児童館の秋祭りを体験。山城さんは昨日の代官山UNITでのイベント「THE☆荒川智則」の徹夜明けにも関わらず、8時半に出動!すごいなぁ。





 でも、職員の子どもとのコミュニケーションの仕方を見て、自分も体験することができてよかったと言っていました。たしかに、アーティストとして制作する上では、アーティストは職員の立場は経験しません。今回のように児童館の現場に入り込むことで、その経験は生まれたわけです。場所や人物を記憶するだけでなく、児童館という場所のコミュニケーションの作法を読み込んでいく山城さんのリサーチ能力。すごい。
 一方で野田さんは、秋祭りの来場者の多さに驚いていました。この延長線上にキッザニアがあることや、秋祭りのよく出来た経済システム、そこに集まってくる子どもたちの欲求の在り方に驚きつつ分析をしていました。
 今度は、何か実際にかたちを作ってみたいということで、現在進行中の企画あり。もしかしたら一月に実現するかも知れません。それも興味深いリサーチのプロセスなのです。

池田さんのこと
 その後また、東大泉児童館に戻ります。この日は少しだけハード。
 この日、先日電話でチラシを見た、と連絡をくれて遊びに来てくれた池田さん。関町に住んで主婦をしていて、図書館でチラシを見てきてくれたのだそうです。子どもと積極的に関わるわけではなく、むしろ戸惑っていた彼女は、古着から取り出された紐状のパーツを三つ編みにする作業に次第に没頭し、その作業をずーっとしていてくださいました。
 ぼくは、子どもと無理に関わるわけでもなく、でも作業をして、たしかに池田さんがその場に居るこの状況が、とても魅力的だと思いました。戸惑いの中で見出したこの場所との関わり方が三つ編みを続けることだったと思うのですが、そのかかわり方を子どもたちや高校生が受け入れ、任せている様子に、感動してしまいました。こうした関わり方の中で生まれるものが、作品となり、あるいは材料となり、これから児童館の壁を超えてつながっていく道筋を作っているのです。

よっちゃんのこと
 それから、今日は東大泉児童館職員の、よっちゃんの最後の日でした。おめでたいことに2人目のお子さんができて産休に入るため、この児童館を離れることに前から決まっていました。彼女のことは以前も書いたけれど、活動のイメージを共有するために何度も時間を奪って、本当に困らせてしまっていました。とくにかばちゃん(2008年度まで10年間東大泉児童館に務めた職員)の後継でプレッシャーも大きい中で、北澤くんとぼくたちというあまりに未熟で無駄なプライドだけの若者とのやりとりに、相当苦労されただろうと思います。
 でも、ぼくたちが少しずつ上手にコミュニケーションを持てるようになっていく過程を、見守っていてくれたことを今日知りました。二十歳の頃の青臭い衝動を、彼女は戸惑いながらたしかに受け止めていてくれたのです。
 産休を終えたら、また練馬区で職場復帰をする予定だそうです。

「また会えるはずだよ。臼井くんなら続けてるはず。またきっと一緒に面白いことできるでしょう」

適切な距離感で付き合うことを覚えたぼくとよっちゃんの間に、拒絶はありえないなと確信しました。ぼくたちの活動が、彼女が復帰した職場に出会うことを、ただ楽しみに待つだけです。
 ちなみにお子さんの出産予定日は1229日。ぼくの誕生日が31日。そしてその子は男の子。誕生日が同じだったらふしぎだね、と、笑っていってくれたことが嬉しかったのです。

2010/11/13

11/11 避難/カントール/高円寺


この日は午前から昼過ぎに掛けて、卒論の執筆。なかなか思うようには進みません。

夕方に、「完全避難マニュアル」の山手線渋谷駅の避難所をめぐる。地図にしたがってぼけーっと歩くのは心地いいです。普段のせわしない時間の連続からフッと抜けだした感じ。



それから池袋あうるすぽっとに移動して、タデウシュ・カントール『死の教室』を観ました。75年の作品なのに古臭さを感じ無い。人形のように血の気を失った役者たちが、狂っている様子を観るのはとても楽しかったです。本物の蝋人形を使った演出が、快快の『Y時の話』と演出が似ていて驚きました。

その後、高円寺に移動。山城さんに誘われて飲み屋に行くと、そこは看板ものれんもない古びた居酒屋でした。しかし、お店のマスターは若い女性3人。ビールは一本350円。安いわ、みんな気づいたら仲良くなってるわ、良くわかんない感じ。UNITで素敵なパフォーマンスをしていた蓮沼執太さんも来ていました。



閉店後は山城・野田家=「めぇ〜でぃ〜あ・アートセンター」に移動。初めて行ったけどいいおうちです。梅干とポテチを食べながらのんびり過ごしていました。が、山城さんが飲み過ぎてダウンしちゃって、ぼくたちは解散することにしました。

そこから高円寺→大泉の真夜中のピクニック。レイと二人で2時間爆歩。最高にいい運動になったとさ。

2010/11/11

スプツニ子「スカイプのうた」/Sputniko! - Skype song



この間、清澄白河のSNACでトークを聞いたけど、彼女のセルフプロモーションの仕方、ホントに面白い。実はパリでお世話になったセザールと同じ大学院で友達で、共同研究をしてたみたい。

東京都現代美術館「トランスフォーメーション」展、早く行かなくては。

11/10 レッツ・リサーチ・フォー・トゥモロー

11/10 レッツ・リサーチ・フォー・トゥモロー

今日は山城さん、辻、時里くんと中村児童館訪問。12月に『真冬のキモだめし』を構想しはじめている。なんだか、少しずつ動いてきている。気持ちも、出来事も。なんだか、堰き止められて淀んだ水が、誰も気づかないところで少しずつ流れ出し始めたような、そんな気配がする。決壊の予感を覚えている。



突然だけど、町の中や美術と関係ない人とコラボレーションしてできる作品には二通りある気がしている。

1つは、皆の想いや情念を引き受ける物。「記念碑」や「墓」的なものだろうか。これはパブリック・アートの歴史研究を紐解くと見えてくる気がする。

もう1つは、ぼくたちの気付かなかった行為や表情を浮かび上がらせるもの。「鏡」や「水面」のようなもの。コンセプチュアル・アートはブルデューの概念にちなんだ「リフレクシヴ・アート」の別称を持つと聞く。この系譜で考察できそう。

ぼくは今、後者の「水面」や「鏡」に不覚にも出会ってしまうルートを作るような、そういう世界を夢見ている。

2010/11/10

11/09 飴屋法水『わたしのすがた』

フェスティバル/トーキョーで上演されている飴屋法水さんの『わたしのすがた』を鑑賞してきました。細く長い針が突き刺さるような、ぬめっとした温風のような、遠くの方から確かに誰かに呼びかけられているような、そんな体験でした。

劇場という空間を脱ぎさったこの作品は、想像以上に強い力でぼくの身体に介入し、締め付けてきました。それだけ強度の高い作品なので、用心が必要かも。でも、必見。

2010/11/09

11/07 小沢剛さんアーティスト・トーク

11/07 府中市美術館で行われた、小沢剛さんのアーティストトークに行ってきました。

当日は映像機材が使えないトラブルがあって、予定通りのトークではなかったのですが、小沢さんの制作の観点、社会や風景の見方がわかって、やはり面白いなと思いました。

公開制作プログラム「できるかな2010 記憶」では、家にあった布やお菓子の空き箱や紙袋などを素材に、布や空き缶は白い膠を塗ってさらに上から同じ模様を油絵具で描き、紙袋はミキサーで砕いて紙粘土にして同じかたちに作り直す、ということを7月からひたすら時間を掛けて続けていったのだそうです。

この素材たちは、昨年亡くなった小沢さんのお母様の持ち物で、小沢さんはモノを通して、それらが生きられた時間のことを想いながら、それをなぞっていく。小沢さんなりの「喪」の行為だったのかなぁと思っています。

さて、そんな優しく、そして独特な「美」への関心をもつ小沢さんとのトークは12月11日。オープンミーティング第3会です。

なんだか、今回の「なぞる」行為にしても、地蔵を置いてみる「地蔵建立」シリーズにしても、彼の作品は何か子どもの一人遊びのように思えます。「ベジタブルウェポン」や「あなたが誰かを好きなように、誰かも誰かを好き」は、おもちゃや遊具を想起させます。「わくわくさん」は子どもの頃の彼のヒーローだったという話も納得。幼少期と今の制作活動のつながりやら、今子どもたちに対して思うこととか、聞いてみたい。

さぁ、少しずつ面白くなりそうな予感。

2010/11/03

11/03 風邪と夢の話

風邪らしい風邪をひいた。熱が出て何も手に付かなくなるほどの風邪は何年ぶりか。

昨日、広報についてミーティングしてきたので、作業を少しずつ進めなければ。

それにしても、昼間横になってうとうとしている間、変な夢をみた。

ぼくはフェンスで囲われた雑草だらけの空き地の中にいて、テーブルが置いてあって、そこで児童館で仲の良いゆうまとなにやら作業をしている。どうやら「ことばのかたち工房」を草むらで開催しているらしい。そこで誰かがビデオを撮影している。多分、ぼくの大学の先輩のいとしょくんだ。ビデオカメラのモニタを見ながら「似てる似てる!」と言っている。ぼくはそのモニタを覗き込んでみた。

(カメラのアングルで夢をみている)
そこには、何かを考えながら作業をするゆうまと、彼の気持ちを探っているのか、挙動不審に目を動かすぼくが写っている。ゆうまは水色のパーカーを着ていて、ぼくは黄色のパーカーを着ていて、二人ともフードをかぶっている。
「ほんと、よく似てるからちょっとそこにたって並んでごらんよ」
といって、先輩はぼくたち二人を木の影にならべた。確かにぼくらはそっくりのペアルックだった。

(ここから主観に戻る)
立ち上がって作業が中断したのをいいことに、ゆうまはぼくに蹴りを入れてきた。もちろん、じゃれ合おうぜ、という合図だ。ぼくはそれに応じて取っ組み合って、彼をゴロゴロと転がした。ごろごろごろごろ、草むらの中を、輪を描いて転がる。するとそこに、お椀型の穴ぼこができた。ぼくはその穴ぼこの底で動けなくなった。目の前には草むらを囲うフェンスがあり、そのフェンスの一面が、惡魔の顔をかたどったレンガ造りの城壁に変わった。

(カメラ/場面転換 城壁)
その城壁には紅く火がついていた。轟々と燃えているのだが、それはパラフィン紙のような2次元の炎の模様で、その周りを白いゴマ粒のような兵隊がわらわらと動いている。「火を消せー!」とわめきながら、蛇口を大勢でひねって水を出しているけれど、水はほとんど出てこない。

(主観/場面転換 別室)
その情景が、急にブラウン管に映し出された映像に変わった。このとき、別室にもう一人のぼくがいて、モニタ越しに白い兵隊たちやそれを動かすスタッフに指示を出している。「もうちょっと火を強めて!そいつらもっと激しく動かせないかな?あぁー城壁の色、ちょっと赤くし過ぎかも」
とか言いながら。

(主観/場面転換 空き地)
穴ぼこで動けなくなったぼくを尻目に、ゆうまはぼくから離れていく。そして城壁の方へ走り、ぴょーんと3メートルぐらい飛び上がったかと思うと、燃え盛る城壁を飛び越えてしまった。また彼が城壁を飛び越えてこちらにくるぞ、と気づいていたぼくは、彼が飛び上がると同時に「ベムラー!」と叫んだ。壁の向こうから飛び上がってきたのは、影のかたちをした、コミカルな惡魔だった。

(主観/場面転換 体育館)
惡魔がぼくに飛び掛ってきたところで、ぼくは別の場所にトリップしたようだ。そこでは中村児童館のゆうとが、プロレスラーの衣装を着て準備体操をしていた。
「うっすん、最近のおれすげぇんだよ、あの団体に売り込んで前座の試合に出てさぁ、ボクシングの前座でもプロレスやらしてもらったんだよね。そうそう、だからもう最近腕筋つきまくりで、ほら」
そういって腕の筋肉を見せながら、ゆうとは楽しそうに語っている。そこにしげがやってきて、いつもの調子で言った。
「じゃあ、あそこで野外プロレスの興行やろうよ!」

(主観/場面転換 空き地)
空き地に戻って来た。ゆうとの入場を待って、緑色の怪獣の着ぐるみを着たしげが、マイクパフォーマンスの準備をしている。対戦相手はどうやらぼくのようなのだけど、ゆうまが飛び越えていった城壁がまだまだ燃えている。

(カメラ/場面 城壁)
ゴマ粒のような兵隊たちが、懸命に日を消そうとしている。蛇口からの水も溢れ出しているのだけど、それが逆に炎を煽ったようで、ますます勢いを強める。

(主観/場面 空き地)
城壁から草むらへと、炎は写り、燃え始めた。でもこの炎は薄っぺらいパラフィン紙で出来ていて、実際に燃えているわけではないのだが、バチバチと音を立ている。しげは炎に気づいていない様子で、ぼくも穴ぼこのそこに寝転んだまま、そのおもちゃの炎が空き地を焼き尽くすのを眺めていた。



というところで目が覚めます。児童館の友人たちが夢にでてくることはよくあるのだけど、この「フェンスに囲われた空き地」と「惡魔の顔をかたどった城壁」と「白ごまの兵隊」、「パラフィン紙の炎」、そして明確なアングルの変化と別室で支持を出すもう一人の自分。というのが何かを暗示しているように思えてならない。後に何かわかるかも知れないので、ここに記録しておきます。

2010/11/01

10/31 『完全避難マニュアル』(構成・演出:Port B)

10/30より、『完全避難マニュアル 東京版』がスタートしました。http://hinan-manual.com/



実はこれ、会期が始まってから進化する演劇。ぼくが担当している避難所は、まだ始まってすらいません。今日(10/31)は池袋にてミーティング。あまりに面白いミーティングで、興奮してしまいました。『完全避難マニュアル』は完結せず、循環する裂け目から現実にリンクしていきます。今はまだ何も言えないので、ぜひ体験してください。

2010/10/30

10/30 東大泉児童館あきまつり

10/30 東大泉児童館あきまつりのボランティアをしてきました。


寒くて暗くて冷たい天気にも関わらず、1000人近くの来場者。すげぇなぁ、相変わらず。


アーティスト・イン・児童館創設当初から、東大泉児童館の担当職員だったよっちゃん(高橋陽子さん)がもうすぐ産休に入る。二人目の子が生まれるそうだ。予定日がぼくの誕生日と近くて、何かあうるのかなぁと思ってしまいます。


凛として、冷静な彼女とは、何度か意見を交わしたこともあったし、食い違うこともあったし、いろんな時間を過ごしてきたように思います。そんなよっちゃんの、集大成じゃないけど、気合の入ったあきまつりを見せてもらった気がしました。


彼女と一緒に呑めるのは、2年後くらいになる。よっちゃんの呑みっぷりは豪快で、かっこいいのだ。

10/29 松戸へ。ナイロビと児童館。

10/29 西尾美也さんと打ち合わせに、松戸へ

この日は松戸アートラインに参加している西尾さんのところへ、作業を手伝いつつ打ち合わせするために、松戸の工房へ。松戸駅は始めて降りたけど、大泉学園から1時間足らずでついてしまう。千葉は意外と近いので、都内にお住まいの方で西尾さんの活動に興味がある方はぜひ遊びに行ってみては?

事務局の方や、工房となっている邸宅を貸している地元の方にも会うことができ、プロジェクトの進行具合を体験することもできました。アーティストの池田剛介さんも、制作を進めています。


この日は4時間近く作業をしながら話をしていたので、いろんな話題が出ましたが、メインはお互いの来年の構想と、オープンミーティング第2会の話。

西尾さんは現在申請中の助成金で、もしかしたら来年からナイロビに長期滞在するかも知れないとのこと。来年3月にナイロビ・レジデンスが開催されますが、その先にはさらに彼の長期滞在型の制作プロジェクトが待ち構えています。ぜひ、実現してほしい。

「ナイロビ」という、西洋を中心に発展していった美術表現の技法・言説が通用しない場所で、敢えて美術を実践し、その土地の文化と現代美術の文脈を同時に更新していこうとする西尾さん。

その企みには、僕たちの「アーティスト・イン・児童館」と不思議なほど通底たものを感じます。言葉を超えたコミュニケーションを必要とする「子ども」たちの生活の場に足を突っ込みつつ、美術の文脈へのコミットを考えている。場所は違うけど仕組みは限りなく似ているのでしょうか。

そんな「アーティスト・イン・児童館」は、来年度展開されるプロジェクトの報告をぜひ美術館で、展覧会形式で実践したいと考えています。なぜそれをやりたいと思っているのかはまた今度。

その来年度のプラン構築に向けて、11月27日にオープンミーティングの第2会が開催されるわけです。西尾さんには「ことばのかたち工房」を中心にこれまでの制作活動を紹介しつつ、「ことばのかたち工房」の発展形を考えてほしい、とオーダーしました。来年、「ことばのかたち工房」のルールを更新したプロジェクトを何かやってみたいと考えているのです。「くふぅく」のように遊べる作品を持ってきてもらい、お客さんに身につけてもらいながら話を進めていこう、というアイデアが出てきました。

次回のオープン・ミーティングのタイトルは「児童館から地域へ 新しいコミュニケーション・ルート」です。児童館を作業場、町を発表の場と捉えた「ことばのかたち工房」の実践は、児童館から生まれた作品が移動して町に届ける新しいコミュニケーションの回路を切り開いています。ですが、そのモデルはもうすでに十分に提示され、すでにマンネリ化してきているという実感も。そこで来年は、その「作品の移動」にフォーカスしたプロジェクトを構想したいと考えました。児童館と地域の境目を越え、児童館とその他の施設の境目を越える、装置なのか、パレードなのか分からないですが、「越境する何か」をイメージするミーティングになるといいな、と思っています。児童館の職員や中高生からアイデアがでたらめちゃめちゃ面白いです。

松戸にはプロジェクトが始まった頃にもう一度行きます。石幡さんの「代本板」も参加していることだし。松戸アートライン(11/20~)。乞うご期待。

2010/10/29

10/28 快快『アントン、猫、クリ』

10/28 横浜はSTスポットに快快の『アントン、猫、クリ』を観に行った。

久しぶりにお金を払って、舞台に行った。STスポットは小さな会場で、客席とパフォーマーが近くて、汗とか吐息とか、体温まで伝わってくる。もう、めっちゃくちゃ楽しかった。笑わせるし、考えさせるし、気持ちいいのだ。ポイノさんが作曲したという、あの2分くらいの四重奏が凄まじい。言葉と風景と、人の仕草と、物語を、まぜこぜにしていくんだけど、それがただのカオスじゃなくて、一定のルールとそのずれの中で繰り広げられるから気持ちイイのです。ルールにハマった瞬間に「あ!」と思い、ズレている間に焦らされた気持ちになります。

2008年に一度公演しているこの『アントン、猫、クリ』だけど、これは演出の篠田さんが住んでいたアパートで起こっていた、猫をめぐる物語を作品にしているそうです。実際に近所に住んでいた人たちにインタビューした時の音声も、劇中に流れています。




第2部はゲストで来ていた、小沢剛さんとポイノさんが作品についてコメントしていくのですが、この二人と快快は10月3日に府中市美術館で「トレース・ザ・できるかな」というパフォーマンスをしています。お菓子の缶や布地を、白く塗って、その模様をもう一度描く、ということを府中市美術館で実践している小沢さん、風景から読み取れるものを言葉にしてオーケストラにする『音楽映画』をつくったポイノさん、その作品を演劇に引用した快快。という関係らしい。このオーケストラを、観客として体験してきましたが、なかなか難しい。

12月のトークの為に、小沢さんにも挨拶できたし、この間オバルのライブで会った篠田さんにも再会できた。今度、ナデガタのリサーチの日か、小沢さんのトークの時に、もしかしたら来ていただけるかもしれない。篠田さんが見てる児童館ってどんななのか、聞いてみたい。他にもナデガタ中崎さん、アサダワタルさん、のびアニキなどなど客層も面白い。

驚いたのは、毎回の公演のDVDを丁寧に自費出版してるってところ。今回も受付のところで販売してたけど、「小指値」のころからやってるらしい。今回はHEADSからでてる『Y時のはなし』を買ったので、今度マッカリでみてみます。

2010/10/28

10/24 中村小お祭り+magatama

10/24 中村小学校のお祭りと豊玉中の音楽祭へ。





この日、児童館の連中が中村小学校と豊玉中、両方のお祭りをはしごするというので、それを見に行くことに。中村小学校の芝生のグラウンドでは、立ち回りで見事なチャンバラ芸を(臼井は見逃したのですが…。)、そして豊玉中ではライブとMCのパフォーマンスを披露し、会場をヒートアップしていた。




ナデガタの山城さんも来てくれて、盛り上げに一役買ってていた。


なんっていうのかな、彼らはその場所にいって、何か人を楽しませて、自分も喜ぶ。吉本興行のようだ。

2010/10/24

10/23 OverAll + 中村児童館

渋谷から中村橋へ


この日は渋谷でOverAllの展示を見てから、中村児童館へ。

学園祭の雰囲気の中で、反物の日干しのように、織り上げられた一枚布のように、パッチワークの「渋谷川」は飾られていました。

シンポジウムでは、地域の方々や協力したパタゴニアの店長、古着をリメイクして作品を発表しているデザイナーと、西尾さんが出演。地元の商店街の方がいらっしゃるのは素敵でしたが、変な雰囲気でした。


美術家として西尾さんが実践している脱ファッションの実践が、全部ファッションの既存の理論に回収されていく。せっかく実践の体験ではファッションを抜けだしたかも知れないのに、その意味付けがファッションになっちゃったのは何か残念。ていっても学生たち寝てたりしてあんまり聞いてなかったけどね。


とはいえ、今回の実践は「ファッション」を全肯定したフィールドでやったわけだから、それはそうなって然るべきだったと思う。フィールド自体をずらした実践でないと、解釈もズラせない。

あらゆる実践に加えて、そのフィールドをズラしていく方法を、西尾さんと一緒に考えたいと思います。いろんなフィールドに介入する実践は積み重ねてきたから、今度はそのフィールドに居る人達を「移動」させる技法を編み出してみたい、ということなのかな。



続いてそのまま中村児童館へ移動。

明日は中村小学校のお祭りだから、なんだか気分も高揚している。でも、あんどーなつも館長もいなくて、ちえちゃん一人で大変そうだった。



この日、中村児童館がなぜこんなに居心地がいいのか、その理由が少しわかった気がしました。彼らは誰かの居場所を必ず守っているのです。積極的にも消極的にも、排除せず、そこに居場所を守ってあげる。用意する、というよりも、守っているような印象。



恥ずかしがり屋な人がいても、バックアップするベテランたちが居る。バンドのボーカルをやりたい、と言ったら、仮に実力が伴って無くてもやらせてあげる。ベテランたちは、コーラスや客席から彼を盛り立てる。



そうすることでベテランたちも居場所を確保している。すごく緩やかで、でも限界ぎりぎりの状態で、居場所を守っているのだと思いました。

今日は今から、お祭りに行ってきます。

2010/10/19

10/17 古着回収+解体フェスタ



この日、「ことばのかたち工房」で使用する古着を近隣から回収するイベントを実施。
その後、いつものみどり広場で古着の解体。


前日の朝、代官山UNITから帰ってきてそのまま150枚のチラシをポスティングをした菊地さん。立派だね。



その結果、8軒のお宅から計70着の古着を回収させていただきました。すごいヴォリューム。

その後は恒例の古着堀り。



昼間は近所の大泉第二小学校でお祭り。知り合いに声かけてもらって、杏仁豆腐いただいたり、焼鳥食べたりしてました。

その後は大泉の「ことば」を探しにインタビュー。2件から「ことば」を発掘。





みどり広場での解体では、TとTとMが手伝いに来てくれたり、近隣のFさんが遊びに来てくださいました。女子たちは完全にリヤカーで遊んでましたけどね。



その後、夜は「ことばのかたち工房」の今後について話し合い。そろそろ方法論を大転換しよう!と意気揚々。西尾さんとも相談して、来年は今までの蓄積をふまえ、何か新しいことをしたい。